映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

偉大なるマルグリット(2015年)

2016-03-23 | 【い】



 1920年代のパリ。男爵家で大資産家の夫人、マルグリット・デュモン(カトリーヌ・フロ)は、音楽を、中でもオペラをこよなく愛する女性。彼女は、その資力にモノを言わせて、自宅で本格的なサロンコンサートを頻繁に開いていた。コンサートのトリは決まってマルグリット。ゲストに招いたプロ歌手に激励の言葉を掛けながら悠然と舞台に立つ彼女。

 ……が、彼女は、、、なんと、絶望的な音痴さんなのでした。しかも、そのことに本人だけが気付いていないという悲劇。音楽を理解する耳を持っているのに、自分の声を聞き分けることが出来ないという皮肉。

 夫は彼女の資産で爵位を維持しているようなものだから、本当のことを彼女に言えず……。周囲も、彼女の資産目当てで付き合っている貴族ばかり。誰も彼女に真実を教えられないし、教えようとしない。でもそれは、彼女の資力だけでなく、彼女の人としての魅力も作用していたからなのだけど。

 そんな状況で、マルグリットは、辛口評の新聞記者にも絶賛され、ますますオペラへの情熱は高まり、高名な歌手を家庭教師として、遂には、一流ホールでリサイタルを開催することを決意する。夫は何とか止めさせようとするが、彼女はリサイタルを決行する。

 果たして、彼女の運命は、、、。

  
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 ちょっと考えさせられました、、、。何を考えたかは後述するとして、まずは鑑賞しての感想を(ネタバレしていますのであしからず)。

 本作は、オペラ仕立てで構成されていて、第1幕から5くらいまであったんじゃないでしょうか。正直なところ、第2幕くらいまではいささか退屈でした。マルグリットが初めて歌うシーンは度肝を抜かれましたけれども。そして、最終幕のタイトルは、「真実」。これで大体ラストは想像できると思うのですが、、、。そう、蓄音機に録音された自分の歌声を聞いて、彼女は真実を知り、ショックのあまり床に倒れます。

 彼女があそこまで歌にのめり込んでしまったのは、ひとえに、「夫の愛情不足」によるものです。

 そして、その夫がね、、、。ヤなヤツなんですよ。というか、少なくとも私は嫌いな男です。マルグリットがサロンコンサートを開く日は、必ず車で出かけて、途中で車を止め、コンサートが終わるころを見計らって帰ってくる。つまり、車が故障して間に合わなかった、ということにしている。でも、妻はお見通しで、帰って来た夫に「また車が故障したのね?」とカマす。、、、セコいおっさんだ。

 しかも、この夫、妻の友人と不倫までしているのです。不倫はともかく、相手が悪い。でもって、その不倫相手に「妻はモンスターだ」とかって愚痴る。うー、サイテーな男だ。せめて、妻の友人じゃない女にしなさいよ、不倫相手は。当時の上流階級じゃ、まあ、何でもアリだったんだろうとは想像しますが、、、。

 妻の資力が頼りの夫は、妻が絶望的な音痴であることを告げられない。それは、妻への思いやりなんかじゃなく、そんなことを言ったら、妻との関係が破綻しかねないことを恐れているから。、、、まあこの辺は、後半で微妙に変わってくるんですけれども。

 本作は良い映画だと思うのですが、今一つグッと来なかったのは、この夫の描写が理由だと思います。ヤなヤツだから、ではありません。それはいいのです、そういうキャラ設定なのですから。何が気に入らないかというと、終盤、この夫が妻への愛情を見せるようになるところです。妻への愛情を見せること自体は良いのですが、いかんせん、夫の心境が変化した理由が見ている方には伝わってこないのです。

 ラスト、倒れたマルグリットに駆け寄る夫。そして夫はマルグリットを抱き起そうとしたカットで、ジ・エンド。この後の彼女はどうなったのか、、、。オペラ的に言えば、まあ、ヒロインの死で終わる、ってことで、マルグリットは真実を知ってショックのあまり死んでしまった、、、。解釈は色々あり得ますけど。

 本作に通底していたのは、マルグリットの“孤独”じゃないかな。人としては魅力的なので、関わる人は皆、最初こそ奇異の目で彼女を見ますが、次第に彼女に好意的になって行きます。だからこそ、真実を誰も彼女に言えなかった、という側面もあるのですが。、、、でも、彼女が欲しかったのは、夫の愛情だったのだよねぇ。あんな男でも、彼女には愛しい夫だったのですよ。

 なんか、見ていて、マルグリットが可哀想になってしまいました。あんまり、誰かを可哀想と言うのは好きじゃないのですが、本作のマルグリットに対しては他に言葉が見当たらない。それは、自分が音痴であるという真実を知らずにいるからではありません。この世で大好きなたった2つのもの~夫と音楽~に、死ぬまで片思いを続け、しかも、夫に裏切られただけじゃなく、最後は頼みの綱の音楽にまで裏切られてしまった、、、。

 で、何を考えさせられたかと言いますと、、、。

 本作中でのマルグリットの歌は、確かに下手だけれども、別に不快ではない。むしろ、私は楽しく聴きました。……そして、彼女は何と言ってもアマチュアで、趣味で歌っているのです。オペラのヒロインになり切って。この、“アマチュア”ってのがクセモノなんですよねぇ。私も学生時代にオケにいたので、アマの音楽がどういうものかは一応知っています。アマは実に幅が広い。もの凄く上手なアマもいますし、もの凄く下手なアマもいますが、所詮はアマであり、もの凄く上手なアマも、どう頑張ってもプロにはなれない程度でしかないのです。

 なので、私は、社会人2年目での演奏会を最後に、“音楽とは私にとっては聴くものである”とハッキリ認識し、音楽をプレイすることからは一切足を洗いました。そして、聴くのは、必ず“プロ”の音楽で、“それなりの対価を払って”と決めています。アマの音楽は(ほぼ)絶対に聴きません。アマの音楽とは、プレイする人が楽しむためのものであり、聴衆を喜ばせるものではないからです。私も一時期はどっぷりハマっていたアマの世界でしたが、ある時ふと、そういう“所詮アマの世界”であるにもかかわらず上手いだ下手だと批評し合う仲間の奏者たちに辟易しましたし、自分たちの奏でる音楽のド下手ぶりにもウンザリしてしまったのです。自分たちさえ楽しきゃいいのか、ということを突き詰めて考えてしまったのです。

 もちろん、これは私の定義であり、人によってはアマの演奏会に好んで行く人もいますし、アマの音楽で感動する人もいます。そういう楽しみ方を否定するのではありません。ただし、アマの音楽を敢えて聴くからには厳然とした約束事があって、それは「絶対に彼らの演奏を批判しない」ということです。

 だから、本作でもマルグリットには罪はなく、聴衆が悪いと思うわけです。きちんとアマの音楽であることを弁えて聴けば良いのです。そして、夫も、マルグリットに真実をきちんと早い段階で伝えるべきなのです。本当に愛情があるのならば。ま、なかったんですけどね、マルグリットの夫には。

 とはいっても、演奏経験のない全くの素人の聴衆というのは、もの凄く下手なのは聴き分けられちゃうのですよ。上手いについては、どの程度上手いかは聴き分けられなくても。そこが、マルグリットの悲劇を生んだ要因の一つでもあると思います。
 
 カトリーヌ・フロは、割と好きな女優さんの一人ですが、さすがに彼女も歳をとりましたね。大分ふくよかになられたような、、、。もちろんお美しいですが。マルグリットを実に魅力的に演じておられました。序盤に出てくるプロを目指す歌手アゼル役のクリスタ・テレがとっても美しくて素敵でした。彼女が狂言回しかと思っていたら、中盤以降ほとんど出て来なくて拍子抜けでしたが、、、。男性陣の出演者にイマイチ魅力がなかったのが残念。強いて言えば、マルグリットの歌の家庭教師役を務めたミシェル・フォーがイイ味出していたかな。

 カトリーヌ・フロが、本作でセザール賞を受賞されたそうで。見れば納得の受賞です。




衣装・美術が圧巻です




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インドシナ(1992年)

2015-09-24 | 【い】



 仏領インドシナで暮らすフランス人女性エリアーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、今は亡き親友夫婦の忘れ形見で安南の皇女であるカミーユを養女として、親友夫婦のゴム園経営を引き継いで、実の父親と3人で暮らしていた。

 ある日、絵画のオークション会場でフランス軍将校のジャン・バチスト(ヴァンサン・ペレーズ)と出会い、2人は恋に落ちるのだが、エリアーヌを奪われると恐れた父親が2人の仲を引き裂く。そして、偶然、街中で起きたテロに遭遇したカミーユをジャン・バチストが助けたことで、運命の歯車は回り出す、、、。

 植民地における宗主国出身の女性と将校、そして現地の娘の愛憎劇を描いた壮大な物語。


 
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 本作は、大昔にBSで放映されたのをVHSビデオに頑張って録画したのに、間違って上書きしちゃって、当時、ソフト化されていなかったのでガーン、、、となったことをよく覚えています。その後、大分経ってからじゃなかったですかねぇ、DVD化されたのは。長い年月を経て、ようやく見ました。

 これ、レジス・ヴァルニエ監督だったのですね~。見終わってから確認して、やっぱりそうか、と思いました。レジス・ヴァルニエ監督作品というと、『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』という素晴らしい映画があります。どこか、本作と語り口が似ているので、もしやと思いました。、、、つーか、見る前にそれくらい予習しとけよ、って感じですが、、、。

 まあ、なんとも壮大なオハナシでございます。幼かった養女カミーユが大人になって赤ちゃんまで産んで、その子が大人になるまで、足掛け40年近いお話です。40年経っても、ドヌーヴさまはお美しいまま、、、。いや、マジで、撮影当時48歳とは思えぬ美貌です、ドヌーヴさま。でもってまた、作中での衣装が素敵なことといったら。ため息が出てしまう。何を着てもお似合いというか、気品があるのですよね~。

 このドヌーヴさま演じるエリアンヌが、思いがけず恋に落ちるフランス軍将校ジャン・バチストを演じるヴァンサン・ペレーズが、まあ、イイ男には違いないんだけど、ドヌーヴさまに比べるとやや見劣りが、、、。誰なら良いかな~、、、ブノワ・マジメルとかはどーですかね。若すぎるか。ちょっと、ヴァンサン・ペレーズは品がないというか。ま、好みの問題ですけれど。

 植民地政策の功罪(と言っていいのか)を垣間見せられる作品です。エリアンヌは気丈な女主人で、現地の使用人たちを鞭打つ一方で、フランス軍の横暴から守ることもします。エリアンヌ自身、親友から受け継いだゴム園をとても大事にしており、植民地政策に反感を持つ現地の人間によるテロに遭いながらも、そのたびに立ち上がる、もの凄く強い女性です。ドヌーヴさまがとても魅力的に演じています。

 そんなエリアーヌがちょっと女性としてのはかなさ、弱さを見せるのがジャン・バチストとの恋愛。一瞬で終わりますが、エリアーヌの身を焦がすような思いが伝わってきてとても切ないです。

 結局、養女カミーユは自分と同じ男を好きになり、挙句、許嫁を捨ててその男の下に走り、逃亡生活の果てに子どもまで作って産むという、何とも壮絶な人生。

 最大の見どころは、カミーユとジャン・バチストの逃亡劇で、エリアンヌ自身は飽くまで受身な存在です。彼女自身が能動的に動いてドラマが動く、ということはありません。いわば、エリアンヌは運命と父親と植民地政策に翻弄された女性だった、ということだと思います。そして、対照的にカミーユは飽くまでも意思のままに生きた女性。ジャン・バチストとは引き裂かれたけれど、その子については潔く養母に託し、自らはレジスタンスに生きた女性となっています。

 母と娘の対照的な生き方を見せつつ、植民地という今から見れば特異な場所における、宗主国の人間と現地の人間の置かれた立場の違いも浮き彫りにしているところは秀逸だと思います。

 ジャン・バチストの悲惨な最期を見たエリアンヌは取り乱しますが、その姿から、彼女は、ジャン・バチストが養女の産んだ赤ん坊の父親になってもまだ、彼のことを愛していたのだと分かります。それがまた哀しい。

 そういう人間の心のひだを一つ一つ丁寧に描いているから、本作は見応えがあるのだと思います。 ストーリーを追うと、ふ~ん、、、という感じなんですが、その辺がこの監督の凄いところでしょう。そして一つ一つのシーンにほとんど無駄がなく、また映像がとても美しいのです。そういう点では『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』もそうでした(ちなみに、『イースト/ウエスト~』にもドヌーヴさまはご出演で、すごい重要な役どころを演じておられます)。

 こういう作品こそ、映画と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。決して、スペシャルだろうが何だろうかTVドラマでは真似できない境地です。






出番は多くないけれど、ドヌーヴさまの魅力を堪能できます。




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イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(2014年)

2015-05-14 | 【い】



 第二次大戦下のイギリス。ナチスドイツのUボート作戦により、大英帝国は国家の危機に瀕していた。それを回避するには、絶対解読不能と言われたドイツの暗号システム「エニグマ」を解読するよりほか、もう手はない。

 そして、その超難関国家事業のために呼ばれたのが、天才数学者アラン・チューリングを始めとする天才たちだった。激しい苦闘の末に解読に成功するが、チューリングの人生の苦悩は、むしろ、そこから始まった。

 
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 本作の主人公、アラン・チューリングは結構好きな数学者。なので、公開当初から見に行きたかったのだけれど、遅れ遅れになって、やっとこさ先日見に行くことができました。

 まずは不満な点から。

 大筋ではチューリングの半生をなぞっていますが、少年期の描写が“単なる同性愛に目覚めた時期”みたいな描かれ方で、ちょっとガッカリ。初恋の相手クリストファーの描写も中途半端で、チューリングの人生における“クリストファーとの出会いの衝撃度”があまり伝わってこなくて残念。

 実際のクリストファーは、学校一の秀才で、しかも人格的にも素晴らしい、優等生等という安っぽい勲章が似合わない少年だったのです。おまけに金髪碧眼の美少年(本作中では髪も瞳も茶色 でしたね)。このチューリングにとって“完全無欠”なクリストファーは、それまでダメダメ少年だったチューリングをあらゆる意味で根底から変革した人物で、彼との出会いがなければ、チューリングが後に国家を救った天才数学者となったかどうか、、、。この二人の心の交流、いや、チューリングの片想いは、もっと丁寧に描かれても良かったと思います。

 あと、ちょっと冒頭からデニストン中佐を悪人に描き過ぎな気が。そもそも、エニグマを解読するには数学的頭脳が必要なことは、彼が一番理解していたからこそチューリングが呼ばれたわけで、本作のように面接に来たチューリングに「なんでお前が」みたいなセリフはあり得ないのでは。解読に時間が掛かり、それなりに摩擦があったろうとは思いますが。

 とはいえ、映画としてまあまあ面白かったです。

 時系列があちこちするけど、別に見ていて混乱はしないし、エニグマがいかに解読困難だったかはよく分かる。解読後の苦悩も描いていて、単なる困難乗り越えました物語に終わっていないところも良いと思います。

 山場の一つである暗号解読を描くに当たり、実際にはかなり数学的理論が使われたそうだが、映画でそんな数学の群論だの何だのを披露されても観客はチンプンカンプンなわけで、それでも解読への盛り上げを作らなければならないというせめぎ合いで、脚本執筆はさぞや大変だったろうと思われます。本作では、難しい数学理論のセリフはほぼ皆無で、それでも、解読が困難を極めたことを非常に上手く描写しており、その点は素晴らしいと思います。

 あとは、まあ、何といってもカンバーバッチの演技力です。決してハンサムじゃないけど、人を惹きつける引力のある俳優ですよね~。声も低く渋くてgoo。一方のキーラはますます老けてしまい、26歳だかの設定だけど、せいぜい30代前半にしか見えません。相変わらずの、独特の品のない笑い方と痩せ過ぎな体型は、どうも魅力を感じられない、、、。輝いていないのよね、ヒロインなのに。

 アラン・チューリングを初めて知ったのは、2001年に教育テレビ(現Eテレ)の「人間講座~天才の栄光と挫折~天才数学者列伝」で、藤原正彦氏が歴史上の天才数学者について語っていたのを見た時でした。

 番組内で藤原先生が言っていたけれど、チューリングの不幸な晩年は、結局、国家機密に深く関わってしまったことにあったのだということに尽きます。エニグマを解読したことは戦後も絶対秘密、戦後のコンピューター研究はイギリスの水爆開発というこれまた超弩級の国家機密と関わっていたとか、、、。その張本人が犯罪者=同性愛者であり、同性愛者はプレッシャーに弱いという俗説の下、なおさら国はチューリングの存在を危険視したということのようです。本当に、不幸な要素が重なってしまいました。彼が国を救い、国民を救ったのにもかかわらず、、、。なんという仕打ち。

 死後60年経って名誉回復したのがせめてもの救いでしょうか。その栄光に比べ 、あまりに影の濃過ぎる人生に、胸が苦しくなります。

 「天才の栄光と挫折 天才数学者列伝」は文庫本になっているみたいです、読んでいませんが。「人間講座」のオンエアはバッチリ全8回VHSに録画してあったのでデジタル化しました。それくらい、とても面白い番組なんですよ、ホントに。また再放送するなりオンデマンドで配信するなりすれば良いのにと思います。どーですか、NHKさん。


 



天才は、やはり、平坦な人生を歩むことはできない運命にあるらしい。




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イリュージョニスト(2010年)

2015-02-14 | 【い】



 流しの老いぼれ手品師タチシェフは、いよいよ自分の居場所のなさに覚悟を決めつつある今日この頃。が、しかし、そんなある日、自分のことを手品師ではなく、魔法使いと信じ込んだ少女アリスが、流しの旅に着いてきてしまう。

 アリスに我が娘の面影を見たタチシェフは、魔法使いを演じ続けるが、そんなの長続きするはずもなく、少女は少女で成長していく・・・。タチシェフの下した決断は、、、。

 ジャック・タチが残した脚本をアニメ化した作品。タチシェフとは、タチの本名なんだって・・・。知らなかった。

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 こないだまでギンレイで『ぼくを探しに』 がかかっていましたね。再見しに行く気にはならなかったけれども、ちょっと、シルヴァン・ショメという監督さんに興味を抱いたので、これまでの作品を見てみようと思った次第です。

 予備知識はアニメだってこと以外ほとんどなくて、もちろん、ジャック・タチの脚本とも知らずに見たんだけれど、なんというか、とっても切ない作品でした。

 とにかく、セリフがほとんどないのね。そして、絵がとっても美しい。アニメに一家言ある人間ではないので、技術的にどうこう書けませんけれど、手書きの人物と、背景の3Dがよくマッチしていて、奥行きのある絵になっています。何だか、背景だけ見ていると、アニメであることを忘れそうになることも。それくらい、よく出来た絵です。

 アリスは、スコットランドの離れ小島に住む世間知らずの娘、という設定で、タチシェフが手品付きで赤い靴をプレゼントしてくれたのを、魔法でプレゼントをくれたと思い込むわけですが、、、。タチシェフが島を離れると着いてきて、エジンバラで同じ宿に泊まり共同生活を始めます。

 タチシェフとしてみれば、自分の身の振り方を考えていたようなときに、アリスが自分を尊敬の眼差しで見て慕ってくれているのは、ある意味、自尊心をくすぐられたのだと思います。娘の面影、というのは、最後まで見て初めて分かることで、これは副次的なものという気がします。

 結局、魔法使いごっこは長続きせず(そのために、タチシェフは慣れないバイトまでするんです、資金稼ぎのために)、タチシェフは少女の下からそっと消えます。これには、ほかにも理由があって、少女が若い男性に恋をするからなんですが、これを知ったタチシェフは、いつまでも自分が側にいて魔法使いやっていることは、却ってアリスにとってよろしくないと判断したのでしょう。あるいは、いずれ、自分はアリスにとって邪魔になり、今よりさらに惨めな手品師になってしまうことを、無意識のうちに予感したのかも。

 特典映像で、プロデューサーが言っていたコメントが印象的です。「この作品はとてもシンプルで、失うことと、手放すことを描いている。人生にはそういうことが付き物で、誰かを解放することで、自分も喪失感から自由になる」

 確かに、、、。私のとるにたりない人生でも、そういうことはあったもんなぁ。昨年だったか、TVで島田雅彦が、幸せとは、「断念の後の悟りだ」と言っていたけれども、まさに、これはそういうことでしょう。固執していたものを手放すことで、自らも解放されるという、、、。

 タチシェフが手放したものは、一元的には、アリス自身、アリスからの尊敬の念だけれど、それは詰まる所、自分の手品師としてのプライド、、、。あれほど大事にしていた手品の小道具でもあるウサギを野に放つのは、その象徴シーンかも。

 この2人のほかにも登場人物はいるのですが、いずれもなんというか、人生の黄昏を描いていて、これも切なさを感じさせますねぇ、、、。老いるって、でも、切ないばっかりでもないでしょうに。喜劇王ジャック・タチの裏面ってことかしらん。

 タチシェフから見れば、人生の幕の引き方、ということになるけれど、アリスの視点から言えば、本作は、彼女の大人への成長物語でもあります。あまりにも世間知らずだった彼女が、短い間に広い世界を垣間見、恋までするんですからね。タチシェフとの魔法使いごっこが終わって島に戻りました、ハイ、めでたしめでたし、という童話ではありません。

 これからの彼女の人生は、何となく波乱を予感させるのですが、そう感じたのは私だけ・・・?

 まあ、意地の悪い見方をすれば、アリスは、もしかしたら全て承知の上だったかも、という可能性も。あの島を抜け出したかったところへ、タイミングよく優しそうなタチシェフが現れた。そこへ乗じて、、、なーんて。アリスが、あの後島に戻りそうな感じがしないので、余計にね。ま、一つの可能性です、飽くまでも。

 タチシェフが、作中、映画館に迷い込むシーンがあり、その時、スクリーンに映っていたのは、あの『ぼくの伯父さん』でした。『ぼくの伯父さん』なんて、もう大昔に見てあんまし覚えていないけれど、魚の形をしたオブジェの噴水(だったっけ?)が、もの凄く印象に残っています。そのオブジェも映っていまして、そこで初めて、タチシェフという名前からして、ジャック・タチとの関連に気付いたという、、、。すごい鈍い、我ながら。

 シルヴァン・ショメ。やっと覚えました、お名前。美的センスが良いなぁ。話題の『ベルヴィル・ランデブー』も見ることになりそうです。



自分をがんじがらめにしているのは、案外自分自身だったりする。




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イヴ・サンローラン(2014年)

2014-09-13 | 【い】



 一目あったその日から、恋の花は咲いてしまい、生涯、イヴ・サンローランのパートナーとなるピエール・ベルジェ。天才のイヴを公私にわたり支えるが、イヴは自らの才能に押しつぶされそうになり、神経をすり減らしてドラッグ&アルコールに走り、ピエールとの仲も何度となく危うくなる。

 しかし、その一方で、イヴは何度もデザイナーとしてはよみがえり、世界を牽引する伝説のイヴ・サンローランに・・・。観客とモデルの拍手・賞賛に包まれ、彼はステージ上ではにかむ。

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 何でも、ブランド公式認定映画とか。個人的に、ファッションに対する興味はごくごく人並みであり、ブランドにも詳しくないし、当然ファッション史など無知と言って良いレベル。ただ、ベルジェの全面バックアップの下に作られたというだけあって、これでもかと溢れる華やかな衣装の数々は、まさしく絢爛豪華そのもの。これらを見るだけでも、本作は一見の価値アリかもです。

 まあ、いくら無知でも、イヴ・サンローランがゲイだったことくらいは知っていたわけですが、結構、ゲイのラブシーンが頻繁で、これはちょっと参りました。まあ、きわどいところでカットしてくれているのでぎりぎりセーフではありましたが、それでも何度もキスシーン見せられるのはちょっとツラいとこ。

 冒頭で、彼がいかに天才だったかを描写したシーンが出てきます。そして、自身のブランド立ち上げ直後のショーの最後に、観客の前で挨拶のお辞儀をするシーン。ここで、イヴがどんな人かを端的に描いていて、秀逸だと思いました。

 、、、ただ、まあ、こういう天才アーティストにありがちな「ゲイ+ドラッグ+アルコール」が3点セットで出てくると、これが史実なんだから仕方ないのだけれど、なんつーか、もう食傷気味で、オエッ、って感じでして・・・。あー、ハイハイ、と言いたくなるというか。そういう描写がかなりしつこく出てきたから余計にそう思ったのかも知れませんが、別にここまでその描写にこだわる必要って・・・、まあ、やっぱりあるんでしょうねぇ。

 3点セット抜きに、彼の人生が語れないのは分かるけれども、そこでもがきながらも、いかにデザインの世界で苦闘したか、どうやってデザインを生み出していったのかに焦点を当てても良かったんじゃないのかしらん。他のライバルデザイナーに抱いた対抗心とか、世界にもっと認められたいという向上心とか、虚栄心とか、そういう苦しみもあったんじゃないかと思う訳です。それが、全部3点セットにつながるんだよ、と言われたら、はいそーですか、としか言いようがないんだけれど、これじゃあんまり芸がないんじゃないでしょうかね。

 ま、その辺りが、ベルジェのバックアップの限界だったのかもという気もします。ベルジェとの関係性に重きを置かざるを得なかった、、、とか。邪推ですけど。小耳にはさんだところでは、ブランドの許諾を得ていない、別の「サンローラン」映画が近々公開されるらしいのですが(イヴをギャスパー・ウリエルが演じているそうです)、こっちも見比べてみると面白いかもです。

 ところで、本作は、彼の晩年は描かれておらず、バレエ・リュスのコレクション発表がラストシーンとなっています。バレエ・リュスといえば、こないだまで開催していた「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」に行きそびれたのだけれど、あー、つくづく惜しいことをしたものだと本作を見て改めて後悔。映画と違ってリバイバルとかDVDとかないからなぁ・・・。行きたい、と思った催し物には、必ず行くべし。


アーティストにはお約束の3点セットの描写が食傷気味な作品



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