プレイバックシーン
この事故で
展望台は閉鎖暫く関空行きはお休みとなる
2018.9.4. 開港24周年誕生日だったその日
大惨事が起きた
台風21号での爪痕は余りにも大きい
特に、関空の高潮被害と関空スカイゲートブリッジRへのタンカーの衝突 ❗️ 想定外の出来事だった
内航タンカー船“宝運丸”が関西国際空港連絡橋に衝突 所有者 鶴見サンマリン
避難していたのに最高風速58メートル強には風に任せるのみだった様だ2km強流される?
海上空港の弱点・・・高潮
7日 第2滑走路でpeachが運航再開のニュース
早期再開を祈るばかりだ
2017年9月2日のデータ見ていたら偶々同タンカーを撮っていた
鶴見サンマリン株式会社保有の同型船の様だ 船名は不鮮明
オイルタンカーバース接岸の様だ
2017.9.2. am 9:00 同船の姿
接岸している
2018.9.4. 開港24周年誕生日だったその日
★関西空港の連絡橋 衝突のタンカー引き離すも復旧めど立たず
台風の強い風にあおられて、関西空港の連絡橋にタンカーがめり込むような形で衝突した事故で、
5日未明に民間のタグボートを使って作業が行われた結果、タンカーは橋から引き離されました。
しかし、橋は大きく損傷していて、復旧のめどは立っていないということです。
海上保安庁によりますと、
関西空港と対岸を結ぶ「関西空港連絡橋」に全長89メートル、2591トンのタンカー「宝運丸」が
4日午後、強い風にあおられて流され衝突しました。
乗組員11人は、4日夜のうちに全員救助され無事でしたが、
タンカーは橋にめり込むような形になって自力での航行ができなくなりました。
このため、5日午前2時40分ごろから、民間のタグボート3隻を使って橋から引き離す作業が行われ、
午前3時すぎまでにタンカーを400メートルほど離れた海面に移動させたということです。
海上保安庁は、5日午前8時ごろから衝突事故の原因を詳しく調べることにしています。
西日本高速道路によりますと、タンカーの衝突によって、橋は大きく損傷していて、
復旧のめどは立っていないということです。
概略図
★オイルタンカーバース 3隻接岸出来る。約2km離れた貯油タンクに送られる。
上空から
タンカーについて
仕組み
1. 受入施設
タンカーに積載された航空燃料(JET A-1)は、タンカーバース(桟橋)の受入施設で陸揚げし、受入地区から埋設配管で貯油施設の特定屋外タンクに貯蔵します。
2. 貯油施設
特定屋外タンクに貯蔵した航空燃料は、品質試験室でバッチ試験を行い、規格に合格した後、
航空機に給油されるまで、品質を損なうことなく万全に管理します。
3. 払出施設
エプロン地区のハイドラントスポット(航空機駐機場)において、
給油会社所有の航空機給油車両(サービサー)を介して、各航空機に給油されます
★関空 連絡橋 について
関西国際空港連絡橋(かんさいこくさいくうこうれんらくきょう)は、
大阪府泉佐野市のりんくうタウンと関西国際空港島を結ぶ、
橋長3,750メートル (m) の世界最長のトラス橋である。
空港が開港した1994年に運用開始。
関西国際空港島の唯一の陸上アクセスを担い、スカイゲートブリッジRの愛称が付けられている。
高速道路ナンバリングによる路線番号は、関西空港自動車道とともに「E71」が振られている。
上部構造は、上に道路(6車線)[2]、下に鉄道(複線)が走る2階建て構造で、
さらに電気・ガス・水道・電話(固定電話)などのライフライン全てがこの橋を利用する。
鉄道橋としては日本では東北新幹線第1北上川橋梁の3,868 mに次ぐ長さで、
JR在来線・私鉄では最長である。
管理者は、鉄道部分が新関西国際空港株式会社(以下、新関空会社)、
道路部分が西日本高速道路株式会社(以下、NEXCO西日本)である。
道路部分は2009年4月29日に関西国際空港株式会社(現・関西国際空港土地保有株式会社。
以下、旧関空会社)からNEXCO西日本へ移管され、一般国道481号に編入された。
準大手ゼネコンの戸田建設の施工で1987年に着工し、
1991年に竣工した。土木学会田中賞(1991年)受賞。
100年に1回の大地震や台風にも耐えられるよう設計したが、
2018年9月4日の台風によるタンカー衝突で片側の道路が破断、鉄道路線部も被害を受けた。