大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

弟も村のシンボルツリーも死んだ!

2025年01月09日 | 島暮らし・街暮らし

マザーツリーの悲惨な姿 

 

 

 

さすがにこんなんではほぼ臨終

 

数年前から時間の問題と思ってたがとうとうだな

と思っていたら地元民の従兄弟は結構しぶといから春には芽が出ると言ったが、本当だろうか?

予想が、外れて元気な姿を見せてくれたら嬉しいが。

 

 

新年早々とんでもない事になった。

今年は真面目に山歩きしようと元旦に弘法山を歩き、2日は11:30頃に二ノ塔の直前でスマホが鳴り、朝弟が死んでるのを発見されたと。

頭真っ白になり、焦って下山したが走る訳にも行かず、普通にコースタイムで降りて、帰宅は15時過ぎだった。

衣類やらスマホ充電器などをパッキングして、どうにかスカイマークの20時羽田発福岡行きの最終便に乗り込んだ。

福岡までたどり着けばあの野母商船のフェリー太古が控えてくれてる。

23:45発5:40着(青方港)で頗る効率が良い。

 

弟の死亡の顛末

暮のクリスマス前に長崎での定期検診を受け26日に帰宅した。

数日後に風邪の症状が出、大晦日・元日の両方訪れた従兄弟と話したがベッドの中からで、風邪が伝染るから近づくなと言った由。

翌朝2日の9時頃直ぐ下の家の従姉妹が訪れて、台所のテーブル下に横たわる弟を発見。

不審死の為警察案件となったが、事件性は無く検死で死因は「細菌性肺炎」、死亡推定時刻は2日午前1時頃の由。

遺体受領は肉親しかできず、俺の到着を待ってたが、15時に受領したから約38時間と少しで帰宅した。

思うに検診の後に飲み屋に行ってる筈だし、行き付けのスナックなどでも飲んでる筈。

そこらでインフルかコロナに感染したのだろう、左の肺が真っ白だったらしいから。

 

居酒屋などで飲まず、公共交通機関などでは必ずマスク着けるようにしないとだな。

享年73歳、癌だらけの身で良くここまで生きたなあとも思うし、11年余りも良く1人で暮らせたなあと感心もする。

四十九日までは島に滞在するが、持病の定期検診だけは外せないから神奈川まで途中でトンボ返りする。

植木仕事も2月20日頃からだな。

そんな訳でWiFi環境も無いのでこのブログも時々しかアップできない。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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