2018年2月8日 プレイバックです
京終[きょうばて]
地名の由来は、その漢字の意味する通り「京」の「終わり」、
すなわち奈良時代の「平城京」の端・はずれにあたる場所という意味を持っています。
かつての平城京では、この京終地域は南東端にあたる場所であり、
平城京が無くなって次第に現在のならまち一帯が奈良のまちの中心部となってからも、
やはり京終地域は奈良のまちの南の端、南の玄関口として機能し続けましたとの情報
ネットから
初めての街でスナップ
もう一度訪ねてみたいなぁ
JR奈良駅から1つ目の駅だ 勿論 無人駅
レトロな自販機だった
乗降客も少ない
2018年当時 1日乗降客 1446人
ランチ 駅前にはない・・
地元の人に聞く・・・お勧めのお店を教えてもらう
少し距離はあるけど行こう
和歌山行が走ってる
立派な土塀の街を通り越して
小洒落なお店
店内はいい雰囲気 カウンターに座る
カサブランカが迎えてくれた
ランチ&生ビール美味しく頂き
コーヒー
ぶらぶら 駅に戻ります
京終の街をぶらり
現在
京終駅はリニューアルされている
京終駅
JR京終駅は、京終地域の玄関口である小さな駅であり、2019年には明治の開業当初の姿をイメージした姿にリニューアルされました。
リニューアル後の駅舎にはカフェが設けられ「地域イベント」の拠点としても活用できるようになっているため、「単なる駅」でなく「観光拠点」として今後存在感がますます高まっていくことが期待されます。
周辺地図
「平城京の端」を意味するユニークな難読地名「京終」
奈良市内の「京終(きょうばて)」地域は、奈良の主要観光地として大勢の観光客が訪れる「ならまち」の南側、JR線の京終駅などを中心とする一帯を指す地名です。
この「京終」という地名は、難読地名として有名な存在であり、奈良交通バスのバス停には「北京終町」や「南京終町」といったバス停がありますが、初めて奈良に訪れた観光客で「きょうばて」と読める人は少なく、しばしば「ぺきんおわりまち」・「なんきんおわりまち」と読み間違える人がいるという「笑い話」もあながち嘘とは言えません。
地名の由来は、その漢字の意味する通り「京」の「終わり」、すなわち奈良時代の「平城京」の端・はずれにあたる場所という意味を持っています。かつての平城京では、この京終地域は南東端にあたる場所であり、平城京が無くなって次第に現在のならまち一帯が奈良のまちの中心部となってからも、やはり京終地域は奈良のまちの南の端、南の玄関口として機能し続けました。また、この地域は現在のならまち地域に広大な境内地を有していた元興寺との結びつきも強かった他、かつては行基が創建したとされる「福寺」と呼ばれるお寺も存在したなど、深い歴史を有する空間となっています。地域を南北に貫く形では古代からの街道である「上ツ道」も伸びており、近世などには伊勢神宮や長谷寺参詣の主要ルートとして多くの参詣者が通った「街道沿い」のまちでもあり、現在でも石燈籠などにその面影が残されています。
なお、近代以降には京終の地がかつての有名なレコード会社である「帝國蓄音機(テイチク)」の創業の地となったほか、京終駅には大和高原からの物資を輸送するロープウェイの終着駅が設けられていたなど「産業」のまちとして栄えた歴史も持っています。