大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

今日は長閑で春めいた

2025年01月23日 | 島暮らし・街暮らし

今朝は6時半に床を出て、洗濯やゴミ出しをやり、寒風でしっかり乾くうどんの注文もした。

もう直ぐ一時帰宅するし、植木仕事の仲間達の様子もみたいから手土産にしたいし、山仲間達にも渡したい。

 

そのうどんを注文しに出たら雲が面白い形で広がっていた。

三日月も良い塩梅に光っていたので撮ってみた。

 

 

目一杯アップでもこの程度  

シンボルツリーの痛々しさがなあ

日が出る頃には雲の賑やかさも消えた

 

九州の西の外れの島だが、その西を向いた入江奥の村で、北西の風が半端無く吹き荒れて耐え難い寒さ。

それでも陽射しさえあれば日向ぼっこしながら読書に耽る至福の時を味わう事もある。

本は浅田次郎の「輪違屋糸里」だが、さすがに読ませるよなあ。

桔梗屋の吉栄が糸里に自分の来し方を吐露する場面で、思わずポロリとやらかすとこだった。

 

晩飯は昨日のカレーがあるし、せっかくだから日が陰るまで読んでおこう。

何とかこの上巻は読み終えたい。

 

 

 

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やり残した山が4つあるが

2025年01月13日 | 山計画

久し振りの蛤浜も曇天ではイマイチ

 

 

2010年に以下の10山を「登りたい山」としてリストアップしていた。

 

1. ニペソツ山
2.カムイエクウチカウシ山
3.聖岳
4.鳥海山
5.中の岳から越後駒ケ岳
6.白馬から朝日岳
7.薬師岳から黒部五郎岳
8.会津駒ケ岳
9.安達太良山
10.祖母・傾

 

それから何と14年も経ったと言うのにまだ行ってないのが4つもあるのだから呆れる。

赤字の4座だが二ペソツは林道通行不能で行けないし、カムエクは体力・技術不足でもう無理。

白馬から朝日はあの朝日小屋に大昔に電話で18時頃到着予定と言ったら、「そんなに遅く到着予定なんて初めて!」と返されて行くのを止めた。

まあ白馬はそれほど行きたいとも思わないし、会津駒くらいはやっておきたい気はする。

やるなら小屋が空いてるブナの新緑の時期が狙い目かもだな。

駒の小屋の定員が少なくて予約取り難いのがネックだが、あの奥の手のビバークもあるが真夏じゃないとなあ。

新緑の頃空いてたら朝イチで出れば何とかその日の内に小屋には着けるだろう。

 

今年はあの暑さでシルバーの剪定班は7月8月が休業になるから精一杯遊ぶつもりだ。

それでも大雪の白雲岳避難小屋や黒岳石室での泊りでの軽い歩きしかできないが。

それも白雲の小屋周りに熊が出没しなければなんだが、また出るような事になれば石室に寝て裾合平のチングルマの旬に歩く手もある。

 

旭岳温泉のユースでアルバイトしながら大雪の散歩を楽しむ手もあるが、さすがに77のジジイは無理だろう。

7月初めに泊まって2週間程度の就業打診してみる手かな。

とにかく8月の旧盆が弟の初盆だから、初旬には島に渡らないと駄目で忙しない夏になるな。

 

 

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弟も村のシンボルツリーも死んだ!

2025年01月09日 | 島暮らし・街暮らし

マザーツリーの悲惨な姿 

 

 

 

さすがにこんなんではほぼ臨終

 

数年前から時間の問題と思ってたがとうとうだな

と思っていたら地元民の従兄弟は結構しぶといから春には芽が出ると言ったが、本当だろうか?

予想が、外れて元気な姿を見せてくれたら嬉しいが。

 

 

新年早々とんでもない事になった。

今年は真面目に山歩きしようと元旦に弘法山を歩き、2日は11:30頃に二ノ塔の直前でスマホが鳴り、朝弟が死んでるのを発見されたと。

頭真っ白になり、焦って下山したが走る訳にも行かず、普通にコースタイムで降りて、帰宅は15時過ぎだった。

衣類やらスマホ充電器などをパッキングして、どうにかスカイマークの20時羽田発福岡行きの最終便に乗り込んだ。

福岡までたどり着けばあの野母商船のフェリー太古が控えてくれてる。

23:45発5:40着(青方港)で頗る効率が良い。

 

弟の死亡の顛末

暮のクリスマス前に長崎での定期検診を受け26日に帰宅した。

数日後に風邪の症状が出、大晦日・元日の両方訪れた従兄弟と話したがベッドの中からで、風邪が伝染るから近づくなと言った由。

翌朝2日の9時頃直ぐ下の家の従姉妹が訪れて、台所のテーブル下に横たわる弟を発見。

不審死の為警察案件となったが、事件性は無く検死で死因は「細菌性肺炎」、死亡推定時刻は2日午前1時頃の由。

遺体受領は肉親しかできず、俺の到着を待ってたが、15時に受領したから約38時間と少しで帰宅した。

思うに検診の後に飲み屋に行ってる筈だし、行き付けのスナックなどでも飲んでる筈。

そこらでインフルかコロナに感染したのだろう、左の肺が真っ白だったらしいから。

 

居酒屋などで飲まず、公共交通機関などでは必ずマスク着けるようにしないとだな。

享年73歳、癌だらけの身で良くここまで生きたなあとも思うし、11年余りも良く1人で暮らせたなあと感心もする。

四十九日までは島に滞在するが、持病の定期検診だけは外せないから神奈川まで途中でトンボ返りする。

植木仕事も2月20日頃からだな。

そんな訳でWiFi環境も無いのでこのブログも時々しかアップできない。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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