映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ワルキューレ(2008年)

2015-11-05 | 【わ】



 第二次大戦末期、ナチスの総統ヒットラー暗殺及びクーデター計画が、軍内部で進行していた。果たしてこの計画は成功するのか? ・・・って、失敗したことは現代人ならみんな知っている。ならば、この一大クーデターが、本作ではどう描かれたのかが見もの。

 それにしてもヒットラーは悪運が強い。

 
 
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 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』を、近々、見に行くつもりだったので、たまたまタイミングよくBSでオンエアしていた本作を参考までに見てみました。

 まぁ、映画の内容云々を言う前に、本作はそもそもダメだな、と思っちゃいました。だって、ドイツ軍の幹部たちを、英国を代表する俳優陣が演じているのですよ? おまけに主人公はハリウッドの顔みたいなアメリカ人俳優トム・クルーズです。しかも全編ほぼ英語。なんじゃこりゃ、です。ドイツでは大ブーイングだったらしいけれど、当たり前だわね。

 これは、例えて言えば、『日本のいちばん長い日』を、中国と日本の共同資本で、主役たる阿南大臣をトニー・レオンが演じ、しかも全編中国語で撮影された、みたいなもんじゃん? トニー・レオンでご不満ならば、誰でもイイですよ、とにかく中国の顔みたいな俳優です。でもって、天皇を渡辺謙とかが演じていて、しかも発するお言葉は中国語なわけです。おかしいでしょ、それ。そんな映画、日本人が素直に見られますか? 冷やかしで見るならありだけど、作品自体は大真面目なんですからねぇ。やってらんないですよ、そんなの。リアリティもへったくれもあったもんじゃない、でしょ。

 トムクル主演って分かってて見たんだろ、と言われればそれまでですけど。日本語吹き替えで外国映画を見たら、全部だめなのかよ、というのも当たらない。もちろん、吹替えで見ることで変わってしまうことは多々あるだろうけど、翻訳のため、という大前提が見ている者にもあるわけで。だから、やっぱし本作はアカンと思う。どうしてもトムがシュタウフェンベルクを演じたいというのならそれはそれ、演じてもいいけど、言葉はドイツ語でやれよ。それが出来ないんなら、せめて吹替えでドイツ語を後から被せろ、って思う。

 ドイツ側も、よくこんなの許したよなぁ、、、。日本ならあり得ないでしょ、これはさすがに。この制作側の姿勢は、ドイツに対する敬意とかまるで感じられない。彼の国の尊厳を端から踏み躙っているとしか思えない。ナチスをやっつける映画だし、そもそも義は連合国側にあったのだから蹂躙してもかまわんと、チラリとでも思っていたのではないか、と疑っちゃいますね。

 こういうのって、やっぱり英語圏の人間の傲慢さだと思う。英語こそ世界語!!と信じてるんでしょうねぇ。だから、ドイツ語で演じる意義をまともに考えもしないんでしょ。でもさぁ、言語って、その国の思想の原点みたいなもんだから、実はもの凄い重大な要素なんですよ。人間、誰でも思考ってのは母語でするものです。どんなに外国語をネイティブのように喋れる人でも、思考は母語でしているのです。でも、英語圏の人間にはそんなのカンケーねぇ。なぜなら、自分たちの母語が世界の共通語だから。母語が一番価値ある言葉で、あとの言語はいわば二流語。母語だけでなんでもかんでも罷り通ると勘違いしている人々なんです。それが証拠に、日本に来たアメリカ人も英国人も、平然と、堂々と、英語で道を尋ねる。日本人がNY行って日本語で道尋ねますか? それくらい、英語が母語の人々は、こと言語に関して言えば、傲慢そのものだと思います。言葉が持つその地域の文化や歴史、人間性、価値観、そういうものを片っ端から英語というブルドーザーでなぎ倒していくのです。

 本作を見て一番感じたのはそこでした。なので、作品自体については、史実を丁寧になぞっただけの作品、という印象です。

 現代人は皆、もう、史実というか、成り行きを大筋では知っている訳ですから、せっかくなら、暗殺実行からクーデター失敗に至るまでを、もう少しドラマチックにスリリングに描いてほしかった。上手く行きかけたと思ったが、一気に形勢が逆転していくサマをドラスティックに描けたら、もっと面白かっただろうな、とは思います。

 とはいえ、やっぱし、書いてきたとおりで、どんなドラマチックな展開であれ白けた見方しか出来ないので、あんまり映画として素晴らしく作られても、それはそれで納得いかないような気もするし。、、、というか、しつこいようだけど、本作は英語でやっちまおう、と決めた時点で、映画としては二流路線が決まってしまったとしか思えません。軽い、薄い、淡泊、面白くない、、、それらは全て、その出発点で既定路線だったのです。

 というわけで、本作にはまるで入り込めませんでした。本作がお好きな方、すみません。






言葉は大事。




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私の、息子(2013年)

2015-04-22 | 【わ】



 ルーマニア、ブカレストで建築デザイナー(?)の富裕層であるコルネリアにとって、可愛い可愛い、でも30過ぎて自立できない息子バルブが悩みの種。息子がああなのは、今付き合っているコブつき女のせいだ、と、のっけから煙草もくもく吹かしながら文句の嵐。

 その息子、ついに、交通事故で人を死なせてしまう。そして、コルネリアは、息子の犯罪を揉み消そうと躍起になるのだが、当の息子には「放っといてくれ!」と罵られ、、、。

 英語のタイトルは「CHILD’S POSE」で、胎児の体勢。はて、このタイトルの指すものは、、、。


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 ううむ、こういう、我が子の自立をとことん阻む親、ってのは、どうしても私は受け入れられません。

 この母と息子は、いわゆる「共依存」ってやつです。「子依存症」な母親とその子の確執問題の場合、重要なのが「子のキャラ」なのよねぇ。もちろん、母親の「子依存度」が一番の要素なんですけれども。

 母親が重度な「子依存症」でも、深刻な確執にならないケースの「子」キャラってのは、多分4つある。①もの凄いバカか、②反対に天才肌か、③あるいは対人関係能力ゼロか、そして④(これが一番クセモノなんだが)自分の頭で考えることを放棄している子。つまり、この①~④のどれにも属さない子――凡人で、凡人ながらも自分の意思で人生を生きたいと思っている子の場合は深刻なケースになると思います。

 なぜなら、①~③の子たちは、人の気持ちを思いやったり想像したりする能力がないので、そもそも依存症の母など眼中にないわけ。ま、この人たちのケースは、言及しません、今回は。

 問題はね、④の子たちなんですよ。④の子たちはねえ、いるんですよ、これが実際に。私の姉がそうでした。母親との関係に苦しむ私に、彼女はこう言い放ちました。「親の言うこと聞いとけば、この先ずっと楽じゃん」、、、。そう、この人たちは、自分の気持ち以前に、自分の考えがないのです。

 いえ、恐らく姉に言わせれば「私だって理想はあるし、嫌だなってのもある」はずなんです。しかし、私が、親が強烈に勧めてくる見合いをどうしても受け入れられずに苦しんでいたら、彼女はシレっとこう言ったのです。「自分がダメだなと思っても、回りのオトナ10人中、7人くらいが良いんじゃない?って言っていたら、私なら考え直して結婚する」と。これが、重度依存症の母親と深刻に決裂せずにいられる子です。

 私は、姉に言い返しこそしなかったけれど(メンドクサかったから)、腹の中ではこう思っていました。「周りのオトナ10人中10人が良いと言っても、自分がダメだと思ったらダメなんだよ」と。

 ④の子自身は問題じゃないのよ。④みたいな子がいると、重度依存症の母親は、凡人の子のことを「悪い子」とレッテルを貼っちゃうことになるから、問題なのね。フツーの子が、④の子たちの存在のせいで、余計に苦しむことになっちゃうのです。

 、、、しかし、姉が恐ろしいというか不気味なのは、何か歯車が狂って物事が上手くいかなくなったらそれは「親のせい」にできる、と考えているところです。実際、彼女は、高校生くらいの頃から、「自分の成績が下がったのは通学に時間がかかるところに引っ越しをした親のせいだ」とか、「自分の理想とする見合い相手に断わられたのはこんな家(と親)のせいだ」とか、「家(と親)がもっと立派だったらどんな男でも連れてくる自信がある」とか、「私が若い頃色々やりたいこともやれなかったのはこんな家(と親)のせいだ」とか、何か自尊心が満たされないことがあると全部親のせいしていたんだよね。私はこれを聞くと、無性に腹が立って、「人のせいにすんじゃねぇー!」って喰ってかかって大喧嘩になったこともよくありましたが・・・。

 そんな姉は、私が母親と疎遠になってまだ日が浅い頃、独特な感じで接してきました。多分、彼女なりに母親と私の間に立ってあげよう、というのもあったんでしょう。私の反応が鈍いせいもあって、母親と同じくらいに姉とも疎遠になりましたが、私には分かります、姉が母親の意向の下に動いているのが。この10年の、彼女のメールの文面や、頻度、その後の母親からの妙な手紙など、ぜ~んぶ繋がります。そう、50も過ぎた姉は、いまだに、母親の指示の通りに動いているのです。母親が死ぬまでやるつもりなんでしょうーか。ま、彼女にとっては、それは苦痛ではないのですから構いませんけれど。

 、、、と異様に長い前置きになってしまった! いかんいかん。

 本作のバルブも、まあ、残念ながら①~④のどれにも当てはまらないのよね~。凡才で金持ちの甘ちゃん息子で根性ナシだが、一応、自立心もないわけじゃない。・・・んだけれど、何せ凡才の根性ナシだから、何やっても上手くいかないし、上手くいかせようという気力もない。でも女とヤることだけは人並みにヤる能力を発揮している、、、。あ゛ーー。

 コルネリアが、私の母親みたいに一度も社会に出たことのない専業主婦で、子にしか目が行かない母親だったら、まだこの話は分かる。でも、コルネリアは、社会でも建築デザイナーとして成功していて、バルブの母親でしかないわけじゃないのに。

 そうそう、重度依存症の母親で、もう一つ、重要なファクターがあったんだ。それは父親。母親からすれば夫だわね。もう、こういうケースでは、父親は例外なく「存在感ゼロ」なんだよね~。私の父親もそうだったけど、本作でも、バルブの父親はものすごーーーく存在感が薄い。母親と口論しているバルブを一応諌める場面もあるが、バルブに逆襲されるの。「うるせー!何でもこの女の言いなりになりやがって、この腰ヌケ!!」ってね。もう、まったくその通りで、私は苦笑してしまいました。

 私の父親と同い年のある先生が、私の家庭の話を聞いて言いました。「お父さんが頼りない? そうではありません、お父さんが頑張ったらきっと家庭は破滅ですよ。分かっていらっしゃるのです」とね。そうかも知れないけど、家庭は破滅しなくても、子どもは母親の放つ毒に侵され続けて精神が破滅しちゃうんだよ。救えるのは父親だけなのに。

 本作で、コルネリアは必死にバルブに前科がつかないように奔走します。本作は、結果がどうなるかまでは描かれていないけれども、私は、きちんとバルブは刑に服して制裁を受けるべきだと思います。もし、コルネリアの念願かなって、バルブに前科がつくことなく社会に戻れたとしても、バルブ自身は前よりさらに精神的に病んでしまうの間違いない。なぜなら、ますます母親の支配が強くなり、ますます自分のダメさ加減を見せつけられるから。結局、自力で何一つ乗り越えられない人間のままの自分と、30過ぎても向き合わないといけないのは、拷問ですよ。

 バルブが一念発起してコルネリアを突き放せば良い、と思う方も多いでしょうし、私も、彼を見ていてイライラしました。しかし、ああいう重度依存症の母親に背後霊のようにのしかかられると、本当に、子は手も足も縛られて自分の心も押しつぶされて身動きが取れないのです。

 だから、今回の事故は、彼が母親と物理的に離れられる、そして、精神的に自立する絶好の機会なのです。

 なのに、本作のラストシーンは、どうやら母親の願いが通じてしまいそうな予感のする描写のような気がします。いえ、どっちに転ぶかは分かりません。見る人の想像次第ですが、、、。

 でも、私は、どーしてもバルブはダメな気がするのよぉ。だって、タイトルが「胎児の体勢」ですよ? あ゛ー、もう、この母親はこの世に生み落さず、一生腹の中に息子を抱えておけば良かったんだよ。


 



お母さん、あなたの息子は、窒息で死にかけてますよ!




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ワレサ 連帯の男(2013年)

2014-05-14 | 【わ】

★★★★★★☆☆☆☆

 映画友に誘われ、GW中、岩波ホールへ・・・。外は快晴の行楽日和だってぇのに、映画鑑賞。しかも、アンジェイ・ワイダにワレサ。映画友が「やっぱ、アタシたちって、マジョリティとは言い難いよね・・・」。確かに。

 正直、ポーランドの歴史なんて、ほとんど「無知」のレベルと言っていい私であるが、ワレサの名前くらいは当然知っていた。でも、何をした人なのか、何でノーベル賞もらったのか、よく知らんかった。本作を見る前に予習をすべく、「ワレサとの対話 連帯と反抗の17日間」(ユーレ ガッター・クレンク著)という古い本を図書館で漁ってきたのだが、最初の数ページで、あまりのつまらなさに挫折。結局、ネット情報程度しか見ないで本作を鑑賞することに。チンプンカンプンになるのでは、という一抹の不安が・・・。

 ハッキリ言って杞憂でした。私は、アンジェイ・ワイダの作品を見るのはこれが初めて(実は、『灰とダイヤモンド』を見たと思うのだが、まるで記憶に残っていない)で、何となく“難解”というイメージを勝手に持っていたので、良い意味で見事に裏切られました。

 ワレサが、どうして連帯でリーダーとなり得たのか、そして、そこから民主化運動を推し進めていったのかが、かなり分かりやすく描かれています。基本的には、妻ダヌタとの夫婦の話を軸に展開していくので、彼の社会的な活動は背景なのですが、それでいて語り口は丁寧です。

 感じたことは2つ。まず、彼が人を束ねていくことができたのは、彼が頭が良かったからでも、策士だったからでもなく、単純に“話が上手かった”からではなかろうか、ということ。まだ連帯の一メンバーだった頃の話として、エリートたちがハンストをしているところへワレサが乗り込んで行ってハンストを辞めさせる、というシーンがあります。ここで、彼よりよほど学のあるであろう、見た目も知的で線の細い男たちは、あっさり、赤ら顔の野暮ったいおっさんであるワレサに説得されるのです。「ハンストなんかしたって、お前たちが死ぬだけだ」って、至極当たり前のことを言われて。ただ、この言い方が、ある意味、素晴らしい。誤解を恐れずに言えば「可愛い」のです。人懐こい表情と話し方が、相手の頑なな心を一瞬で氷解させるという、この彼独特の才能が、彼がリーダーになり得た最大の理由のような気がしましたね。

 もう1つは、妻の存在の大きさです。夫婦を軸に描いているから、まあ、妻の存在を大きく取り上げるのは当たり前なんだけれども、ワレサは、ダヌタ以外の女性が伴侶であったら、もしかしたら、別の人生を歩んでいたのではないかと思いましたね。彼女は、とにかく柔軟です。決して意思のない流されるだけの女性ではなく、夫を支えることに徹するのです。それが彼女の人生哲学なんでしょう。置かれた状況で夫が一番活きるように立ち回るのです。ワレサが投獄されているときも、不安を抱えながらも揺らがない。ワレサも夫として、やはり「可愛い」のです。一生懸命子育てするし、ほかの女性にチラッと興味をそそられもするけれど、妻が一番だと自覚しているし、まあ、世話は焼けるけど憎めないヤツな訳です。

 つまるところ、ワレサがポーランド史上にどんな足跡を残したにせよ、一男性としては、「愛嬌たっぷりのおっさん」でありました、という作品だったと思います。そしてスピーチ上手。スピーチの能力って、政治家には絶対的要素だと改めて思いました。スピーチさえ上手ければ、ブレーンを超優秀な人材で固めれば良い、そんな気がします。オバマもそんな感じですしね。つーか、オバマもスピーチだけで大統領になった男、と言われていましたっけね。

 ま、飽きずに最後まで面白く見られた作品でございました。
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