福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

訪日外国人数 7月推計速報ですが・・・・❗️

2019-08-22 09:00:43 | 0 話題& ひろい読み &つぶやき
訪日外国人の7月速報ベースで
単月 過去最高をを記録した
●昨日 発表されたまとめ

●2019年7月 推計値

上位4ヶ国 のコメント

2019年 推移

2018年 対 2019年 年間対比


★韓国の7月は56万人であったが8月以降減るだろうなぁ・・・

★大韓航空運休ニュース

LCC子会社 ジンエアー の運航優先? ドル箱路線は維持するでしょう・・・

LCC各社は、日本がメイン仕様なので中距離運航は? 中国への運航シフトも簡単ではないので赤信号でしょう!

追い討ちが、ウオン安です。コストアップ する。オイルはドル決済。

韓国エアライン 8社 4-6 月 赤字です。

日本エアラインは運航便数も少なく影響はないでしょう

[ソウル=鈴木壮太郎】
韓国航空最大手の大韓航空は20日、日本路線を大幅に縮小すると発表した。期間限定を含め新たに6路線で運休する。9月16日からの釜山と大阪を結ぶ便(週14便)、11月1日からの済州―成田便(週3便)、済州―大阪便(週4便)を含む。日韓関係の悪化による訪日需要減に対応する。かわって東南アジアや中国などの路線を拡大する。

ソウル近郊の仁川発着便が9月29日から、小松便(週3便)と鹿児島便(同)を11月16日まで、旭川便(週5便)を10月26日まで、それぞれ期間を決めて運航を休む。

仁川発着の大阪便と福岡便(共に週28便)は10月27日から11月16日までそれぞれ週21便に減らす。

大韓航空は9月3日から釜山―札幌便(週3便)を運休する計画を7月下旬に発表済み。日本製品や日本旅行商品の不買運動の拡大を受け、さらに減便した。同社の1~6月期決算は4150億ウォン(約366億円)の最終赤字で、主因は通貨ウォン安によるドル建て支払いや人件費の増加。下半期には日本向け旅客が本格的に減ると判断し日本路線の整理を決めた。

韓国では、アシアナ航空も釜山と那覇を結ぶ路線を8月23日から10月末まで運休すると明らかにした。格安航空会社(LCC)でも運休や減便が相次いでいる。

韓国では日本が半導体材料の輸出管理強化措置を発動した7月以来、日本製品の不買運動が勢いづいている。市民団体が主催する抗議集会に参加する人々は多くないが、ファーストリテイリングの「ユニクロ」やデサントなどの衣料、ビールやたばこなど日本ブランドに手を出しにくい同調圧力が強く働いている。

日本への旅行も不買運動の標的だ。韓国の旅行大手ハナツアーによると、日本への旅行の予約は7月が前年同月比36%、8月は同80%減った。2018年の韓国人の訪日客は前年比5.6%増の753万9千人で7年連続の前年比増だった。だが19年上半期は前年同期より3.8%減少した。

航空会社の運休・減便や旅行会社による予約状況をみると、下半期の韓国人訪日客は大幅に落ち込む可能性が高い。

一方、韓国社会は「官製不買運動」にくみしない冷静さを完全には失っていない。明洞などの繁華街があるソウル市中区が6日、街頭に「ボイコット・ジャパン」と書かれた旗を掲げたところ「韓国を訪れた日本人に失礼だ」と抗議が殺到した。わずか数時間で撤去、謝罪に追い込まれた。

女子ゴルフ 穴井ー13 ・渋野・濱田 ー12 、並んでいる。熾烈です ❗️穴井選手 優勝🎉残念 渋野選手 3位でした‼️‼️

2019-08-18 11:30:18 | 故郷
熾烈な試合ぶりですね〜



本当に面白い試合の様子ですね〜

穴井選手 ー13で 単独首位ですね〜



残念だった


本当にお疲れ様でした

岡山へ里帰りリフレッシュして下さい!


結果 穴井選手優勝


穴井詩-炎の最終日 POで今季初V

LPGAツアー24戦『NEC軽井沢72ゴルフトーナメント』(賞金総額8,000万円、優勝賞金1,440万円)大会最終日が8月18日、長野県軽井沢町・軽井沢72ゴルフ 北コース(6,705ヤード/パー72)で行われ、穴井詩が通算14アンダーで今季初優勝を飾った。勝負はイミニョンとのプレーオフへ。1ホール目で穴井がパーをセーブし、LPGA通算3勝目を飾った。注目の渋野日向子は17番まで首位を並走。しかし、18番でボギーを叩き、惜しくもプレーオフ進出はならなかった。(天候:晴れ時々曇り 気温:27.0℃ 風速:3.1m/s)

 パット・イズ・マネーは勝負の鉄則。今季、初優勝を飾った飛距離自慢の穴井詩がしみじみと勝因を語った。「それほど、ショットでチャンスをつくったわけではない。パッティングで頑張った感じです」。プレーオフは初体験だった。しかし、1ホール目で10メートルを2パットでパーセーブ。通算3勝目を飾る。

 「初めてのプレーオフに手足がガタブルしていた。自信はありません。だって、緊張しいだから」と明かす。しかし、最終日のスタート前からファイターの覚悟をもって臨んだ。「きのう、17番で池へボールを入れてしまった。そのおかげで燃えていたのです。絶対に取り返すという気分。また、(上位へ)追いついてやろうと思っていた」という。前半、3バーディーを奪取。

 勢いが加速したのは12番。12メートルのバーディーを奪い、続く13番で7メートル、そして、14番は3メートルを沈めた。3連続バーディー。さらに、16番で7つめのバーディーを加えた。65をマークし、首位でホールアウト。戦況をみつめていたそうだ。

 指定練習日のことである。穴井は渋野日向子とラウンド。「そうなんです。GOLF5の選手がいて、そこに入ろうとしたら、渋ちゃん(渋野)もいた。失礼します、と後からソッと…」といい、「いやぁ、本当にうまい。すごくショットが上手。それだけではないなぁ。すべてでした」。もちろん、プレーオフへ、その渋野も加わると思っていたが、「私も待っていた。入れてくるのではないかと…」と、さびしそうな表情を浮かべている。

 2016年にツアー初優勝。翌年、2勝目をあげたが、3勝目にはなかなか手が届かない。今季もトップ5フィニッシュが6回もある。「単純に、まだ力がたりないなと思います。こんなレベルでは、優勝はできない」と控えめだが、「若手に刺激をいただいている。渋ちゃんの笑顔をみると、すごく元気になるでしょう」。

 今季の賞金ランキングは4位に躍進した。「1億円は超えたいと思います」と目標を口にしながら、「今回の賞金で、タブレットのPCを買いたい」。ご褒美はつつましかった。

(メディア管理部・鈴木 孝之

台風の影響で延着機は、エミレーツ&エア・カナダ ・・・・・

2019-08-16 07:17:58 | 2019年関空の情景
台風一過ですが

雲も厚く 陽射しは時々

南風 24/運用です


大幅延着です

エア・カナダ 到着


エミレーツ航空 先ほど ドバイ離陸 飛行中


エア・アジア 飛行中





通常ダイヤ はスペマが来てる



まだ 昨日便も



今の関空

珈琲の漢字の由来は❓ご存知ですか❓知りませんでした〜❗️ 津山は珈琲の街:故郷 ‼️

2019-08-15 08:30:00 | 故郷
FBでの情報で びっくり‼️ 珈琲の漢字の由来は津山藩 蘭学者 宇田川榕菴 が発案者とは!

コーヒー飲みながらアップ

小生宅 珈琲の木 もう 30年以上です 時折 実ををつけます。チョット見直しました❗️

冬は宅内・夏場は玄関横日陰で

珈琲の文字由来・・・以下、ネットコピーですが・・・わかりやすい!

みなさんはコーヒーって飲みますか?

僕は休みの日の朝に飲むコーヒーが好きで日課になっています

ところでこのコーヒーって漢字で書くと「珈琲」って書きますよね?

当て字?ちゃんとした意味があるの?

ってなんとなくフシギに思ったのでシークしてみました!

日本のコーヒーの歴史は江戸時代から

そもそも日本にコーヒーが入ってきたのは18世紀末
当時鎖国していた日本と、唯一交易をしていたオランダ人によって長崎に持ち込まれました
このときカステラなんかも同じように伝わったんですよね
当時は今みたいに嗜好品っていうわけじゃなく、薬としての効果を期待されていました
ただこの黒い液体はどうみても怪しいですよね

日本人に浸透させるためにさまざまな名称が考えられました

「可否」「架非」「加非」「哥非乙」「黒炒豆」といろいろ考えられましたがどれも浸透しませんでした

蘭学者の宇田川榕菴(うだがわ ようあん)

そんな中、幕末の津山藩(岡山県津山市)で藩医でもあり蘭学者だった宇田川榕菴がオランダ語のkoffie(コーフィー)を当てて「珈琲」という用語を考案しました
これを自筆の蘭和対訳辞典に載せたことが後に浸透した始まりだと言われています
実はこの宇田川榕菴は日本になじみが無かった植物学や化学の書物を自分で翻訳しては造語をたくさん生み出しているんですよね
今では当たり前のように使っている「酸素」「水素」「窒素」「溶解」「細胞」など
教科書にはかかせない用語を造ったのも、この宇田川榕菴と言われていますね
すっごい人ですねー

「珈琲」の由来にはこんな意味があった
さてここで宇田川榕菴が造った「珈琲」にはどんな意味が込められているかシークしてみます
まず漢字そもそもの意味から見てみましょう

珈は「かみかざり」
珈は訓読みで「かみかざり」と読みます
いやもうこの時点でなんかすごい
珈なんて「珈琲」以外で使っているところをあんまり見たことないですからね

1文字でこんな読み方をするなんて知りませんでした

次に漢字の意味はどうでしょう
同じく「かみかざり」という意味と「玉をたれさげたかんざし」という意味があります
かんざしとは「玉飾り」ともいいますよね

これをよく覚えておいてください

琲は「つらぬく」

琲は訓読みで「つらぬく」と読む
こちらもこんな読み方があったなんて知りませんでしたね!
こちらも漢字の意味は「玉を連ねた飾り」
そう先ほどの「玉飾り」と同じなんです!
あと「かんざしの玉をつなぐ紐」を表しているそうですね

ということは珈琲という感じを二つ合わせて「玉飾りとそれをつなぐ紐」という意味になるわけですね
ここまでオッケーでしょうか?

玉飾りとそれをつなぐ紐」とは何のこと?

意味はわかりましたがなんのことやらさっぱりわかりません

ですが、この画像を見てものすごく納得しました!
これはコーヒーチェリーといって「コーヒーの実」です
完全に「玉飾り」じゃん!
枝が「それをつなぐ紐」とでもいうんでしょうか!
すごいですねー完全にシンクロしましたよ
なかなかコーヒーの実は見ることが無いですからねー

ちなみにこの実から取り出したタネを乾燥させたのが僕らが知っているコーヒー豆になってるんですよね!
しかしこの見た目から漢字字体の意味も合わせて「珈琲」という造語を造るとは…

宇田川榕菴はロマンチストだったんですかねー
あー深い
めっちゃ深いわー

以上ネットコピー

✳️津山は珈琲の町 町興しの一例

津山みんなカフェでは、私たちが焙煎したコーヒー豆をプレゼントしています。
(プレゼントは津山市近郊にお住まいの方限定です。)
みんなカフェでは、コーヒーの本格的な淹れ方を学ぶことができます。
あなたの隙間時間や空いている場所を使ってカフェをはじめる教室です。
津山はコーヒーの町。
珈琲という漢字は津山の蘭学者である宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が考案したのです。
津山藩(岡山県津山市)で藩医で蘭学者だった宇田川榕菴がオランダ語のkoffie(コーフィー)を当てて「珈琲」という用語を考案したりだそうです。


✳️津山市も町興し応援しています
津山珈琲倶楽部 city.tsuyama.lg.jp/tcc/ #津山珈琲倶楽部


別の情報コピーですが

珈琲の語源

「コーヒー」はアラビア語でコーヒーを意味するカフワ(アラビア語: قهوة‎:qahwa)が転訛したものである。元々ワインを意味していたカフワの語が、ワインに似た覚醒作用のあるコーヒーに充てられたのがその語源である。一説にはエチオピアにあったコーヒーの産地カッファ(Kaffa)がアラビア語に取り入れられたものともいわれている。

この語がコーヒーの伝播に伴って、トルコ(トルコ語: kahve)、イタリア(イタリア語: caffè)を経由し、ヨーロッパ(フランス語: café、ドイツ語: Kaffee、英語: coffee)から世界各地に広まった。日本語の「コーヒー」は、江戸時代にオランダからもたらされた際の、オランダ語: koffie(コーフィー)に由来する。

日本では漢字で「珈琲」のほか「可否」「架非」「加非」「咖啡」などの字も当てられてきた。

漢字による当て字である「珈琲」は、津山藩医蘭学者の宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が考案し、自筆の蘭和対訳辞典に記載したのが、最初であると言われている。


これ以外にも、「可否」(可否茶館)、「カウヒイ」(大田南畝『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』)、「哥非乙」(宇田川榕菴『哥非乙説』)などの表記も過去には用いられた。

なお、中国語においても、訳語に関して19世紀に試行錯誤があり、当時の日本語の当て字を借用して現在に至るものとされている。ただし、漢字は口偏で「咖啡」(kāfēi)と表記される。


         
Vol.19 榕菴のコーヒー研究

▲榕菴の描いたコーヒーカン

 (コーヒーの煮出し器)の図
 (武田科学振興財団杏雨書屋所蔵)
津山洋学資料館展示の復元品

カフェオレやエスプレッソ、カプチーノなど、今ではさまざまな種類があり、食生活に欠かせなくなったコーヒー。その日本への伝来については諸説がありますが、江戸時代の初めごろにオランダ人が出島に持ち込み、出島に出入りする通詞(通訳)や役人もコーヒーを飲んでいたことが『和蘭商館日記』などに記されています。
 さて、このコーヒーに興味を持ったのが津山藩の洋学者・宇田川榕菴です。榕菴はわずか19歳で「哥非乙説」という論文を書いています。当時まだ一般の人が口にすることのほとんどなかったコーヒーを、榕菴はいつ飲んだのでしょうか。
 「哥非乙説」をまとめる2年前、榕菴は養父の玄真とともに、将軍に拝謁するために江戸へやって来たオランダ商館長と面談をしています。こうした江戸参府の時にお土産としてコーヒーを贈ることがあったようで、この時榕菴もコーヒーを口にするチャンスに恵まれたと考えられます。きっと独特の色と香りに驚きながら飲んだに違いありません。
 後に玄真と榕菴は、幕府の仕事でフランス人ショメールが書いた『家庭百科事典』(オランダ語版)の翻訳に携わることになります。その訳本『厚生新編』の中のコーヒーの項目を担当した玄真は、榕菴の考えとして「えごの木と、図で見るコーヒーの木は形状がよく似ていて、味は淡白、微甘、油気が多く西洋の船がもたらすコーヒー豆と異ならない」と書き加えています。実験を大切にする榕菴らしく、他の植物と比べたり、またそれを実際に食べてみたりと、詳しく調べていたことが分かるのです。
 榕菴とコーヒーとのつながりはそれだけではありません。「珈琲」の当て字は、榕菴が考えたものといわれているのです。昭和初期に研究家がまとめたコーヒーの異名・熟字の一覧には「珈琲」について「宇田川榕菴自筆蘭和対訳辞書ヨリ。現代の【珈琲】の字は榕菴の作字なりし」とあります。作字とは、文字を新しく作ることです。しかし、「珈」も「琲」も旧来からある漢字なので、正確には字を当てた、ということなのでしょう。この辞書は、現在早稲田大学の図書館に「博物語彙」という資料名で所蔵されており、コーヒーの項目に「骨喜」「哥兮」などとともに「珈琲」の字があるのを確認できます。
 コーヒーは幕末に正式に輸入されるようになり、明治以降次第に人々の暮らしの中に広まっていきます。道端の自動販売機で手軽にコーヒーを買える今日の様子は、さすがに榕菴も想像できなかったことでしょう。

故郷チョット情報でした



余談ですが、澱粉という漢字も宇田川榕菴