ちょっと前の話しですが、
横浜の実家の両親と飯を喰おうと横浜みなとみらいへ。
石川県の金沢市に生まれて中学1年まで過ごし、
東京暮らし3年間を経て横浜に住まう。
横浜は生まれた金沢よりも長い期間住んでいて、
第2の故郷のような場所。
学校も職場も東京だったの横浜は生活の場ではなかったのだが、
自分にとってはとても想い出深い場所。
それは「横浜」という街が素晴らしく素敵で、
そう思わせてくれるのかも知れない。
今ほど観光のために整備されてキレイになっていなかった
「元町」「中華街」「関内」「海岸通り」「横浜西口」
「伊勢佐木町」「野毛」「本牧」
どこか危険な匂いがして、親しみがあって、魅力的だった。
夜の世界のあれこれを教えてくれた
関内の高級クラブのママさんやマネージャーのお兄さん達。
横浜生まれで横浜育ちの女の子と交際していて、
よくデートで応援に行った横浜スタジアムでのプロ野球の試合。
柔道五輪金メダリストのヘーシンクは弟子だ!と言う
柔道家の日系ハワイ人の胡散臭いマスターと、
生きたビリー・ホリディのような風貌のママさんが
横浜港に入ってくる欧州人の船乗りのために開いていた
「チェッカーズ・クラブ」というバーで聴いたジャズのレコード。
店の残がいは中華街の入り口辺りに残っているけど、
もうお二人ともこの世の人ではない。
無口で愛想が無くって思いっ切り不健康で濁声のマスターが
一人でやっていた「たけみ」というバーの
大きなグラスに擦切り一杯のバーボンロックに
絶品に旨かったクリームソース系のスープスパゲティ。
煙草の煙が充満する店内に九官鳥が飼われていて、
不健康なマスターの「ゴホッ、ゴホッ」という咳の声を真似ていたのが
いつも笑えたっけね。
この店も健康的な別の店になっている。
ここの店で20代の頃知り合った5歳年上の女性との
短かったけど濃厚な恋愛は切ない想い出として今も脳裏に残っている。
当時の浅野温子のような長い髪のクールなアパレル職の女性で、
彼女と会社をサボって鎌倉でデートして横浜西口のおでん屋で呑んでる時
おでん屋のTVで映されていた近鉄の初優勝がかかった「近鉄VSロッテ」戦の
ダブルヘッダー2試合目の悲劇・・・近鉄ファンだっただけに忘れられない。
悪いけど、
横浜の本当の良さは横浜に住んだことのある人間じゃなければ判らないと思う。
それは空気感だから。
観光化された横浜の街だけど、
随所に怪しかったころの昔の横浜の空気感が残っている場所がある。
横浜は港の街だ。
港町は人も文化も風俗も他の街よりも常にたくさん入ってくる。
良いものも悪いものもだ。
社会をリタイアしたら横浜に戻りたいと考えている。
東京にも独自の空気感はあるが、好みのものではない。
墓は日本海と金沢の街を見渡せる山の上にすでに建っていますがね。
日曜日だったせいか、日本丸のマストに帆が張られていました。
横浜の実家の両親と飯を喰おうと横浜みなとみらいへ。
石川県の金沢市に生まれて中学1年まで過ごし、
東京暮らし3年間を経て横浜に住まう。
横浜は生まれた金沢よりも長い期間住んでいて、
第2の故郷のような場所。
学校も職場も東京だったの横浜は生活の場ではなかったのだが、
自分にとってはとても想い出深い場所。
それは「横浜」という街が素晴らしく素敵で、
そう思わせてくれるのかも知れない。
今ほど観光のために整備されてキレイになっていなかった
「元町」「中華街」「関内」「海岸通り」「横浜西口」
「伊勢佐木町」「野毛」「本牧」
どこか危険な匂いがして、親しみがあって、魅力的だった。
夜の世界のあれこれを教えてくれた
関内の高級クラブのママさんやマネージャーのお兄さん達。
横浜生まれで横浜育ちの女の子と交際していて、
よくデートで応援に行った横浜スタジアムでのプロ野球の試合。
柔道五輪金メダリストのヘーシンクは弟子だ!と言う
柔道家の日系ハワイ人の胡散臭いマスターと、
生きたビリー・ホリディのような風貌のママさんが
横浜港に入ってくる欧州人の船乗りのために開いていた
「チェッカーズ・クラブ」というバーで聴いたジャズのレコード。
店の残がいは中華街の入り口辺りに残っているけど、
もうお二人ともこの世の人ではない。
無口で愛想が無くって思いっ切り不健康で濁声のマスターが
一人でやっていた「たけみ」というバーの
大きなグラスに擦切り一杯のバーボンロックに
絶品に旨かったクリームソース系のスープスパゲティ。
煙草の煙が充満する店内に九官鳥が飼われていて、
不健康なマスターの「ゴホッ、ゴホッ」という咳の声を真似ていたのが
いつも笑えたっけね。
この店も健康的な別の店になっている。
ここの店で20代の頃知り合った5歳年上の女性との
短かったけど濃厚な恋愛は切ない想い出として今も脳裏に残っている。
当時の浅野温子のような長い髪のクールなアパレル職の女性で、
彼女と会社をサボって鎌倉でデートして横浜西口のおでん屋で呑んでる時
おでん屋のTVで映されていた近鉄の初優勝がかかった「近鉄VSロッテ」戦の
ダブルヘッダー2試合目の悲劇・・・近鉄ファンだっただけに忘れられない。
悪いけど、
横浜の本当の良さは横浜に住んだことのある人間じゃなければ判らないと思う。
それは空気感だから。
観光化された横浜の街だけど、
随所に怪しかったころの昔の横浜の空気感が残っている場所がある。
横浜は港の街だ。
港町は人も文化も風俗も他の街よりも常にたくさん入ってくる。
良いものも悪いものもだ。
社会をリタイアしたら横浜に戻りたいと考えている。
東京にも独自の空気感はあるが、好みのものではない。
墓は日本海と金沢の街を見渡せる山の上にすでに建っていますがね。
日曜日だったせいか、日本丸のマストに帆が張られていました。
随分変わった、と思うわ~。横浜独特の粋っていうものが、やっぱり段々無くなってきているかな。
「チェッカーズクラブ」、一回連れてってもらったっけ?懐かしいなぁ。
5歳年上アパレル嬢は記憶に無いなぁ...。
シェルガーデンとか、昔本牧にあったリキショー・ルームなんかも、古きよき横浜だぁ~ね。
それでは、はっぴー・おぼんやすみ~~。
シェルガーデンって、東京のどっかにあるスーパーの名前やったっけ?すみまそん。
シェルルームはバンドホテルの中にあって、20代始めのころにライブ見に一度行ったんだけど、バンドホテルもシェルルームも、50年代レトロの雰囲気ムンムンでした。
バンドホテル、もうないんだよね?
リキショー・ルーム(リキシャルーム)は、以前あった場所に建ったマンションの地下に入ってるそうです。オーナーは変わったみたい。
もちろん、独身時代の話しですよ。
もう時効です。
中華街周辺では「スカンジナビア」「ノルゲ」などはまだ残っています。
しかし昔の胡散臭さというか怪しげな空気は無し。
「スカンジナビア」の入り口で入れ墨の入った丸太のような腕で脅かしながら
客の注文を取っていた名物北欧人のオヤジもお亡くなりだそうです。
横浜最後の胡散臭い場所は「野毛」「福富町」「黄金町」界隈ですね。
たまに横浜に行くと「野毛」に行ってます。