呑んベエSTING

ロック、やきとん、丼、ERをこよなく愛するオヤジのたわ言

ポセイドンのめざめ 「ANOTHER SIDE」メモリーズ

2019-02-13 14:15:18 | ロック


昔々、渋谷センター街に「ANOTHER SIDE」ってロック喫茶があったのです。

「ファーストキッチン」(今は「ウェンディーズ」かな・・・)の裏路地の地下にあったかな。

オレをめざめさせてくれたのが、その店だったのだ。


1978年(昭和53年)
都立高校の2年生になったばかりの春に学校の新聞委員会の委員長に無理やり選出され、前任の委員長である先輩に連れられて行ったのが初めてだった。

学生運動は大学では徹底的に弾圧されて下火になっていたが高校ではまだ火が燻っていたころで、自分が通っていた都立(底辺)高校の新聞委員会は学生運動の巣窟的な存在だった。

もうOBがたまに来るときぐらいしかそんな話題にはならなかったが、授業をサボるときの隠れ家だった新聞委員会室にはその当時もロッカーの中に火炎瓶やボーリングの球などの武器や寝袋が入っていたし、とにかく壁一面に闘争文字が書かれていた。

初めて「ANOTHER SIDE」に連れて行かれた日は土曜日で午後の授業が無かった日だと思うが、昼間にも関わらず地下にあった店の中は薄暗くて煙草と酒の臭いが充満していて高2のオレをビビらせるのには充分過ぎる雰囲気だった。

席は低めのボロボロのソファーでテーブルも低い。

イカしたワンレンロン毛の女子たちの間で流行っていた、ジーンズのミニスカートなんかで座ろう日にはパンツ丸見えだ。

客は今から思えば、ファッションとメイクでハードロッカー的なビジュアルの若者が多かった。

皮やジーンズ地のジャンパーやベストを地肌やプリントTシャツの上に羽織った、茶髪でシルバーギラギラの鋭い目つき。

そんなビジュアルのお兄さん、お姉さんたちにギロリと睨まれて、高2になったばかりのオレは足が竦まないハズがなかったわけよ。

早く出たいな~と思いながら、しきりとウイスキーの水割りをススメてくる先輩に愛想笑いを浮かべていたら、ミニスカートに編み編みブーツを履いてスラリとした生足を自分の目の前に晒したイカすお姉さん店員さんが「なにする?」と尋ねてきた。

ドギマギしてシドロモドロになりながら、コーラを頼んだのを憶えている。

しばらく朦朧としながらも薄笑いを浮かべて平気な体で座っていたオレに、向かいの席に座っている厚化粧でガンガンにパーマをかけた髪の女性が話しかけてきた。

「おっ、使える後輩くんじゃない!」

ん、知ってる人か? オレは知らんぞ!

すると彼女は、前日の放課後に学校の各委員会の新委員長を集めて行われた臨時生徒委員会について語りだしたのだ。

あれ、同じ高校の人なのか? OBはいなかったぞ。

よくよく顔を見て驚いた。

彼女は生徒会長だったのだ!

通っていた都立高校は、当時はまだ制服はなく私服で通える学校だったのだが、彼女は生徒会長だったためなのか割りと制服に近い標準服を着ていた記憶がある。

しかし、いろいろ話しをしていくうちに目の前にいるロックネエチャンが我が校の生徒会長だあることは疑う余地の無い事実だと判明した。

見た目も話し方も、まったくの別人にしか思えないのにも関わらずなのだ!

それをそれとなく彼女に告げると、「ああ、光栄だねぇ~」と一言。

それ以上はなにも突っ込めませんでしたわ。

横では先輩がニヤニヤ笑っている。

しばらくすると、新聞委員会のOBで有名なインディーズバンドのメンバーだった先輩が「アーリータイムズ」のボトルをぶら下げて入ってきた。

やはり、彼女(女)連れ。

しかもその彼女が、これまた一年上の先輩だった。

「お~ あたるクンかぁ~!」

そのOBはオレのことをいつも「うる星やつら」の「あたる」と呼んでいたのだ。

「呑みにいくぞ、みんな有り金を全部出しなさい。オレは無いけど!」

そして、なんだか知らないが金のあるヤツ金の無いヤツ関係無く「ANOTHER SIDE」にいたメンバーでぞろぞろと開店したばかりの居酒屋「天狗」に流れて行くののだった。


あんまり、「ANOTHER SIDE」には関係ない話しだったかな?

それから高校在学中はちょくちょくは行ってはいたがそのうち忘れてしまい、気がついたらいつの間にか店は無くなっていた。

そして、生徒会長もイカした店員さんもOBのロッカーも、今は知らない。