製造の古い順
①モ161形 1両
②モ501形 5両
③モ351形 5両
④モ601形 7両
⑤モ701形 11両
⑥堺トラム 6両
性能は、前述の経緯から、電動機は新型のWN駆動方式のものであるが、
制御装置は旧型車両の間接非自動制御のものを流用した珍しい組み合わせの車両となっている。
そのため完全新造車のモ701形とは運転台まわりの制御装置に違いが見られる。
また、ブレーキ性能が電気指令式ブレーキを装備したモ701形と比べて劣るため、
前照灯の隣のブレーキランプが省略されている。
性能最高速度はモ701形と同じく70km/hであるが、
認可速度が50km/hである事と、50km/h以上出すとモ701形ほどではないが蛇行動が起こり、
線路状態の良くない箇所では40km/h程度から左右に激しい揺れが発生しだすこともある。
このために、本来の性能をフル発揮出来ていない。
運用について、601号が1996年6月14日に入線し、同年6月25日より営業運転を開始した。
本形式の登場により、
夏季(6月後半 - 9月末)の運用において平日の日中及び土日の全日における冷房化率100%が達成された。
及びダイヤの工夫により夕方ラッシュ時においても冷房化率100%を達成している。
2004 - 2005年にかけて7両中5両の行き先表示機が、従来の幕式表示からLED表示へと変更された。
残る2両の行き先表示機も2006年1月、従来の幕式表示からLED表示へと変更された。
2010年3月にモ701形のモ708に続き、モ605のパンタグラフがZ型パンタグラフからシングルアームパンタグラフに換装された。
なお、今後他車にこの改造が及ぶのかどうかは不明である。
当時この路線を経営していた南海では、1938年から木造車の鋼体化に取り組んでいたが(これによって生まれたのがモ205形)、大型木造車・モ101形は太平洋戦争も乗り越えて主力として走りつづけていた。
そこで同形の一部置き換えを目的に、1957年にモ501 - 505の5両が帝國車輛工業によって製造された。後述するように当時の最先端の技術が盛り込まれた高性能車である
車体は車体長13,000mm、車体幅2,436mm、車体高3,200mmの全金属製で、前面は中央の運転席窓を広く取って左右に開閉可能な細窓を並べた3枚窓構成で近隣の大阪市交通局が本形式の前年に製作した和製PCC車こと大阪市電3001形に準じたスタイルとなっている。もっとも、上段をHゴム支持の固定窓とした2段上昇式窓としていた同形式とは異なり本形式の側窓は1段下降式で、本形式の直前に南海が南海線用として1954年から新造を開始していた特急車11001系に準じた構造となっている。
座席は新造時よりロングシートである。
塗装は新造時から窓部から上がクリーム、下がダークグリーンの2色塗り分けで、この塗色は大阪軌道線向けでは初採用となった。前面は中央部の下部までクリームを塗った、いわゆる「金太郎塗り」に近い塗り分けとなっている。
なお、設計当時は強力なブレーキ能力があったため、フートゴングは必要無いとされていた事からを装備していない。
主要機器
大阪市電3001形同様、いわゆるPCCカーの影響下に登場したことや、当初連結運転に対応していたこと、それに専用軌道の多い路線で使用されることからか、走行装置は当時の最新鋭技術による豪華なものが装備された。
制御器は三菱電機AB-44-6Mで、自動加速制御機能を備えた多段電動カム軸式制御器である。この制御器は各車の床下に装架され、各運転台に設置されたKL-581A主幹制御器からの進段指令を受けて動作し、これにより連結運転時の総括制御を可能としている[1]。
主電動機は定格出力30kW、定格回転数1,580rpmの東洋電機製造TDK-830Aを各台車に2基ずつ計4基搭載する。駆動装置は中空軸平行カルダン駆動方式を採用し、小径の車輪(660mm)を使用することなどからアイドラーギアを1枚挿入した2段減速としてある。このため歯数比は84:37:13となり[2]、定格速度は30.4km/hとなる。
台車はボルスタアンカーを備え、枕ばねにベローズ式の空気ばねを使用し、軸箱を防振ゴムで包んで軸ばねを省略した一自由度系軸箱梁式台車(エコノミカル・トラック)である汽車製造KS-53台車を装着する。この台車は汽車製造製空気ばね台車としては京阪電気鉄道向けKS-50(1700系用試作)・KS-51(1810系用)、京阪神急行電鉄向けKS-52(1010系用試作)に続く4作目で、エコノミカル・トラックとしては第1作、しかも日本の路面電車用台車としては初の量産空気ばね台車[3]である。
ブレーキは総括制御と発電ブレーキ常用による制輪子摩耗の削減を目的として、電空併用非常直通ブレーキSME-Dを搭載した。しかし、電空併用ブレーキはその扱いが他形式のSM-3空気ブレーキと全く異なり、扱いが難しい事などもあって間もなく発電ブレーキの使用を中止した。連結運転が中止された後で連結器撤去が行われたが、ブレーキはそのまま非常直通ブレーキのまま残置された。しかし1980年の分社化に際し、路面電車では一般的なSM-3空気ブレーキへ交換された。なお、基礎ブレーキ装置は台車シリンダー式の踏面ブレーキである。
空気ブレーキのみとなった事や冷房化による重量増が影響してか、他形式よりブレーキ性能が劣る。
パンタグラフは菱枠型の東洋電機製造PT52Lを1基搭載する。
連結器としてトムリンソン式密着連結器を装備していたが、連結運転の中止後に撤去された。
登場から同路線のエース的存在となっており、現在も5両全車が運用されている。
新造当初はモ151形などと同様に同形式同士で連結運転を実施したが、1961年に中止され、以後この機能は使用されていない。
1976年からワンマン運転実施に備え、ワンマン化改造が行われたが、この際にそれまで系統番号と行き先を表示する形だった方向幕が、方向幕を新設したモ161形などと共通化するために小型化されている。
1985年にはモ501 - 504が三菱電機CU77N冷房装置を搭載して冷房改造され、同年7月3日から冷房を作動させて営業運転を開始した。翌年に残るモ505も同様に冷房改造されたため、全車冷房車となっている。冷房改造された当初の夏場には、非冷房車を敬遠して待ってでも冷房車に乗る乗客もいたという[4]。
2013年12月にモ502の行き先表示機が、従来の幕式表示からLED表示へと変更され、運転席背面に液晶ディスプレイが設置された。運賃箱も1001形と同じタイプのものに交換され、ドア横にICカードリーダーが新設された。
なお、モ503は2015年7月30日に大和川検車区構内で脱線事故を起こした。
2018年5月に503号の仕様が変更された。
2021.3.29 アップのフレイバック
阪堺電車「モ161号」、クラウドファンディングで大規模修繕実施へ
配信
大阪で路面電車を運行する阪堺電気軌道(阪堺電車)は3月29日、国内現役最古となる電車「モ161形」の一つ「モ161号」の大規模修繕工事をクラウドファンディングにより実施すると発表した。(あべの経済新聞) 【写真】昭和40年当時の姿に復原した「阪堺電車モ161形モ161号」の車内 同社は、1928(昭和3)年から運行している「モ161形」を4両所有。トップナンバーであるモ161号は、阪堺線開業100周年記念事業の一環で、内外装を1865年(昭和40年)当時の姿に復原して2011(平成23)年に開催された「第13回路面電車まつり」でお披露目された。同社の象徴的な存在で、現在は主に貸し切り電車として運行している。クラウドファンディングのプロジェクトは「百寿まであと7年。『モ161号』動態保存にむけて大規模修繕工事を」と題した。 大規模修繕工事は、乗降口扉の新製および取替え(全8枚)、外板修理および塗装更新など。同社によるとクラウドファンディングを実施する理由は、前回の改造から10年を経過した昨今、半鋼車であるため木製部分を中心に腐食が非常に進んでおり、今後も同車両を運行し、維持していくためには早期の大規模修繕が必要と判断。本来であれば自社費用で施工するべきところ、昨年から続くコロナ禍に伴うテレワークの推進・イベントや外出自粛などの影響による業績悪化のため、同車両の大規模修繕工事費用の全額を捻出することが困難な状況にあるという。 プロジェクトの支援者には、モ161形ポストカード、モ161形オリジナルマスク、「モ161号大規模修繕工事」竣工お披露目車庫撮影会ツアーなど、支援額に応じた返礼品を用意する。 目標金額は748万円。募集期間は3月30日9時~6月25日23時。
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