FBでの情報で びっくり‼️ 珈琲の漢字の由来は津山藩 蘭学者 宇田川榕菴 が発案者とは!
コーヒー飲みながらアップ
小生宅 珈琲の木 もう 30年以上です 時折 実ををつけます。チョット見直しました❗️
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冬は宅内・夏場は玄関横日陰で
珈琲の文字由来・・・以下、ネットコピーですが・・・わかりやすい!
みなさんはコーヒーって飲みますか?
僕は休みの日の朝に飲むコーヒーが好きで日課になっています
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ところでこのコーヒーって漢字で書くと「
珈琲」って書きますよね?
当て字?ちゃんとした意味があるの?
ってなんとなくフシギに思ったのでシークしてみました!
日本のコーヒーの歴史は江戸時代から
そもそも日本にコーヒーが入ってきたのは18世紀末
当時鎖国していた日本と、唯一交易をしていたオランダ人によって長崎に持ち込まれました
このときカステラなんかも同じように伝わったんですよね
当時は今みたいに嗜好品っていうわけじゃなく、薬としての効果を期待されていました
ただこの黒い液体はどうみても怪しいですよね
日本人に浸透させるためにさまざまな名称が考えられました
「可否」「架非」「加非」「哥非乙」「黒炒豆」といろいろ考えられましたがどれも浸透しませんでした
蘭学者の宇田川榕菴(うだがわ ようあん)
そんな中、幕末の津山藩(岡山県津山市)で藩医でもあり蘭学者だった宇田川榕菴がオランダ語のkoffie(コーフィー)を当てて「
珈琲」という用語を考案しました
これを自筆の蘭和対訳辞典に載せたことが後に浸透した始まりだと言われています
実はこの宇田川榕菴は日本になじみが無かった植物学や化学の書物を自分で翻訳しては造語をたくさん生み出しているんですよね
今では当たり前のように使っている「酸素」「水素」「窒素」「溶解」「細胞」など
教科書にはかかせない用語を造ったのも、この宇田川榕菴と言われていますね
すっごい人ですねー
「珈琲」の由来にはこんな意味があった
さてここで宇田川榕菴が造った「珈琲」にはどんな意味が込められているかシークしてみます
まず漢字そもそもの意味から見てみましょう
珈は「かみかざり」
珈は訓読みで「かみかざり」と読みます
いやもうこの時点でなんかすごい
珈なんて「珈琲」以外で使っているところをあんまり見たことないですからね
1文字でこんな読み方をするなんて知りませんでした
次に漢字の意味はどうでしょう
同じく「かみかざり」という意味と「玉をたれさげたかんざし」という意味があります
かんざしとは「玉飾り」ともいいますよね
これをよく覚えておいてください
琲は「つらぬく」
琲は訓読みで「つらぬく」と読む
こちらもこんな読み方があったなんて知りませんでしたね!
こちらも漢字の意味は「玉を連ねた飾り」
そう先ほどの「玉飾り」と同じなんです!
あと「かんざしの玉をつなぐ紐」を表しているそうですね
ということは珈琲という感じを二つ合わせて「
玉飾りとそれをつなぐ紐」という意味になるわけですね
ここまでオッケーでしょうか?
玉飾りとそれをつなぐ紐」とは何のこと?
意味はわかりましたがなんのことやらさっぱりわかりません
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ですが、この画像を見てものすごく納得しました!
これはコーヒーチェリーといって「コーヒーの実」です
完全に「玉飾り」じゃん!
枝が「それをつなぐ紐」とでもいうんでしょうか!
すごいですねー完全にシンクロしましたよ
なかなかコーヒーの実は見ることが無いですからねー
ちなみにこの実から取り出したタネを乾燥させたのが僕らが知っているコーヒー豆になってるんですよね!
しかしこの見た目から漢字字体の意味も合わせて「珈琲」という造語を造るとは…
宇田川榕菴はロマンチストだったんですかねー
あー深い
めっちゃ深いわー
以上ネットコピー
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珈琲という漢字は津山の蘭学者である宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が考案したのです。
津山藩(岡山県津山市)で藩医で蘭学者だった宇田川榕菴がオランダ語のkoffie(コーフィー)を当てて「珈琲」という用語を考案したりだそうです。
✳️
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別の情報コピーですが
珈琲の語源
「コーヒー」はアラビア語でコーヒーを意味するカフワ(アラビア語: قهوة:qahwa)が転訛したものである。元々ワインを意味していたカフワの語が、ワインに似た覚醒作用のあるコーヒーに充てられたのがその語源である。一説にはエチオピアにあったコーヒーの産地カッファ(Kaffa)がアラビア語に取り入れられたものともいわれている。
この語がコーヒーの伝播に伴って、トルコ(トルコ語: kahve)、イタリア(イタリア語: caffè)を経由し、ヨーロッパ(フランス語: café、ドイツ語: Kaffee、英語: coffee)から世界各地に広まった。日本語の「コーヒー」は、江戸時代にオランダからもたらされた際の、オランダ語: koffie(コーフィー)に由来する。
日本では漢字で「珈琲」のほか「可否」「架非」「加非」「咖啡」などの字も当てられてきた。
漢字による当て字である「珈琲」は、津山藩医蘭学者の宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が考案し、自筆の蘭和対訳辞典に記載したのが、最初であると言われている。
これ以外にも、「可否」(可否茶館)、「カウヒイ」(大田南畝『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』)、「哥非乙」(宇田川榕菴『哥非乙説』)などの表記も過去には用いられた。
なお、中国語においても、訳語に関して19世紀に試行錯誤があり、当時の日本語の当て字を借用して現在に至るものとされている。ただし、漢字は口偏で「咖啡」(kāfēi)と表記される。
Vol.19 榕菴のコーヒー研究
▲榕菴の描いたコーヒーカン
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(コーヒーの煮出し器)の図
(武田科学振興財団杏雨書屋所蔵)
と
津山洋学資料館展示の復元品
カフェオレやエスプレッソ、カプチーノなど、今ではさまざまな種類があり、食生活に欠かせなくなったコーヒー。その日本への伝来については諸説がありますが、江戸時代の初めごろにオランダ人が出島に持ち込み、出島に出入りする通詞(通訳)や役人もコーヒーを飲んでいたことが『和蘭商館日記』などに記されています。
さて、このコーヒーに興味を持ったのが
津山藩の洋学者・宇田川榕菴です。榕菴はわずか19歳で「哥非乙説」という論文を書いています。当時まだ一般の人が口にすることのほとんどなかったコーヒーを、榕菴はいつ飲んだのでしょうか。
「哥非乙説」をまとめる2年前、榕菴は養父の玄真とともに、将軍に拝謁するために江戸へやって来たオランダ商館長と面談をしています。こうした江戸参府の時にお土産としてコーヒーを贈ることがあったようで、この時榕菴もコーヒーを口にするチャンスに恵まれたと考えられます。きっと独特の色と香りに驚きながら飲んだに違いありません。
後に玄真と榕菴は、幕府の仕事でフランス人ショメールが書いた『家庭百科事典』(オランダ語版)の翻訳に携わることになります。その訳本『厚生新編』の中のコーヒーの項目を担当した玄真は、榕菴の考えとして「えごの木と、図で見るコーヒーの木は形状がよく似ていて、味は淡白、微甘、油気が多く西洋の船がもたらすコーヒー豆と異ならない」と書き加えています。実験を大切にする榕菴らしく、他の植物と比べたり、またそれを実際に食べてみたりと、詳しく調べていたことが分かるのです。
榕菴とコーヒーとのつながりはそれだけではありません。「珈琲」の当て字は、榕菴が考えたものといわれているのです。昭和初期に研究家がまとめた
コーヒーの異名・熟字の一覧には「珈琲」について「宇田川榕菴自筆蘭和対訳辞書ヨリ。現代の【珈琲】の字は榕菴の作字なりし」とあります。作字とは、文字を新しく作ることです。しかし、「珈」も「琲」も旧来からある漢字なので、正確には字を当てた、ということなのでしょう。この辞書は、現在早稲田大学の図書館に「博物語彙」という資料名で所蔵されており、コーヒーの項目に「骨喜」「哥兮」などとともに「珈琲」の字があるのを確認できます。
コーヒーは幕末に正式に輸入されるようになり、明治以降次第に人々の暮らしの中に広まっていきます。道端の自動販売機で手軽にコーヒーを買える今日の様子は、さすがに榕菴も想像できなかったことでしょう。
故郷チョット情報でした
余談ですが、澱粉という漢字も宇田川榕菴