呑んベエSTING

ロック、やきとん、丼、ERをこよなく愛するオヤジのたわ言

曹洞宗大本山總持寺

2012-02-27 00:26:12 | ロック
思うところがあって、
鶴見の總持寺へ行ってきました。

 大祖堂

明治44年に石川県の能登からこの地に移ってきた
曹洞宗大本山は8万坪の広大な境内に壮麗な堂宇が立ち並ぶ、
なかなかの寺院でした。

 仏殿

寒かったけど空が青い日で、
遮るものが無い広大な境内は開放感がありました。

 放光堂

放光堂では、
修行僧が大勢念仏を唱える様子を見ることが出来ました。


その修行僧が毎朝磨いているのだろう、
鏡のようにピカピカの回廊。

 向唐門

立ち入りが出来ず、閉じたままの門には菊の御紋が。

 香積台

 三門


大変清らかな心持ちになった午後のひと時でした。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ガチョウ (Shira)
2012-02-29 22:46:21
生まれは鶴見です。

本山にはよく連れて行ってもらいました。

この前久しぶりに国道駅に行って変わらぬたたずまいに感慨…。あの駅は白黒で写真を撮りたいですね。
返信する
国道駅 (almost STING)
2012-03-01 12:56:06
鶴見駅から行きましたので国道駅には寄りませんでした。
お寺の正面から出たときに鶴見線の線路は見えましたが。
自分は学生のころ、旭硝子の京浜工場でバイトをしたことがあって、
鶴見小野駅とかでうろうろしてた想い出があります。
バイト先の人に鶴見小野の呑み屋に連れて行ってもらったな。。。
返信する
ガチョウ のわけは (Shira)
2012-03-01 22:00:53
コメントの題と内容とが意味不明でしたね。三ツ池公園にも連れて行ってもらって、そこのガチョウに追い回されたらしいんです(記憶なし)。

父親が旭硝子京浜工場ひとすじでした。フロート課で40代くらいまで三交代勤務(その後は日勤)。弁天橋近くにあった社宅から首都高1号が見えました…。

私は学校に行っていたとき、日産座間工場で交代勤務のアルバイトをして、ようやく親に顔向けできる(ような)気がしたものです。真夏に安全靴に皮の手袋でスポット溶接はこたえました。あの工場も今はなく。
返信する
なんとまぁ・・・ (almost STING)
2012-03-02 11:06:47
うちの父も20年ほど旭硝子京浜工場にいたんですよ。
子会社(?)の旭日運輸という会社で、産廃場を作るの仕事をやっていました。
わたしがバイトしたのは高校生の時だったので、それほどたいした事はやってませんでした。ガラスを運ぶ際の木枠を解体する仕事だったかな。
安全靴、懐かしいですね。
返信する

コメントを投稿