プレイバックシーン
今頃になると思い出す
見事なツツジの根津神社
2018年4月14日
久しぶりの東京
旬の所は?何処か良いところは?
家内から、TVで紹介があり、根津神社は凄いよ・・・と! では行こう!
という事で足を運んだ。 14日 天候は曇天 何とか雨はもった。ホテル横着時は雨。
歩道には幟
おお咲いている
午後4時半過ぎだけど大変な人です
進むと
鑑賞は回遊式庭園
左手上の方に登りぐるりと下る感じになる
多くの人なので立ち止まるにはポイントを探しチョットパチリ・・・歩き歩きパチリ!
上がりきった辺りから
曇天 何とか雨だけは降らないでくれ!と祈りながら
ぐるりと回り元の場所へ戻りました
最後にもう一度見上げて後にした
滞在時間丁度 1時間ほど
お見事ですね〜
ぶらり 散策 本日の万歩計
家内に聞くと17000歩 膝、足首、腿がガクガクですわ!
[前日も歩いてるんで!]
東京の目的は息子ファミリーの顔を見にきたんですけどね〜(笑い
目的外行動が・・・・・・
2018.4.14. 文京区 根津神社
拝観料 200円 寄進の御礼 と・・・・
裏に
手入れも行き届き維持管理に大変だろうと思う
✳️余談 1
根津神社
日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられている。境内はツツジの名所として知られ、森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が近辺に住居を構えていたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されている。
現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建である。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(第6代将軍)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営されたものである。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。
歴史
1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。
万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した。
宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。
「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。
東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転した。
余談 2
翌日帰阪新幹線車窓から富士山
あっと言う間でしたが
マア、どうでも良い事ですが
現役時代
出張時、富士山が見えたら商談は成功間違いなし!!
と
談笑しながら出張した。
大昔の事を思い出した。