日本交通医学会の評議員に推薦されました。日本医学会の38番目の正式の分化会でもある100年を超える由緒ある分化会です。
日本交通医学会の歴史
1914.7.10 日本鉄道医協会設立
1941.4.20 日本鉄道医学会と改称
1947.4.2 日本交通医学会と改称
1950.4.17 日本交通災害医学会と改称
1950.4.20 日本医学会第38分科会となる
1967.3.7 日本交通医学会と改称
日本鉄道医協会ことはじめ
日本医学会の分科会として現在もその活動を続けている日本交通医学会が、日本鉄道医協会として設立されたのは大正3年のことである。 初代会頭である東京帝国大学第二外科佐藤三吉教授が、時の鉄道院総裁仙石貢工学博士に日本鉄道医協会設立を以下のように報告した。
災害医学は医学の一分野として己に独立の位置を占め泰西に於てはその研究大に見るべきものありと雖も、我国の現状は未だ其の努力の跡を認むるを得ず。顧みれば、我鉄道院に於ては、大正元年度に於て約一萬九千人の負傷を出したる如き状態にして、是が研究は忽にすべからざるものあり。又鉄道衛生に関しても、一般衛生の進歩に随ひ、諸種の施設研究を要すべく、特に結核予防の如きに至りては、結核予防協会の設立あり、又結核療養所国庫補助の制定ある現状にして、これらの主旨に則り鉄道部内に於ても協力事に従ふの必要に迫れり。此時に際し我鉄道院の医務衛生に従事するものを集めて一団を作り災害医学及鉄道衛生の研鑽に力を致し旁相互の親睦を敦ふするは時宜に適するものなるを信じ本年三月青山胤通、北里柴三郎、栗本庸勝、佐藤三吉発起者となり、四百二十七名の該関係医師に別紙規約案を送り鉄道医協会設立の事を諮りたるに、何れも進んで賛成の意を表せり。依てさらに賛成者の承認を受け第一次総会を開くまで、会頭に佐藤三吉を、理事長に栗本庸勝を、理事に山口秀高、内藤楽、井村英次郎三名を挙げ、本月十日本協会を成立せり。尚機関雑誌は来る九月下旬第一号を発刊する運に相成居候 。
日本交通医学会会誌の沿革
学会誌は、大正3年12月15日に「日本鉄道医協会雑誌」が月刊誌として発行された。昭和19年4月から昭和22年2月までは戦争の影響で印刷事情が悪く、雑誌の発刊を一時中断したが、昭和22年3月「交通医学」と改名し、原則として年6号の刊行を続けている。
日本交通医学会ホームページの沿革
2002年6月8日に、日本交通医学会ホームページが開設された。サーバーは大学病院医療情報ネットワーク(UMIN)を利用した。ホームページの作製は古瀬 彰理事長が自ら行った。トップページの電車の画像はJR山手線の車両を左右に引き伸ばしてスピード感を出したものである。その後のホームページの更新は、2011年5月までは古瀬 彰理事長が自ら行っていたが、2011年6月以降は外部に委託することとなった。