





以下、公式サイトよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
19世紀、イギリス。作家を夢見るメアリーは、折り合いの悪い継母と離れ、父の友人のもとで暮らし始める。
ある夜、屋敷で読書会が開かれ、メアリーは“異端の天才詩人”と噂されるパーシー・シェリーと出会う。互いの才能に強く惹かれ合う二人だったが、パーシーには妻子がいた。情熱に身を任せた二人は駆け落ちし、やがてメアリーは女の子を産むが、借金の取り立てから逃げる途中で娘は呆気なく命を落とす。
失意のメアリーはある日、夫と共に滞在していた、悪名高い詩人・バイロン卿の別荘で「皆で一つずつ怪奇談を書いて披露しよう」と持ちかけられる。深い哀しみと喪失に打ちひしがれる彼女の中で、何かが生まれようとしていた──。
=====ここまで。
小説「フランケンシュタイン」を書き上げるまでのメアリ・シェリーについての映画。2019年初っぱなの劇場鑑賞作。
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小説「フランケンシュタイン」が生まれる契機となったといわれる“ディオダディ荘の怪奇談義”を描いた、ケン・ラッセル監督『ゴシック』(1987年)という気の狂った映画を大昔に一度だけ、多分、テレビの深夜放送でたまたま見掛け、あまりのイカレっぷりに衝撃を受けたんだけど、内容をあんまし(というかほとんど)覚えておらず、ガブリエル・バーンの怪演と、ジュリアン・サンズの美貌だけがうっすら脳裏に残っていて、そもそもその映画がケン・ラッセル監督作だということも割と最近知り、DVDをamazonで物色したけど口コミに「映像があまりに酷い」とかロクなことが書かれていなかったので、どうしよう、、、と思っているうちに、昨年だったか久しぶりに検索したら既に品切れになってしまっていて、ますます再見する機会が遠のいてしまいました。
仕方がないので、小説「フランケンシュタイン」を読んだり、『ゴシック』の中古パンフをamazonで購入したり、2014年のEテレ「100分de名著」で「フランケンシュタイン」が取り上げられたときにテキストも買ったりして、時々、この『ゴシック』にまつわるものに思いを馳せておりました。見られないとなると、異様に気になる困った性分、、、。
そして、このたび、メアリの半生が描かれた映画が公開されると耳にし、しかも監督があの話題になった『少女は自転車にのって』(未見ですが)のハイファ・アル=マンスール(あのサウジ出身の女性監督)となれば、まあ、一応見ておこうかな、、、と気持ちが動いて、劇場まで行ってまいりました。
まあ、、、これは言ってもせんないことだけど、私の中にある勝手なメアリやパーシーのイメージが、ちょっと、というかなり、エル・ファニングやダグラス・ブースとは違っていて、まあ、それでもそれがもの凄くネックになったというわけじゃないんだけど、2人の登場シーンから“あ゛ぁ、、、、”と心の中で頭を抱えたことは事実であります。
……というエクスキューズを最初にした上で、以下、感想です。
◆食い足りない、、、。
割と史実の時系列に沿ったシナリオになっているようだけれども、まぁ、そんなことは映画ではあまり気にならない。正直なところ、全体にグッとこなかった。
パーシーもバイロンも、ろくでもない男だってことは知っていたけど、映像で見せられると、マジで呆れる人たちで、こんなヤツと駆け落ちしたメアリまで(私の)見方が変わりそうで、何だかいたたまれなくなってしまった。
18歳でSF小説の嚆矢「フランケンシュタイン」を書き上げたメアリは、両親も先進的な思想家でもあり、さぞかし賢く魅力的な女性に違いない、と勝手にイメージをしてしまいがちなんだけど、まぁ、賢い女が男を見る目も優れているとは限らないのは世の常で、メアリもその一例ということですかね。当時から結婚制度に懐疑的だったといわれるメアリの実父ウィリアム・ゴドウィンだが、自分の娘が不倫の恋に賭けて駆け落ちしようという際に、こう言う。
「自分の子どもを捨てられる男だぞ」
これって、妻を捨てられる男ならいいのかね? ……などというのは、あまりにも捻くれているかしらん。まあ、でも、このお父さんのセリフはそのとおりだと思うし、お父さんは実際、女性関係においてもかなり真面目な人だったように思われる。
本作への有名人たちのメッセージを公式HPで目にし、フェミニズム的なコメントをしている人がちらほらいたけど、それはまぁ別に良いけど、「怪物よりも百倍怖いのは、 女の子の未来を食い潰す、 偏見、差別、男の身勝手な欲望だとわかる」ってのは、いささか引いてしまう。本作からそこまで読み取るかね? この時代、偏見、差別で未来を食い潰されたのは女の子だけじゃないし、イギリスはいまだに厳然たる階級社会。そもそも駆け落ちしたのはメアリ自身の強い意志であり、あの時代に、駆け落ちを選択できるだけ、まだメアリには勇気と行動力があったとも言える。そんな機会にさえ恵まれず、ただただトコロテンみたいに押し出されるように生きざるを得ない人々が圧倒的多数だったと思うけどなぁ。
そういう意味では、姫野カオルコの「これは“昔”の話ではない。“今”の話だ。頭ごなしに否定されて暮らす人たちが今も世界中にいる。その一例としてのメアリーと、そして彼女の妹の物語は、現代の人間こそを惹きつける」というメッセージが一番しっくり来た。
そして、グッとこなかった最大の理由は、恐らく、“ディオダディ荘の怪奇談義”のシーンがイマイチだったから。『ゴシック』でもパンフの表紙になっているあのフューズリの「夢魔」らしきものも出てくるが、かなりアッサリ(と私には感じられた)した描写で、ううむ、、、という感じ。別に、ケン・ラッセルと同じタッチなど全く期待していなかったつもりだけど。少しは期待していたのかしらん。
◆その他もろもろ
俳優のイメージがもの凄くネックになったわけじゃない、と書いたけど、やっぱし、エル・ファニングのメアリは、かなりイマイチだった。エル・ファニング自身は可愛いし、演技も良いし、別に彼女に責任があるわけでは全くない。私のイメージと違うという、、、。
なんだろう、メアリは、もう少しキリッとした大人っぽい美人の方が合っている気がするのね。エル・ファニングは、童顔で愛らしいという感じでしょ? 知的、って感じもちょっと薄い。
じゃぁ、誰ならいいんだよ? と自問してみたけど、最近の若い俳優さん知らないしなぁ。強いて挙げれば、アリシア・ビキャンデルの方が、まだエル・ファニングよりは大分良いと思う。アリシアのあの、意志の強そうな、根性ありそうな、それでいて細身の美人で、、、っていうのは、割と私の抱くメアリのイメージに近い。ナタリー・ポートマンの若い頃なら、かなり近いかも。まぁ、でもナタポーも、時代劇ではあんましパッとしないから違うかな。
よく分からんけど、とにかく、エル・ファニングではない、ってことです、はい。
あと、びっくりしたのは、メアリとパーシーの駆け落ちに、メアリの義理の妹クレアが着いてくること(後でよく読んだら、「100分de名著」のテキストにもちゃんと書かれていたが)。駆け落ちに着いてくる方もアレだけど、それを許すメアリとパーシーも凄い。しかもこのクレア、バイロンに迫って彼の子を身ごもるんだからね。当時の女性たちが虐げられていた一色ではないってことよ。こういう現代のオバサンから見ても引いてしまいそうな肉食女は人類の歴史と共にいたんだと思うわ。
パーシーを演じたダグラス・ブースはイケメンらしいけど、私の目にはあまりそう見えなくて残念。ネットで検索したら、劇団ひとりの画像と並んでいるのがあって、ウケた。確かにちょっと似ているかも。まあ、放蕩児を演じるにはいささか真面目過ぎる感じかな。実態は真面目かどうかは知らんが。
バイロンのトム・スターリッジは、なかなか良かったと思う。ガブリエル・バーンほどのキョーレツさはなかったけれど、十分ヤバい人だった。あと、「吸血鬼」の原作者とされるジョン・ポリドリを演じたベン・ハーディは、本作では存在感がやや薄かったけど、『ボヘミアン・ラプソディ』でロジャー・テイラーを演じていたと、後で知って驚いた。本作を見たすぐ後に『ボヘミアン・ラプソディ』を見たのに、ゼンゼン分からなかった!
本作は、小説「フランケンシュタイン」が生まれるまでを描いた映画だけど、メアリはこのデビュー作以上の小説を、結局残せなかった。そういう意味では、彼女の人生のハイライトは、この辺りだったのかも知れない。パーシーとは、前妻が自殺したその10日後くらいに正式に結婚しているが、パーシーもその6年後に事故死していて、メアリの人生は波乱続きだ。彼女が幸せだったかどうかは分からないし、そんなことはメアリ自身が決めることだけど、デビュー作にして最高傑作となった「フランケンシュタイン」が、彼女の死後200年近くを経て、文学史におけるSF小説の金字塔となっていることは、メアリの苦労に一矢報いていることには違いない。
こうして小説「フランケンシュタイン」は生まれました。
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