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「御堂筋線直通」ホントに実現 「来る」といわれて50年 北大阪急行の延伸なぜいま?❗️🚇🚇

2020-07-24 00:10:00 | 鉄道の面白いお話🚂🚆

「御堂筋線直通」ホントに実現 「来る」といわれて50年 北大阪急行の延伸なぜいま?
2020.07.20 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)

大阪メトロ御堂筋線に直通して大阪の北摂地方を結ぶ北大阪急行電鉄の路線を、
千里中央駅から箕面市内へ延伸する工事が進められています。
50年も前から存在したこの計画、なぜいま実現したのでしょうか。





ようやく来るぞ「御堂筋線の電車」北摂箕面へ
1970(昭和45)年、大阪じゅうが万国博覧会(大阪万博)開催前の熱気に沸くなか、
大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)御堂筋線の終点だった新大阪駅から、江坂駅(大阪府吹田市)を経て、
万博会場までを結ぶ鉄道路線が開通しました。
御堂筋線と直通運転するものの、江坂以北は大阪市域から大きく外れるため、
大阪市営地下鉄としてではなく阪急電鉄の系列会社 北大阪急行電鉄により運営され、
万博終了後は路線を短縮し、現在の千里中央駅(豊中市)が終点になりました。
それから50年経った2020年現在、
北大阪急行の線路を千里中央駅から北へ2駅、2.5km先の箕面(みのお)市内まで延伸させる工事が、
2023年度の完成を目指して進められています。
新設される終点「箕面萱野駅」から御堂筋線への直通運行が予定され、
ここから梅田までが24分で結ばれる予定です。
また、延伸区間の途中には箕面船場阪大前駅も設けられます。
実は、この延伸計画は大阪万博終了の直後から存在しました。
御堂筋線の梅田以北と北大阪急行は、大半が高規格道路「新御堂筋」の中央を通っていますが、
新御堂筋には千里中央から北の区間にもそのスペースが確保されています。
しかし、具体化しないまま数十年が経過していました。
「ここに地下鉄が延びてくるから」と沿線地域に家を購入した人々は、
今回の延伸について「生きているうちに実現するとは思わなかった」といった反応を示す人もいるようです。
実際、2008(平成20)年に箕面市から国土交通省に延伸の計画について打診した際も、
「まだ(延伸計画は)生きていたのか」という扱いを受けるほどだったといいます。

とはいえ、新しく駅が設置されるエリアはすでに戸建て住宅が多く建ち、
開発の余地はそこまで大きくないようにも見えます。
箕面船場阪大前駅へキャンパスを移転する大阪大学や、
箕面萱野駅前にある商業施設「みのおキューズモール」などによる手堅い利用が見込まれていますが、
この時期での路線延伸は、どのような役割が期待されてのことなのでしょうか。

見込まれる「千里中央の渋滞解消」「バスの所要時間短縮」
まず、北大阪急行線の延伸で期待されるのは、クルマと自転車が多い「鉄道空白地帯」の解消でしょう。
新しく設置される箕面船場阪大前、箕面萱野の両駅は新御堂筋上に設けられ、
この道路の左右に団地が広がっています。
周辺の不動産広告も「最寄駅:千里中央駅からバスで〇分」と記載された物件が目立ち、
この地域では千里中央駅までの路線バスがメインの交通機関となっています。

現在、これら地域の鉄道利用でネックになるのは、
道路やバスが千里中央へ集中しているために起こる渋滞です。
これを避けるべく、同駅から離れた場所に降車場を設けるバスも多く、
乗り継ぎに時間がかかるケースも目立ちます。
また地域を南北に貫く新御堂筋自体もトラックで終日混み合うため、
「人は鉄道、トラックは新御堂筋」に住み分ける必要が生じていました。
また自転車の多さも目立ちますが、千里中央はすり鉢のような窪地に位置するため、
そこから周辺に広がる住宅地まで坂が多く、自転車利用は距離のわりに体力を奪われます。
延伸計画を主導した箕面市は、
バスや自転車の利用者が最寄駅までの移動手段を徒歩に切り替えると想定しています。

もうひとつ期待されるのは、「バス路線の整理・所要時間の短縮」です。
箕面萱野駅の北側、新御堂筋の終点の先には、
北摂山地を貫く全長5623mの「箕面トンネル」があり、
山の向こう側には「箕面森町(みのおしんまち)」や、豊能町域の「希望ヶ丘」といった
ニュータウンが形成されています。
現在、これら地域からのバスの多くは千里中央駅に通じています。
箕面萱野駅へ新たにバスターミナルが整備され、
渋滞に巻き込まれやすい箕面萱野~千里中央間が鉄道へ振り替えられることで、
混雑したまま最長で60分も山道を走るバスの「痛勤」緩和が期待されます。
また近郊のバス路線も大幅に整理され、千里中央へのバスの集中も改善が見込まれます。

ライバルは阪急 北大阪急行の延伸区間は運賃に課題

しかし、北大阪急行の延伸は「ほかの鉄道線との競走」そして「運賃」に課題を抱えています。
まず運賃ですが、現状で千里中央~梅田間の現在の運賃は370円、
消費税の税率変更前(2016年)に想定された箕面萱野駅~梅田の運賃は470円と想定されています。

開業当時、数か月の大阪万博輸送で建設費のほとんどを償却してしまった北大阪急行は、
初乗り運賃100円と日本有数の安さを誇りますが、
新しく建設される区間にはどうしても費用がかかってしまいます。
このため、新規建設区間には通常運賃に上乗せする「加算運賃」が認められており、
その額は一般的に、初乗り運賃を超えない額とされています。

沿線地域から千里中央へ向かう阪急バスのうち、鉄道延伸区間の周辺1.2km圏内は220円で運行されており、
鉄道の加算運賃しだいではお得感が薄れてしまい
「箕面萱野より千里中央に出よう」となるケースも増えるでしょう。
箕面市ではバスとの乗り継ぎ割引も視野に入れていますが、
北大阪急行と同じ系列とはいえ、阪急バスの協力を得られるかは、まだ分かりません。

またここで懸念されるのが、エリア内のほかの鉄道路線との競合です。
新線が開通する地域は2kmほど西側に阪急箕面線の箕面駅や牧落駅、
東側に同じく阪急千里線の北千里駅などがありますが、
これらの駅から梅田までの運賃は260円です。
運転本数や途中乗り換えなどの有無を考慮しても、
対梅田であれば、阪急の路線が有利になってしまうのです。

「御堂筋線直通」は武器になるか キタ再開発が今後のカギに

 しかし北大阪急行の強みは、
何といっても西日本の地下鉄でナンバーワンの乗客数を誇る大阪メトロ御堂筋線への直通でしょう。
北摂地域はもともとホワイトカラー(事務系)のサラリーマンが多く、
ビジネス街が集積する御堂筋線の淀屋橋や本町への通勤者も多いのです。
運賃も箕面萱野~本町なら510円で、阪急箕面線や千里線経由より50円高くなるものの
(箕面、牧落、北千里からと比較した場合)、
たとえば箕面線経由のルートでは、「迷宮」とも言われる梅田エリアで乗り換えを要します。
その点では箕面萱野から直通する北大阪急行が有利といえるでしょう

ただ、大阪市全体の地域構造も変わってきています。
かつてはオフィス街の本町や歓楽街の難波がある「ミナミ」が栄え、
「キタ」と呼ばれる梅田は長く通過点に近い扱いを受けていましたが、
現在では「グランフロント大阪」「リンクス梅田」など大規模なビル開発が進みました。
つまり、ミナミに移動する必要が薄れ、キタに賑わいが移っているのです。
遊びもビジネスも梅田で済ますことができる近年の流れのなかで、
北大阪急行がどのようにしてキタ=梅田へ向かう人々を取り込めるかが課題となるでしょう。

ちなみに箕面市は、昭和40年代後半から国道沿いなどに広い駐車場を持つ、
いわゆる「ロードサイド飲食店」が立ち並ぶなど、地域のクルマ依存が進む一方で、
北部の渓谷は川床を楽しめるほど自然にあふれています。
念願の「御堂筋線直通」は箕面にとってはチャンスでもありますが、
箕面市北部に転入者を呼び込むネックともなっている箕面トンネルの高い料金など、
セットで考えながらの改善が必要ではないでしょうか。
【了】

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北大阪急行線延伸の概要

北大阪急行線の延伸計画区間は、千里中央~箕面萱野間の2.5kmです。
箕面萱野駅は、「新箕面駅」という仮称でしたが、2018年7月24日に箕面萱野駅と決まりました。
千里中央駅から新御堂筋の地下を北上し、芋川の手前で高架構造に移り、
かやの中央(箕面新都心)にあるイオン箕面店の南に箕面萱野駅ができます。
途中、新船場南橋と新船場北橋のあいだに、箕面船場阪大前駅(仮称:箕面船場駅)が設置されます。
箕面船場阪大前駅、箕面萱野駅ともに、島式1面2線のホームです。



運行本数は、ピーク時・オフピーク時とも、北大阪急行線の「全数乗り入れ」を想定しています。
御堂筋線を千里中央まで走ってきた電車が、そこから本数を減らすことなく、
すべて新箕面駅まで運行されます。
それを前提とした需要予測では、千里中央~箕面萱野間の乗降客数は、
1日に約42,200人が利用するとされています。

延伸区間には70円程度の加算運賃が設定されます。
想定運賃は江坂~箕面萱野間が230円、梅田~箕面萱野間が470円などとなっています。

総事業費は650億円と見込まれており、うち建設費が600億円、車両費が50億円です。
建設費600億円のうち、北大阪急行電鉄が80億円を負担し、
残りの520億円について、2分の1の260億円は国が社会資本整備総合交付金で負担します。
地方負担分260億円のうち、大阪府が100億円を上限に負担、箕面市が160億円を負担します。
また、車両購入費50億円については、
その2分の1に国費が充てられ、残り2分の1を箕面市が負担します。

北大阪急行線延伸事業では、
1 本の延伸線を鉄道事業法と軌道法の2 つの法律を適用して整備します。
鉄道事業法適用区間を鉄道事業者である北大阪急行電鉄が、
軌道法適用区間を箕面市と北大阪急行電鉄が整備します。
千里中央駅から箕面船場阪大前駅手前までの区間は北大阪急行電鉄が、すべて整備し、
それ以北については市がインフラ部、
北大阪急行電鉄がレールや電気設備などインフラ以外の鉄道設備を整備するという役割分担です。



*******************余談*******************

チェジュ航空、結局イースター航空の買収断念 のニュース

7/23(木) 7:08配信
朝鮮日報日本語版

 チェジュ航空は21日、国土交通部にも契約解除を通知する意向を伝えたという。
チェジュ航空との買収契約が白紙になれば、
自力で回復が不可能なイースター航空は最終的に破産手続きを踏むことになるものと見られる。
業界では、法定管理に突入すれば企業再生よりも清算の可能性が高いと見ている。
そうなれば、社員1600人は仕事を失うことになる。
今後両社は、チェジュ航空がイースター航空に契約金として支払った119億5000万ウォン(約10億7000万円)
の返還問題をめぐって訴訟を繰り広げるものと予想される。
チェジュ航空関係者は「契約解除通知時点は公示事項なので、
それまでの通知日程と内容については言えない」と述べた。
 チェジュ航空がイースター航空の買収を断念した。
早ければ23日にも買収契約破棄を通知するという。
これは、航空業界関係者が22日、「チェジュ航空は23日午前、
イースター航空側に契約解除を通知する予定だと聞いている」と語って明らかになったものだ。
チェジュ航空はイースター航空が未払い金の解消など先決条件を履行できず、
契約解除の要件が満たされたという内容の通知文書を送り、公示する予定だと伝えられた。
チェジュ航空は今月16日、「イースター航空が先行条件を履行できず、契約破棄が可能な権限ができた」と明らかにしていた。

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チェジュ航空、イースター航空の買収断念…1600人大量失業が現実に
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.07.23 09:12

チェジュ航空が3月2日にイースターホールディングスと締結した
「イースター航空株式売買契約(SPA)」を解除したと公示した。

チェジュ航空は23日、「政府の積極的な支援意志と仲裁努力にもかかわらず、
現在の状況で買収を強行するにはチェジュ航空が負うことになる不確実性があまりに大きいと判断した」
と明らかにした。

チェジュ航空は「株主を含む利害関係者の被害に対する懸念も大きい。
今回の買収合併が結実できず残念だ」と説明した。

韓国で初めての航空会社間の企業結合として注目された両社の買収合併が
新型コロナウイルスの余波などで結局失敗に終わり、航空業界再編にも支障が出るだけでなく、
今後契約破棄の責任をめぐり訴訟戦が続くと予想される。

特に6カ月以上にわたり賃金をまともに支払われずにいながらも
チェジュ航空による買収を期待して賃金返上にまで同意した
イースター航空従業員1600人の大量失業が現実化するものとみられる。


イースター航空 Boeing 737-800 (HL8048)

イースター航空 Boeing 737-800 (HL8269)




★MAX 2機保有していた‼️

イースター航空 Boeing 737 MAX 8 (HL8340)


イースター航空 Boeing 737 MAX 8 (HL8341)

22機保有

★737-900ER 2機保有
ボーイング737シリーズ最大の派生型である。
廃止されたボーイング757-200の航続距離と座席数を満たすために導入した。
エアバスA321と競合する。
最大航続距離が5,900kmで非常口を増設することで最大座席数は201席となった。ローンチカスタマーはライオン・エア。

737 MAX 2機保有

ボーイング737 MAX(Boeing 737 MAX、ボーイング737マックス)は、
ボーイング737の第4世代の小型ジェット旅客機である。
ライオン・エア610便墜落事故とエチオピア航空302便墜落事故に伴う全世界的飛行停止処分
(ボーイング737 MAXにおける飛行トラブル)の影響により、
2020年1月をもって生産一時停止、
同年5月27日にボーイングは米連邦航空局(FAA)による年内運航再開を見越して生産を再開した。



ピーチ元マリコジェットが抹消 国交省の航空機登録20年6月分

2020-07-16 10:22:14 | 鉄道の面白いお話🚂🚆
ピーチの機材退役を進めている
JA805Pで5機目だ
後続機は同型機A320neo を
2020年度8機導入計画の一環だろう
新型コロナの影響での受領延期のニュースもないので
計画通り導入するのかなぁ

 国土交通省航空局(JCAB)によると、
2020年6月 JA805P航空機登録抹消された
先日ニュースがあった

当時としてはラッピングも珍しい機材

退役5機目JA805Pは“マリコ・ジェット”皆が追っかけた

2013年10月27日 12:40 JSTニュース
ピーチが成田就航 初便は篠田麻里子さん特別塗装機「マリコ・ジェット」
ピーチ・アビエーション(APJ)は10月27日、初の首都圏乗り入れとなる関西-成田線を開設した。
APJでは14番目の路線で、当初は1日2往復で運航し、2014年1月10日から1日3往復となる。運賃は片道3790円から1万6990円。
マリコ・ジェットは機体後部に幅4.84メートル、高さ3.43メートルのデカールが貼られ、
左側の機首には「MARIKO JET」と愛称が入れられている。




抹消機材




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関空へ行き始めの頃 当時データ喪失
ipadに残っていた
関空での思い出の1枚
JA805P





ラッピング剥がした
JA805P




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2019年1月29日 sky-budget
ピーチ、A320neo18機を更新用機材として追加導入することを発表

Peachでは、すでにA320neoを8機発注しており、初号機は2020年度中に受領する予定です。
今回導入を決定したA320neoは、既存機材の更新用機材として2021年度以降に受領する計画です。
(以降、約5年間で計18機を受領予定)

A320neoは、新型エンジンと大型のウイングチップであるシャークレットといった
翼端デバイスなどの最先端技術を採用しています。
これにより、従来型機と比較し、大幅に燃費が向上し、
CO2の排出量も削減されるなど優れた環境性能を有する航空機とされています。

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東海道新幹線 いくつもあった始発駅候補❗️新幹線のルーツは❓新幹線四方山話です・・・

2020-07-10 00:10:00 | 鉄道の面白いお話🚂🚆

JRvs静岡県「リニア問題」どう決着するのだろうか?
リニアの開業は???出来るのか❓
2027年からのリニア開業延期は避けられず❓

チョット プレイバックして

今更の昔話ですが、知りませんでした❗️

東海道新幹線 いくつもあった始発駅候補


東海道新幹線開業1964/10/1 マア昔話みたいなもんですが
東京駅が新幹線の始発駅であることに疑問を持つ人は少ないと思いますが、
実は多数の候補地がありましたとの事です

最有力は市ヶ谷駅

 東海道新幹線の開業50周年は2014年10月1日(水)、
その開業50年記念に伴いJR東海では当日の朝5時40分から6時頃、
東京駅と静岡駅、名古屋駅、新大阪駅で出発式を開催したそうですが、
JR東海の本社は名古屋市にありますが、
同社の柘植社長が出席するのはやはり東海道新幹線の始発駅で、
日本を代表する駅としても過言ではない東京駅です。
しかし新幹線の始発駅は、すんなり東京駅に決まったわけではありませんでした。
もしかすると、東京駅ではなく市ヶ谷駅になっていたかもしれません。

1940(昭和15)年、東京~下関間を結ぶ高速鉄道計画「弾丸列車」の建設が決定します。
最高速度は200km/h。東京~大阪間を4時間半で連絡する予定でしたが、
戦況の変化で1943(昭和18)年に工事が中断されます。
この弾丸列車は東海道新幹線の前身とも言える計画で、
これで確保されていた用地、着工されていたトンネルを流用することなどによって、
東海道新幹線は5年という短い工期で完成しています。

この弾丸列車計画において、
東京の始発駅として最も有力視されていたのが市ヶ谷駅だったのです。
候補はほかに東京駅、新宿駅、荻窪駅も挙がりました。
しかし首都の中心部で利便性が東京駅に次ぎ優れること、
建設費が荻窪駅に次ぎ優れること、都市計画上のメリットが大きかったこと、
そして防空上の配慮から、市ヶ谷駅が有力視されていたのです。
しかし最終的にどこになるか決定されないうちに、弾丸列車の工事は中止されてしまいます。

14ヶ所もあった新幹線始発駅候補
戦後、1958(昭和33)年に東海道新幹線の建設が決定します。
しかしこの際も、始発は東京駅と決まっていたわけではありませんでした。
1959(昭和34)年頃、以下の14ヶ所が候補に挙がっています。

山手

ワシントンハイツ(代々木公園付近)、明治神宮外苑、新宿駅西口、淀橋浄水場跡(西新宿)、新宿御苑

中央

市ヶ谷、代官町(北の丸公園付近)、竹橋、飯田町駅(飯田橋駅付近にあった貨物駅)

◉東海道

品川駅、汐留駅(かつて汐留に存在した貨物駅)、東京駅八重洲側、東京駅丸の内側、皇居前広場


このとき都市計画者は、すでに交通が飽和に達している都心部を避け、副都心に新しい中心駅を造るべきと主張。
対し交通計画者は地下鉄網の急速な発達などを考え、都心部の東京駅に駅を造るべきと主張。
さまざまな検討がなされたのち、
最終的に品川駅、汐留駅、東京駅八重洲側、皇居前広場の4ヶ所に候補が絞られます。

そして皇居前広場と品川駅の山側は用地の取得が難しかったこと、
品川駅の海側は路線を北へ延伸させる際に海へ沿って線路を建設することになり、
用地取得と工事が難しいことから落選。
そして工費は最も高かったものの、用地取得のしやすさと利便性の良さから、
現在の東京駅八重洲側が選ばれたのです。

「新大阪駅」になれなかったJR京都線の小さな駅

東海道新幹線の終点、新大阪駅についても決定までは紆余曲折がありました。

弾丸列車計画で大阪の駅は、現在のJR京都線(東海道本線)東淀川駅に設けられる予定でした……
というよりこの東淀川駅自体、将来的に「弾丸列車新大阪駅」になる駅として、
1940(昭和15)年に新しく設置されたものだったりします。
弾丸列車計画では東淀川駅に駅が設けられる予定だった。

しかし戦後の東海道新幹線建設にあたって再検討した際、
大阪から山陽方面への延伸を考えると北方貨物線という貨物線沿いに線路を建設することが望ましいことから、
その北方貨物線と東海道本線の分岐点付近に駅を設置することになり、現在の新大阪駅が誕生します。

 「新大阪駅」になれなかった現在の東淀川駅は普通列車しか停まらず、
そんな過去があったことなど思いも寄らない雰囲気ですが、
もし弾丸列車が開業していたら、まったく違った風景だったでしょう。

またリニア中央新幹線の駅を大阪のどこに設置するか、
大阪の政財界では現在のところ新大阪駅で、という流れになっていますが、
それまでに大阪維新の会が梅田への誘致を試みるなど、
様々な動きがあったことは記憶に新しいと思います。

 実は東海道新幹線を建設する際も利便性を考えて梅田、
つまり大阪駅付近へ駅を造ろうとする意見が強く存在しました。

しかしそれでは山陽方面へ延伸した場合、
淀川に2ヶ所も橋を架けねばならず不経済なほか、遠回りになること、
民家の密集地帯に線路を通す必要があることなどから、現在の位置に決まっています。
また駅を宮原操車場付近に設置する案などもあり、
もしそうなっていたら阪急宝塚線が新幹線アクセス路線になっていたかもしれません。

以上 

2014.09.30 恵 知仁(鉄道ライター)

弾丸列車計画とは
1930年代に入ると、満州事変や日中戦争の激化などにより、
日本から中国や満州国へ向かう各種物資輸送需要の激増で、東海道・山陽本線の輸送量も増大した。
このころ鉄道省内部に「鉄道幹線調査会」が設立され、
主要幹線の輸送力強化についての検討が行われた。
ここから抜本的な輸送力増強手段として1939年に発案されたのが「弾丸列車計画」であった。

これは、東京から下関まで在来の東海道・山陽本線とは別に広軌(1,435 mm・標準軌)の新路線を建設し、
最高速度200 km/hと満鉄「あじあ」号を超える高速運転を行い、
東京 - 大阪間を4時間、東京 - 下関間を9時間で結ぶことを計画したものであった。
この計画は翌1940年(昭和15年)9月に承認され、建設工事が始められることになった。

すでにこの時点で、新しい幹線を敷設するということから「新幹線」や「広軌新線
という呼称を内部関係者は用いていた。「新幹線」の語はここが起源であるとされている。

また将来的には対馬海峡に海底トンネルを建設して、
統治下である朝鮮半島へ直通、釜山から奉天(現:瀋陽)を通り満州国の首都新京(現:長春)、
さらには北京・昭南(現:シンガポール)に至る、という構想も一部では描かれていた。

当時の鉄道では、日本においてもまだ機関車が客車を牽引する方式が一般的であったうえ、
完全電化したものの、発電所が敵国からの攻撃を受けた場合の対処について軍からクレームを受けたために、
「弾丸列車」も電気機関車と蒸気機関車を併用する方式で計画された。

1941年12月の太平洋戦争勃発後も工事は続けられ、
日本坂トンネルや新丹那トンネルが、1942年には東山トンネルの工事が着工したが、
最終的には戦況の悪化で中断した(その後再開され新幹線に利用)。
しかし、そのルートの相当部分が後の東海道新幹線建設で役立てられた。
特に、土地買収が戦時中の時点で半ば強制的な形で相当な区間において終わっていたことは、
新幹線建設をスムーズにした。

この弾丸列車計画の技師たちが居住した地として、
静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が、東海道新幹線の開業前から存在した。

弾丸列車計画ルート



以上

弾丸列車計画が新幹線に与えた影響
 東海道新幹線の計画が表出してくるのは、さらに時代が下った昭和30年代に入ってからのことになりますが、弾丸列車の計画は、少なからぬ影響を東海道新幹線に与えました。

 良い部分では、戦時中に先立って一部区間の用地買収が行われていたため、そこに予算と時間を取られなくて済んだことが挙げられます。高度経済成長期に入った新幹線開通前夜、用地買収は困難を極めましたが、もし一から用地買収を行おうとしていたら、用地確保がさらに難しくなっていたのは間違いありません。

 また、すでに完成して東海道本線で使用されていた日本坂トンネルがそのまま転用できたことや、ある程度掘り進められていた新丹那トンネルがあったことで、東海道新幹線全体の工期が大きく短縮されたのも見逃せない事実です。

 逆に、弾丸列車のルートを辿ったことで、現在の新幹線にネガティブな影響を与えている部分もあります。早期に着工された新丹那トンネルから熱海駅付近にかけては線形(ルートの形状)が悪く、最小曲線半径が1500mとなっており、現在の新幹線の速度向上に、大きな障壁となって立ちはだかっています。

 弾丸列車が計画された当時、鉄道車両が300km/h以上の高速で走ることは想定不可能であり、熱海駅付近の半径1500mの曲線はさほど問題にはなりませんでした。しかし、その後の技術革新によって300km/h超で走行出来る車両が開発されるようになると、この熱海駅付近に存在する急曲線が、速度向上に対するボトルネックとなってしまいました。

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リニア中央新幹線計画
静岡県内が工事着工出来ない状況
2027年開業は危ぶまれる
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新幹線 路線