福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

2023年新春 阪堺電車 モ501形 1957年登場、当時の最先端路面電車5両を運行中❗️ No.3

2024-12-15 14:23:00 | ちん電 阪堺電車はメチャ面白いぞ🤣🤣
2023年新春プレイバックです


阪堺電車の運用車両で
日本最古のモ161形路面電車に次いで
1957年(昭和32年)に登場のモ501形路面電車
導入当初は最先端の路面電車だった
モ501号車〜モ505号車 5両運用
これ以降の車両には広告ラッピングを施している

2023年新春5両に出会う

モ501号






モ502号






モ503号





モ504号





モ505号






阪堺電気軌道モ501形電車
1957年に阪堺電気軌道の前身である南海電気鉄道(南海)が
当時の同社大阪軌道線向けに導入した、路面電車用電車
全金属製
当時の最先端技術を投入して帝國車輛工業に造らせた路面電車で
戦前からの木造車を置き換える目的で登場し
66年を経た今日も、5両すべてが現役運用している

詳しくは
↙️

阪堺電気軌道501形電車 - Wikipedia

阪堺電気軌道501形電車 - Wikipedia

 
⬇️


阪堺電車 モ601形は7両運用中だ❗️ 2022年新春 No.4

2024-11-25 15:36:00 | ちん電 阪堺電車はメチャ面白いぞ🤣🤣
プレイバックシーン
2022年新春


2022年
現在 阪堺電車の運用車両一覧
製造の古い順

①モ161形 1両
②モ501形 5両
③モ351形 5両
④モ601形 7両
⑤モ701形 11両
⑥堺トラム 6両


モ601形について

1996年から1998年にかけて7両が東急車輛製造で製造された
完全な新車ではなく、制御装着、ブレーキ、営業機器など
モ121形の部品を流用している

❶モ601号

広告:株式会社新大阪建設





❷モ602号
広告: 株式会社黄金糖






❸モ603号
広告:帝塚山芋忠株式会社




❹モ604号
広告:岡崎屋質店




❺モ605号
広告:岡崎屋質店



❻モ606号





❼モ607号
広告:株式会社恵幸商事





モ601形について


1996年から1998年にかけて7両が東急車輛製造で製造された。
ただし完全な新造車ではなく、車体及び台車・電動機・コンプレッサーなどの主要機器は、
モ701形とほぼ共通のものを新造しているが、
制御装置・ブレーキ・営業機器などは
モ121形(旧大阪市電1601形)モ122・123・124・125・126・127・129のものを流用している。
これらの部品は、
モ121形が大阪市交通局(当時)から南海軌道線(現阪堺電気軌道)に譲渡された1967年に取り替えられた
比較的新しい部品であったため、廃車発生時にモ601形に流用したものである

性能は、前述の経緯から、電動機は新型のWN駆動方式のものであるが、

制御装置は旧型車両の間接非自動制御のものを流用した珍しい組み合わせの車両となっている。

そのため完全新造車のモ701形とは運転台まわりの制御装置に違いが見られる。

また、ブレーキ性能が電気指令式ブレーキを装備したモ701形と比べて劣るため、

前照灯の隣のブレーキランプが省略されている。

性能最高速度はモ701形と同じく70km/hであるが、

認可速度が50km/hである事と、50km/h以上出すとモ701形ほどではないが蛇行動が起こり、

線路状態の良くない箇所では40km/h程度から左右に激しい揺れが発生しだすこともある。

このために、本来の性能をフル発揮出来ていない。


運用について、601号が1996年6月14日に入線し、同年6月25日より営業運転を開始した。

本形式の登場により、

夏季(6月後半 - 9月末)の運用において平日の日中及び土日の全日における冷房化率100%が達成された。

また、2005年以降は主に阪堺線系統の運行本数の削減、

及びダイヤの工夫により夕方ラッシュ時においても冷房化率100%を達成している。

2004 - 2005年にかけて7両中5両の行き先表示機が、従来の幕式表示からLED表示へと変更された。

残る2両の行き先表示機も2006年1月、従来の幕式表示からLED表示へと変更された。

2010年3月にモ701形のモ708に続き、モ605のパンタグラフがZ型パンタグラフからシングルアームパンタグラフに換装された。

なお、今後他車にこの改造が及ぶのかどうかは不明である。








阪堺電車 モ501形は5両定期運行に就いている❗️2022年新春 No.2

2024-11-21 14:39:00 | ちん電 阪堺電車はメチャ面白いぞ🤣🤣
プレイバックシーン

2022年1月1日 謹賀新年
住吉大社へ初詣
午前10時過ぎなのでまだ少ない

本宮へ

今年もちん電を狙う
車体広告も昨年より変わってる車両もある


現在 阪堺電車の運用車両一覧
製造の古い順

①モ161形  1両
②モ501形  5両
③モ350形  5両
④モ601形  7両
⑤モ701形   11両
⑥堺トラム  6両

②モ501形について

1957年 帝国車両工業において5両製造
当時として最新の技術を導入された新鋭車両だった
現在
❶モ501号
❷モ502号
❸モ503号
❹モ504号
❺モ505号

2022年元旦に撮影した

阪堺電気軌道モ501形電車(はんかいでんききどうモ501がたでんしゃ)は、
1957年に阪堺電気軌道の前身である南海電気鉄道(南海)が当時の同社大阪軌道線向けに導入した、路面電車用電車。

❶501号車
広告:桃山大学







❷502号
広告:野村証券




❸503号
広告:岡崎質店



❹504号
広告:三井住友トラスト不動産



❺505号
広告:チャギントン







チャギントン (Chuggington) は、イギリスのLudorum plcが制作するテレビアニメである
⬇️



モ501形について
阪堺電気軌道モ501形電車(はんかいでんききどうモ501がたでんしゃ)は、1957年阪堺電気軌道の前身である南海電気鉄道(南海)が当時の同社大阪軌道線向けに導入した、路面電車電車

当時この路線を経営していた南海では、1938年から木造車の鋼体化に取り組んでいたが(これによって生まれたのがモ205形)、大型木造車・モ101形は太平洋戦争も乗り越えて主力として走りつづけていた。

そこで同形の一部置き換えを目的に、1957年にモ501 - 505の5両が帝國車輛工業によって製造された。後述するように当時の最先端の技術が盛り込まれた高性能車である

車体は車体長13,000mm、車体幅2,436mm、車体高3,200mmの全金属製で、前面は中央の運転席窓を広く取って左右に開閉可能な細窓を並べた3枚窓構成で近隣の大阪市交通局が本形式の前年に製作した和製PCC車こと大阪市電3001形に準じたスタイルとなっている。もっとも、上段をHゴム支持の固定窓とした2段上昇式窓としていた同形式とは異なり本形式の側窓は1段下降式で、本形式の直前に南海が南海線用として1954年から新造を開始していた特急車11001系に準じた構造となっている。

座席は新造時よりロングシートである。

塗装は新造時から窓部から上がクリーム、下がダークグリーンの2色塗り分けで、この塗色は大阪軌道線向けでは初採用となった。前面は中央部の下部までクリームを塗った、いわゆる「金太郎塗り」に近い塗り分けとなっている。

なお、設計当時は強力なブレーキ能力があったため、フートゴングは必要無いとされていた事からを装備していない。

主要機器

大阪市電3001形同様、いわゆるPCCカーの影響下に登場したことや、当初連結運転に対応していたこと、それに専用軌道の多い路線で使用されることからか、走行装置は当時の最新鋭技術による豪華なものが装備された。

制御器は三菱電機AB-44-6Mで、自動加速制御機能を備えた多段電動カム軸式制御器である。この制御器は各車の床下に装架され、各運転台に設置されたKL-581A主幹制御器からの進段指令を受けて動作し、これにより連結運転時の総括制御を可能としている[1]

主電動機は定格出力30kW、定格回転数1,580rpmの東洋電機製造TDK-830Aを各台車に2基ずつ計4基搭載する。駆動装置は中空軸平行カルダン駆動方式を採用し、小径の車輪(660mm)を使用することなどからアイドラーギアを1枚挿入した2段減速としてある。このため歯数比は84:37:13となり[2]、定格速度は30.4km/hとなる。

台車はボルスタアンカーを備え、枕ばねにベローズ式の空気ばねを使用し、軸箱を防振ゴムで包んで軸ばねを省略した一自由度系軸箱梁式台車(エコノミカル・トラック)である汽車製造KS-53台車を装着する。この台車は汽車製造製空気ばね台車としては京阪電気鉄道向けKS-50(1700系用試作)・KS-51(1810系用)、京阪神急行電鉄向けKS-52(1010系用試作)に続く4作目で、エコノミカル・トラックとしては第1作、しかも日本の路面電車用台車としては初の量産空気ばね台車[3]である。

ブレーキは総括制御と発電ブレーキ常用による制輪子摩耗の削減を目的として、電空併用非常直通ブレーキSME-Dを搭載した。しかし、電空併用ブレーキはその扱いが他形式のSM-3空気ブレーキと全く異なり、扱いが難しい事などもあって間もなく発電ブレーキの使用を中止した。連結運転が中止された後で連結器撤去が行われたが、ブレーキはそのまま非常直通ブレーキのまま残置された。しかし1980年の分社化に際し、路面電車では一般的なSM-3空気ブレーキへ交換された。なお、基礎ブレーキ装置は台車シリンダー式の踏面ブレーキである。

空気ブレーキのみとなった事や冷房化による重量増が影響してか、他形式よりブレーキ性能が劣る。

パンタグラフは菱枠型の東洋電機製造PT52Lを1基搭載する。

連結器としてトムリンソン式密着連結器を装備していたが、連結運転の中止後に撤去された。

運用等

登場から同路線のエース的存在となっており、現在も5両全車が運用されている。

新造当初はモ151形などと同様に同形式同士で連結運転を実施したが、1961年に中止され、以後この機能は使用されていない。

1976年からワンマン運転実施に備え、ワンマン化改造が行われたが、この際にそれまで系統番号と行き先を表示する形だった方向幕が、方向幕を新設したモ161形などと共通化するために小型化されている。

1985年にはモ501 - 504が三菱電機CU77N冷房装置を搭載して冷房改造され、同年7月3日から冷房を作動させて営業運転を開始した。翌年に残るモ505も同様に冷房改造されたため、全車冷房車となっている。冷房改造された当初の夏場には、非冷房車を敬遠して待ってでも冷房車に乗る乗客もいたという[4]

2013年12月にモ502の行き先表示機が、従来の幕式表示からLED表示へと変更され、運転席背面に液晶ディスプレイが設置された。運賃箱も1001形と同じタイプのものに交換され、ドア横にICカードリーダーが新設された。

なお、モ503は2015年7月30日に大和川検車区構内で脱線事故を起こした。


2018年5月に503号の仕様が変更された。







阪堺電車「モ161号」、クラウドファンディングで大規模修繕実施へ‼️

2024-11-11 11:28:00 | ちん電 阪堺電車はメチャ面白いぞ🤣🤣

2021.3.29   アップのフレイバック


阪堺電車「モ161号」、クラウドファンディングで大規模修繕実施へ


みんなの経済新聞ネットワーク

阪堺電車HP

⬇️

https://www.hankai.co.jp



モ161系 4両現役  

161号 162号 164号 166号 


161号


161号車は残念ながら出会っていない

162号





164号






166号












2020 初撮りの阪堺電気軌道 ❶モ701形 ❷1001形   No.4

2024-11-08 07:55:00 | ちん電 阪堺電車はメチャ面白いぞ🤣🤣
2020年新春プレイバック

701形

阪堺電気軌道モ701形電車(はんかいでんききどうモ701がたでんしゃ)は、
1987年に登場した、阪堺電気軌道が保有する路面電車用電車。
阪堺電気軌道としてはモ351形以来24年ぶりとなる新車で、
南海電気鉄道(南海)から大阪軌道線が分離した後、初めての新車。
阪堺電気軌道の主力車両である。
1995年までにモ701〜モ711の11両が東急車輛製造で製造された

今日の運行は全車両稼動している

①701号
★以前の旧塗装


②702号


③703号


④704号
★以前は 



⑤705号

⑥706号

⑦707号

⑧708号

⑨709号

⑩710号


★以前はパンダ(アドベンチャーワールド)だった。スポンサー変更。



11)711号




阪堺電気軌道1001形電車(堺トラム)
阪堺電気軌道1001形電車(はんかいでんききどう1001がたでんしゃ)は、2013年8月25日から営業運転が開始された、阪堺電気軌道が保有する路面電車車両である。車両の愛称は「堺トラム」。阪堺電車では初めてアルナ車両で製造された。
⚫︎第1編成の1001号車(編成呼称「茶ちゃ」)は2013年2月に完成
⚫︎第2編成の1002号車(編成呼称「紫おん」)は2014年2月に完成
⚫︎第3編成の1003号車(編成呼称「青らん」)は2015年2月に完成。

本日の稼働は
❶1002号

❷1003号


以上、2020.1.4. 阪堺電車の初撮りでした。運行サイクルの短い元旦〜3日に行くのがBestです。
★運行間隔:元旦〜3日:天王寺駅⇄我孫子道駅4分間隔。 恵比須駅⇄我孫子道駅12分間隔。我孫子道駅⇄浜寺公園駅8分間隔。
 4日まで特別運行で5日から通常運行。

★❶車両基地に待機車両

他にも数輌基地内・・・モ161形のようだ。

❷堺トラム 1001号車・・・過去の撮影



★阪堺電気軌道の歴史
設立経過
これまで、路面電車はモータリゼーションの著しい進展による乗客減少や、道路交通の増加などによる経営難から、各地で廃止があいついだ中にあって、南海電気鉄道軌道線は懸命な企業努力により、立派に輸送の使命を果たしてまいりました。
そして、昨今は省エネルギー時代に適した低公害で便利な交通機関として、むしろ社会の期待は高まりつつあります。このような要請に応えるためには、路面電車の実態に即応した、より、きめの細かい経営・管理体制の確立が強く望まれるところでありましたが、南海電気鉄道では平野線の廃止を機会に、軌道部門を別会社として分離・独立させることとし、昭和55年12月1日、阪堺線・上町線が「阪堺電気軌道株式会社」として新発足いたしました。

沿革   上町線、阪堺線の主な歩みは、次のとおりです。

上町線
当線の前身は、明治30年5月に設立された大阪馬車鉄道株式会社です。馬車鉄道とは、今日からすれば風変わりな乗り物といった印象を与えますが、その名が示すとおり軌道に乗った客車を馬が引っ張るというもので、当時としてはモダンな交通機関として脚光を浴び、全国各地でその姿を見ることが出来ました。
ところで、同社は設立から3年後の明治33年9月に天王寺西門前から東天下茶屋間を開通させたのを皮切りに、同年11月には上住吉、同35年12月には下住吉までと順次路線を延長していきました。やがて同社は沿線一帯の開発が進み乗客数が増えたことなどもあって、馬車鉄道を廃止し電化工事に着手しましたが、工事なかばの明治42年12月南海鉄道に合併、上町線とよばれるようになりました。電化工事は南海鉄道が引き継ぎ、翌43年10月1日に完成、同日から天王寺西門前~住吉神社前間の営業運転をはじめました。さらに大正2年7月、住吉神社前~住吉公園間の延長工事が完成、南海本線との連絡が可能になりました。その後同10年12月、天王寺西門前~天王寺駅前間を大阪市に譲渡、これによって同線の起点が現在の天王寺駅前となり、ほぼ今日の姿に近い状態になりました。

阪堺線
明治43年3月に設立された旧阪堺電気軌道株式会社が阪堺線のおこりです。同社は片岡直輝氏らが発起人となって、大阪市~浜寺村間および堺市宿院~大浜間の2路線に電気鉄道を建設する目的で設立されました。 明治44年12月に恵美須町~大小路間、同45年3月に大小路~少林寺橋(現・御陵前)間、そして同年4月に少林寺橋~浜寺駅前間が開通、阪堺線の路線が完成しました。
こうして路線の完成をみた旧阪堺電気軌道は、競合する南海鉄道とはげしい旅客誘致競争をおこないましたが、やがて大正4年6月、両社は合併、南海鉄道の阪堺線となりました。


戦中から今日までの阪堺線・上町線
時代が進み、昭和19年6月1日、南海鉄道は戦時中の企業統合政策により、関西急行鉄道と合併、社名を近畿日本鉄道と改称、上町線・阪堺線は同社の天王寺営業局の所属になりました。
戦後、上町線・阪堺線は同様に旧南海鉄道に属した鉄道線と一緒に、昭和22年6月に新発足した南海電気鉄道に引き継がれ、さらに昭和55年12月1日、阪堺電気軌道として再スタートを切ることになりました。

路線図