作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv76124/
以下、公式HPよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
1924年、初夏のように暖かな3月の日曜日。その日は、イギリス中のメイドが年に一度の里帰りを許される〈母の日〉。けれどニヴン家で働く孤児院育ちのジェーンに帰る家はなかった。
そんな彼女のもとへ、秘密の関係を続ける近隣のシェリンガム家の跡継ぎであるポールから、「11時に正面玄関へ」という誘いが舞い込む。幼馴染のエマとの結婚を控えるポールは、前祝いの昼食会への遅刻を決め込み、邸の寝室でジェーンと愛し合う。
やがてポールは昼食会へと向かい、ジェーンは一人、広大な無人の邸を一糸まとわぬ姿で探索する。だが、ニヴン家に戻ったジェーンを、思わぬ知らせが待っていた。
今、小説家になったジェーンは振り返る。彼女の人生を永遠に変えた1日のことを──。
=====ここまで。
グレアム・スウィフトの小説「マザリング・サンデー」の映画化。
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原作未読。某紙の映画評が褒めていたので、コリン・ファースも出ていることだし、イギリスの階級モノは面白そうだし、、、と期待値高めで見に行ってまいりました。……が、これはかなりの期待ハズレでござんした。
以下、本作がお好きな方はお読みにならない方が良いかもです。ネタバレもしておりますので、よろしくお願いします。
◆ラブストーリーか?これ、、、
名家の子息を演じているのは、ジョシュ・オコナーくん。2年前にNHKでオンエアしていたドラマ「レ・ミゼラブル」ではマリウスを、『ゴッズ・オウン・カントリー』(2017)では一転、寂れた牧場の青年ジョニーを体当たりで演じていた。
そのときも思ったけど、マリウスよりジョニーの方が全然彼には合っていたのよね、雰囲気とか。なので、ポールは良家のお坊ちゃんという設定なんだが、あんましそういう風に見えなかった、私の目には。ネット上では、ピッタリ!と感想を書いている人もいたので、これは好みの問題ですな。
で、ジェーンとポールが身分違いの恋に落ちたいきさつが、出会った瞬間しか描かれておらずに全く分からない。気付いたら2人は素っ裸でベッドにいるんだもんね。まあいいけどさ。
本作の予告編を見ても、キャッチコピーを見ても、“身分違いの恋”がメインストーリーかと思うじゃない? でも、違ったのだよ。これは、出自の分からない孤独な女性ジェーンが、階級社会のイギリスでいかに自立して生きていくこととなったか、、、という、女の駆け足一代記なのでした。……ごーん。
それならそうと、それを匂わせるプロモーションをすれば良いのに、、、と思うけど、“フェミ映画”の烙印を押されるのを恐れたか。フェミ映画じゃ、観客動員は望めないもんねぇ。一応分かりますよ、配給会社の気持ちも。実際、フェミ映画ってわけでもないしね。
~~以下、ネタバレです~~
HPの惹句にもある「人生が一変した日曜日」だけど、これは、この日曜日にポールとさんざんセックスし、その後、ポールが事故死しちゃった日、ということ。
でも。ポールが生きていたらジェーンの人生はどうなっていたというのか。身分違いの恋が成就することなどあり得ないのだから、せいぜい妊娠するか、お払い箱にされるかだが、ジェーンはまあまあ賢い女性なので、そういう自分の先行きを早めに見通して、いずれにせよ自立の道を選んだのではないか、と思う。
……とすると、別に、ポールの死んだ日は、彼女の人生を一変させた日、というほどのことでもないのではないか。と思ったのだった。自立の日が早く来ただけ、、、と。
好きな人、大切な人を突然失うことなど、人生において珍しいことではない。もちろん、それは悲劇的なことであり、受け入れがたいことには違いない。けれども、遺された者の人生に、第三者が勝手に何らかの意味付けをするのは違うだろう、とも思うのだ。遺された者がその事実をどう自分の人生に意味付けるかは、その者自身にしかできないはず。
本作内でのジェーンは、哀しみと向き合い、人生の流れに逆らわずに生きているように描かれていた。だから、この惹句は、日本で勝手につけられたものではないか?と思ったが、英語版公式サイトにも“But events that neither can foresee will change the course of Jane’s life forever.”と紹介文にあるので、やっぱりそういうことなのかねぇ、、、。ま、いっか、別に。こだわるほどのことでもありませんね。
◆その他もろもろ
ジェーンを演じたオデッサ・ヤングは脱ぎっぷりが良いのはあっぱれなのだが、一糸まとわぬ姿でポールの屋敷内を巡るシーンが結構長々と続き、見ていて、「寒いんじゃないの?」とか「でもこれ、スタッフが大勢いるところで撮ってるんだよね」とか、いらんことを考えてしまった。その姿のままモノを食べるシーンもあり、うぅむ、裸でモノを食べるってのは私的にはあり得ないので、かなり驚いた。これも文化の違いかしらん。
それはともかく、主役で演技も良かったけど、脇を固めるオリヴィア・コールマンの存在感に圧倒されていた感じだ。コールマンの出演時間は短いけれど、インパクト大。「あなたは生まれたときから孤独。それがあなたの強みなのよ」(セリフ正確じゃありません)と、息子を第一次大戦で亡くした母親として、ジェーンがポールを失って悲しみに暮れているとは知らずに(ポールとジェーンの恋は秘密だったので)言葉を掛けるシーンが、本作での白眉でしょう。
もし、ジェーンの人生を変えた一日、と敢えて言うのなら、コールマン演ずるニヴン夫人にこの言葉を掛けられたことではないか、と思う。ポールを亡くしたことよりも、私はこのシーンの方がジェーンにとっては重要だったと感じた次第。
コリン・ファースは良いご主人様役。ジェーンが暇乞いしたときも、穏やかにそれを受け入れる。妻のニヴン夫人のエキセントリックさに疲れているけど、突き放しもしない。諦めているのかな、、、。
途中で死んでしまうので出番は少なめだったジョシュ・オコナーくんは、有望株なのでしょうか。私的にはあまりピンと来ないけど、演技は良かったと思う。全裸で一物がモザイクなしで丸出しのシーンがあって、そこから服を着ていくんだが、上半身から着ていくのよね。いつまでたっても、あそこは出しっ放し、、、。一応、演出の意図はあるんだろうけど、私には分からなかったわ。早くパンツ履いてくれ!!と思っていた。
ジェーンが裸で歩き回る屋敷の図書室が素敵だった。東洋文庫の図書室みたい、、、。
ザ・雰囲気映画。
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