呑んベエSTING

ロック、やきとん、丼、ERをこよなく愛するオヤジのたわ言

ヨコハマ・本気トーク・ブルース 中華街界隈あそこは今は?編

2014-03-16 14:02:24 | 呑んだり喰ったり語ったり
早い時間から横浜にいたので、
横浜生活時代のルーツめぐりをしてみた。

独身時代、
横浜で遊ぶ時はもっぱら中華街の周辺で遊んでいた。

中華街は今と違ってまだベイシティの色が濃く残っていた横浜の
いかがわしさが残っていた界隈なのでした。

中華街周辺には船乗り相手の異国感漂うバーがたくさん残っていたのね。

しかし、
すっかり観光化された中華街界隈はすっかり変わってしまっていた。



アントン・ヘーシンクの柔道コーチだったというハワイ日系二世の親父と、
どう見ても中国人っぽかったマダムが営んでいたいつも客のいないバー
「チェッカーズ・クラブ」は怪しげな建物ごと無くなっていた。

イギリス人やオランダ人の船員相手に店を開いていたらしいのでが・・・。

古いジャズやビックバンドのレコードコレクションが凄くて、
よく聴きに行ってましたが、マダムのおしゃべりの方が聞こえてきてねぇ。。。



北欧の船員相手のバー「コペンハーゲン」は跡形も無く。。。

7~8年前ぐらいには閉店してしまったらしいね。

重厚な扉を開けると、
入り口近くの席にスキンヘッドで髭もじゃ、
丸太のような腕に刺青をした青い目の外人さんが客定めをする。

今から思うと用心棒みたいな存在だったのだろうか。

片言の日本語で「デンマーク・ビアー?」と語りかけてくる。
いきなり注文をとられるのだけど、
店は鰻の寝床のように奥に長くて、
その長さ分の1枚板のカウンター店いっぱいに広がっている。

カウンターの中は女性がたくさんいてみんな美人!

なんとも怪しげな店なんだけど、オーセンティックなバーだったのだ。



大好きだった「たけみ」も無い。

近くにあった「ニュー・ノルゲ」も見当たらない。



「ウインドジャーマー」と「アテネ」はかろうじてあったけど、
どっちも早くから日本人に迎合していてあまり好みではなかったかな。



中華粥の名店「安記」は元気で営業中。

昔ですが、よく早朝の中華街に行くと、
当時聘珍楼の総料理長だった周富徳氏がベロンベロンに酔っ払って
「安記」に朝粥を喰らうために入って行くのを見かけました。

中華街の「香港路」は字の通り香港みたいに
頭上に所狭しと看板がせり出していて楽しいね。



「青葉」もあった。
出勤前の母親とよく寄ったなぁ。


中華街も老舗の店がさり気無く消えていて、
「食べ放題」を売りにする店名は変えているが
企業経営のチェーン店ばかり増えてます。

観光客に向けて明らかにいかがわしさは無くなっています。
あの恐かった「市場通り」も怪しい店が失せてしまって普通でした。



中華街のネコちゃん。



お客さんだった横浜地元の珈琲会社は大手の傘下に入っていました。


ヨコハマ・ホンキートンク。

寂しいもんですね。。。


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