福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

2017年8月 世界一大きな花「ショクダイオオコンニャク」の花が咲いた。 武田薬品 京都薬用植物園で24年で咲いた思い出❣️

2022-08-02 17:59:00 | ★京都方面も面白い😄
ちょうど5年前の思い出シーン
だけど
今年5年振りの
2022年7月にこの個体で咲いたニュースにびっくり
知りませんでした
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2017年8月2日 5年前の今日

世界で一番大きな花・臭い花
関西で初めて咲かせた‼️

昨日のテレビニュースで流れていたので
京都まで足を伸ばして行ってみた。
一乗寺・・・修学院離宮に近いエリアなのでチョット不便なところだ
10時前に到着したが、結構来ている。昨日のテレビでの情報の影響ですね〜

●ショクダイオオコンニャクの知識もなく行った。開花は関西で初だ。国内でも16件目と珍しい。
この花が咲くまで、種芋植えてから24年目の開花成果だ!!㊗️👏👏👏
昨日が1番見頃で臭かったとの事です

✳️目的の1枚・・・・正面から


場所は左京区一乗寺
入れ替わり立ち代り鑑賞に来る
デッカいわ
ブツブツが雄しべだそうだ
雌しべは下にあるそうで写せない
関西で初めて咲かすことが出来た
全国でも16件目
背後は
湿気が必要で霧吹きで補給
昨日より小さくなた
昨日はこんな大きく開いていました
匂いも一挙に弱くなった
霧吹きで湿らすと臭う・・・・臭い
こんにゃくの芋と言うかタネの大きさは、鉢の直径の7割を
これは推定
マア、大きなこんんにゃくの芋が隠れている
この巨体は
この茎で支えれれている
茎には小さな虫が寄生して動いている
腐って行くんだ
この棍棒の様な
昨日かやせ細りつつあると・・・・・
マア、枯れると言うか、目的を達成と言うか・・・萎れて倒れる!
開いている状態がだんだん狭くなって閉じてしまうらしい
記念写真

担当者のお話
連続開花は無い様で
オフの期間しっかり養生して
チャレンジしたいと・・・・✊️

途切れることなく
飽きる事なく眺める

有難うございました

暑い京都
薬草園かな

折角、ここまで来たんだから、夏の詩仙堂へ行ってみよう
いや、暑い・・・・・


✳️武田薬品工業(株)京都薬用植物園
1933年創設された
当園は薬用植物を中心に約2800種の植物を保有、栽培しており、「生きた薬草の博物館」と言われている。


✳️ショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻、学名Amorphophallus titanum)は、
サトイモ科・コンニャク属の植物。別名スマトラオオコンニャク。インドネシア、スマトラ島の熱帯雨林に自生する。
7年に一度2日間しか咲かない、世界最大の花として有名になった。
絶滅危惧種
世界で最も大きな花序(かじょ:巨大な花の集まり)の高さは3m、直径1m以上になり、世界で最も大きい花序をつける植物です。
又、腐った肉のような強烈な匂いを放ち、世界で最も酷い花と呼ばれている。

●分類
科 サトイモ科
属 コンニャク属
種 ショクダイオオコンニャク


伏見稲荷の今は❓どうなのかあ・・・・昔のスナップを見てみた‼️

2020-06-12 00:10:00 | ★京都方面も面白い😄

新型コロナの影響でインバウンドもストップ、国内も緊急事態宣言で外出抑制で観光地は激減
6月19日から県間移動フリーが待たれるところだろう

今 伏見稲荷の様子はどうなのかなぁ・・・・と

緊急事態宣言が解除され、伏見稲荷の人出は徐々に増えて来ている様です❗️

昔尋ねたら時のスナップ‼️

































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流れ橋(ながればし)は今年4月1日より通行可能になった‼️ニュース❤️

2020-06-03 00:10:00 | ★京都方面も面白い😄
岩清水八幡宮駅から
バス
チョット不便な所
橋が
あるだけで
何もありません

八幡市HP


  平成元年台風19号で流出した流れ橋が今年4月1日より通行できている
(今回で23回目の流出)

昔(平成16年)に尋ねた事を思い出しネットで確認してみた
時代劇での撮影スポットとして有名だけど
平成16年に尋ねた時の記憶では
鉄脚とワイヤーで縛る橋桁は
流れても復旧は速いかな・・・と
談笑した記憶がある

2015年復旧した流れ橋
その当時の写真をアップしてみる

2015年(平成27年)11月からの復旧工事は、大規模な全面補強再建のため、総工費は約3億5千万円。木材は所定の条件を満たすものを調達するため北山杉が使用された。橋桁と橋板は39枚で構成され、3枚ずつワイヤーロープで橋脚に固定されている。水位が橋桁に達すると、乗っているだけの橋桁と橋板は浮かび上がり、13ブロックに分かれる。床板は従前の床板を再利用。橋桁は、直径30 - 40 cmの北山杉156本設計上の流出頻度は、5年間に1度の流出を想定し橋面を75 cm嵩上げされた。橋脚は、コンクリート製を主体とし、両端の控木は、流用可能な松杭は流用された。ただし、コンクリートの部分は着色によって目立たないようにした。流木などの影響低減のため、橋脚の間隔は3.0 - 6.2 m(平均4.9 m)から8.7 - 10.1 m(平均9.1 m)のおよそ倍に広げ、橋脚数が40基となった。工事を早期に完成させるため左岸と右岸に分けて工事が行われ、解体・撤去、下部工設置、上部工設置の3段階に分割されて施工された


生活道路なのです



北山杉がつかわれているとか
ワイヤーでしっかり流失防止







ワイヤーが




橋脚は流れる事はない






上津屋橋は、京都府道281号八幡城陽線の一部に指定されている、
橋長(全長)356.5 m、幅3.3 mの橋である。歩行者の専用橋となっており、
周辺住民の生活道路の一部として利用されている。
手すり及び落下防止となる欄干は無く、
バイク・自転車は降りて通行するよう注意書きの看板があがっている。
街路灯が設置されていないため夜間は暗い。
木津川の水が増水した場合、固定されていない橋板が橋脚の上から流される構造(流れ橋)になっており、
1枚あたり40 - 50 mある板が8枚、ワイヤーロープで繋がれて載っているだけで、水が引いたあとは、
ワイヤーロープを手繰り寄せて橋板を元に戻す仕組みになっている。
橋桁が流失した場合、利用者は約500 m下流側にある新木津川大橋などへ迂回することになる。
新木津川大橋が開通するまでは、数 km離れた別の橋へ迂回する必要があった。
上津屋橋の周囲は堤防の外側であるため、主に茶畑として利用されており、民家や電柱などがない。
近代的な橋とは異なる外観を利用して時代劇のロケーション撮影地としても利用される。
年平均で7回、最大で年24回の時代劇の撮影に利用された経歴がある。









西陣の街にて・・・千本堀川バス停近くの町屋風居酒屋さん・・ランチする。そして、周辺をモノクロで・・・

2017-09-23 04:00:25 | ★京都方面も面白い😄
木曜日 日中は暑い京都
西陣界隈をモノクロで撮る
どんな感じとなるかなあ〜
ちょうど、お昼時でバス停近くで見つけた


靴を脱いで上がる・・・細長い・・・・カウンター席だ
ステーキ丼・・・美味しい❣️ つい、頼んでしまった🍺。
写真OK

奥は吹き抜けて明かりとりの窓

奥の部屋も

細いなあ〜2階建なんですね〜
玄関方向

玄関

★こじんまりとして、人の良さそうなマスターとも会話もできる。マア、夜がメインだろう
千本堀川交差点


交差点を渡ると角に




マア、こんな感じで・・・・・・・
チョット歩いたけど
暖簾が多いですね

電線が多いですね

お寺が多いですね・・・当たり前

お地蔵さんも

町屋特有の奥のほそ道ですね

こんな特徴の落ち着く街。気さくに会話も


交通手段は自転車。軒先には1台か2台は置いている必需品

校舎も時代もんの感じでした

元気な子供たち


チョット早足で。歩きました。これから🍺だ。

夕方は、流石に涼しく感じる季節。秋はもうすぐだ。


2017.9.21 京都 千本堀川周辺にて


京の七夕 2017 堀川会場にて・・・大変な人・人・・・

2017-08-10 14:00:00 | ★京都方面も面白い😄
京の七夕 5日〜11日開催だ
チョット遠いけどどんな雰囲気か行ってみた
二条城でも開催だ
午後7時ライトアップ・・・・本当に通り抜けの感じです


著名な方の一言


中村玉緒さん


逃げ道は行き止まり・・・・と・・スケーター 本田望結 ちゃん


通り過ぎると

天井にも影




通り過ぎると


流れ川




橋の上からだと


通り過ぎると



橋の上から


通り過ぎると
友禅流し




通り過ぎると ブルーと







通り過ぎると
篝火が赤々と







この暑さ火の番は本当にご苦労様です★




コレで帰宅しよう
メチャ遅くなりそう

これからも上にあるんだけど
チョット京都は遠い
京阪3条迄タクシーにして
2時間弱かなぁ

2017.8.9 京の七夕 堀川会場

点灯前に可愛い姉妹


セミも



余談
堀川について



★堀川(ほりかわ)は京都府京都市を流れる淀川水系の河川。 第二次世界大戦後の下水道の整備などにより水流はほぼ消滅していたが、平成になってから水流を復活させる事業が行われた
★現在の堀川は、琵琶湖疏水第二疏水分線の水を賀茂川を下越させ、紫明通・堀川通の中央分離帯の中に整備された水路を経て、今出川通で既存の開渠部に繋がっている。一条通の一条戻り橋を経て、御池通までが開渠部である[1]。 そこから南は再び暗渠となり、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れる。近鉄京都線上鳥羽口駅の西で開渠となり、すぐに鴨川と合流する。

★歴史

平安京造営以前には、古烏丸谷(現在の烏丸通付近)や古堀川谷(堀川通付近)に自然の河川が流れていたと推測されている。平安京造営にあたって、これらの川を改修して堀川小路に沿う運河としたのが堀川の起源である。なお、この堀川がもともとの賀茂川(鴨川)本流の流路であり、平安京の造営に当たって今の賀茂川(鴨川)の流路に人為的につけ替えたという説(鴨川つけかえ説)があり、かつて通説となっていたが現在は否定されている。

また、朱雀大路を挟んで対称の位置には西堀河(現在の紙屋川)が作られた。平安時代には物資の運搬のほか、貴族の庭園に水を引くためにも用いられた。後には農業用水や友禅染などにも用いられるようになった。江戸時代の地図には四条堀川から西側に向けて分流の四条川が描かれているが平成の現在ではその姿を見ることは出来ない。

第二次世界大戦後の下水道の整備などにより、水流はほぼ消滅した。昭和後期までは堀川今出川の南の露出地点から堀川五条交差点まで堀川を挟んで東に細い東堀川通(南進一方通行)と広い南北各2車線の堀川通があったが、大雨が降るたびに合流式下水管から溢れた水が堀川に流れ込み(暗渠が始まる)五条堀川付近で堀川が溢れ近隣では床下浸水の被害を度々受けた。この為、五条通から御池通までの間も暗渠化され御池通以南の東堀川通は堀川通と一体化した。また川底には大きな礫が敷き詰められていたが夏季に雑草が生い茂り景観を損ねるため、露出部分の川床はコンクリートで固められた。