映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

恥(1966年)

2016-02-16 | 【は】



 以下、アマゾンの紹介文よりコピペです。====ここから

 <ストーリー>
 元バイオリにストのヤーンとエーヴァは戦争を避けて街の中心地から離れた小島で静かに暮らしていた。しかし、内戦が激化し、敵軍が島へ浸入してきたことで戦禍を被る。気が付けば両陣営が2人の家に乱入し平和な生活はすっかり破壊されてしまう。凄惨な争いを目の当たりにしたことでヤーンとエーヴァも変わってしまっていた……。

<ポイント>
 ●マックス・フォン・シドー×国際派スウェーデン女優リヴ・ウルマン主演
 ●信仰がなく政治的な立場を持たない普通の人々が、戦争に翻弄される様子を描く。恐ろしく残虐な人間の本性が戦争によって浮き彫りになっていく。戦争の不条理さを訴えるのが難しかったベトナム戦争の時代に、ベルイマンが描いた問題作。

====コピペ終わり。

 ということだそうです。ベルイマン作品は初見なのですが、救いのない内容にあらすじなぞ書き様もなく、アマゾンさんに頼ってしまいました。しかし、鑑賞後感は、、、違う意味でちょっと救われた感じにもなりました。
  

  
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 『地獄に堕ちた勇者ども』で、ヴィスコンティ映画は不親切だということを書きましたが、ベルイマン氏もそのようですね、、、。ってまだ1本しか見ていないけど、多分、本作がこういう作りでありながら、他の作品が親切な作りだとは到底想像できません。とはいえ、ヴィスコンティみたいな“アホは見んでよろしい”みたいな雰囲気はありませんが。

 大体、本作における重大な背景となる戦争ですが、何の戦争だか分かりません。というか、設定となる場所も不明だし、、、。解放軍、という言葉が出てくるくらいで、戦争の背景についての説明はまったくありません。

 、、、が。確かに、そんなことは本作においては割とどーでも良いのか、と見ているうちに思って来ます。つまり、戦争そのものというより、戦争によって人間がどうなるかを描いているわけだから、あえて○○戦争という背景が分かるものにフォーカスしなかったのだろう、と、まあ、アホなりに想像はできます。

 この夫婦は、元はオーケストラのバイオリン弾きということなので、芸術家夫婦なわけですね。ある意味、感性はお互い共鳴する部分があるのでしょう。しかし、本作での2人は、どうもこう、、、微妙に噛み合っていないというか、ズレているのです。夫婦なんてズレているもんだ、と、平和な時にのたまっているのと違って、何と言うか、、、とにかく、不穏なんです、この夫婦。

 その不穏さを感じる要因は、どっちかというと夫にあります。非常に怪しいんです、この男。怪しいというより、いかがわしい。見た目がじゃなくて、言動が。

 序盤でのシーン。夫婦は不妊のようで、妻が「子どもが欲しい」と言うと、夫は「戦争が終わってからにしよう」と返す。どうやらこの夫婦は一時期夫の仕事の都合か何かで別々に暮らしていたらしいのだけれど、その間の夫には不貞疑惑があるらしい。その時の不特定多数の女性との関係が不妊の原因ではないかと妻は疑っている。しかし、そのことを妻に言われると「また蒸し返すのか」と不機嫌になり、「愛していたのは君だけだ」とか言う。そして「愛なんて知らないくせに」「自分を愛しているだけのくせに」と妻に返される。和やかな雰囲気にそぐわぬトゲのある会話、、、。

 しかもこの夫はヘタレで、ちょっと状況的に追い詰められるとキレて投げ出そうとしたり、かと思うと「愛してる」とか言って妻にすがりついたり。なんだかなぁ、、、ヤだ、こんな男、と思っちゃう。

 でも、妻もちょっと不可解。まあ、夫を愛しているというよりは情があるということなんだろうけど、夫を突き放したり、罵ったりする一方で、スキンシップを求めたり。かと思うと、別の男(市長)と不貞行為(?)に及んだり。、、、ううむ。

 まあ、夫婦だから当然イロイロあって、揉めたり仲良くなったり罵り合ったり慰め合ったり、というのは分かるのですが、どうもこう、、、夫婦の痴話喧嘩を超えた、ただならぬ空気が常にこの2人には纏わりついているのです。

 この夫に対するイメージ、、、人間的に、セコい、コスい、超利己的、、、。その印象は、話が進むにしたがって確信へと変わってきます。

 終盤、夫の決定的な厭らしさを見せつけられるシーンが立て続けにあり、ようやく妻は夫と別々の道を行く決心をしたかに見えるんだけど、結局夫とともに小舟に乗り海へと出る。

 船で眠ってしまった夫婦だけれど、気が付くと、船の回りを兵士の死体が埋め尽くしていてギョッとなる。そして、妻はうわ言のような詩のようなセリフ――戦火に包まれるバラを見ながら赤ん坊を抱いていた――を夫につぶやき、ジ・エンド。、、、嗚呼。

 夫を嫌悪し、夫に絶望しているのに、その夫と小舟に共に乗り、海原を漂う。私だったら、ゼッタイこんな夫と運命共同体になりたくないので、一緒に小舟などに乗らないけれど、この妻は乗るんだよね。でも、それが夫を愛しているから、とは到底思えない。

 なんというか、こう、、、より深い絶望から逃れるために浅めの絶望を選ぶ、みたいな感じ。戦争は終わる気配はなく、このままではどんどん夫婦は溝が深くなるだけ。だったら、他に頼る術のない小舟に一緒に乗ることでせめて傷を舐め合いましょう、、、という風に感じたラストでした。ノアの方舟、てなところでしょうか。見渡すばかりの海原に漂う小舟は、まさに救いの感じられない画です。

 それはともかく、このタイトル『恥』です。何を意味するのか。

 もう「生きること」そのものが“恥”だと言われているような気がしました。生きることとは恥をかくことだ、とね。恥をかかずに生きていけるものか、ということではないでしょうか。

 最近、年齢的なもののせいか、太宰治じゃないけど、私の人生、恥だらけ、、、と思うことがしょっちゅうあります。よせばいいのに、恥の一つ一つをほじくり返すように思い出しては叫び出しそうになることもしばしば、、、。と言って、後悔しているわけでもなく、ただただ、自分のアホっぷりに恥じ入る訳です。今も十分アホだけれども、あん時の自分はその何乗もアホだったよなぁ、、、。だから、本作を見て、ほんのちょっとだけ、私自身は救われた気がしたのです。戦時下の人間のそれと、泰平の世に生きる私のそれと同じ土俵に乗せて考えるのは不謹慎かもしれないけれども、所詮、人間なんて恥かいて生きていくものなんだ、恥ずかしいことばっかして過ぎていくのが人生なんだ、と言われたような気がして、自分だけじゃないんだぁ、、、と。

 こんなことを書いて、後に読み返して、また恥だと思うんだろうな、、、と予感しながらも、その昔、「モノを書くことは恥をかくことだ」とある先生に言われたこともあるし、、、ま、いいか。
 
 




リヴ・ウルマンが美しいです。




 ★★ランキング参加中★★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする