こばとの独り言

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「魂の激走 オグリキャップ」

2010年07月05日 18時25分10秒 | その他(未分類)

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久しぶりに観ました。オグリキャップの全レースを。

7月3日、土曜日の夜。競馬ファンにとって衝撃的なニュースが飛び込んだ。

「オグリキャップ死亡」

最初に聞いたときには耳を疑った。まさか・・・。

当然いつかそんな日が来るとは思っていた。でも、オグリキャップならシンザン並に長生きするのではないかと心のどこかで思っていた。

放牧中の骨折による安楽死。馬にとっては脚の骨折は致命傷になる。500kg以上もある馬体は3本脚では支えることもできず、その負担は脚だけに限らず全体に回り、やがては衰弱死してしまう。そんな苦しいことをさせるならと安楽死処分されるのが通例だ。
それはオグリキャップとて例外ではなかった。25歳。人間で例えると80歳を超えている。だが、まだあと数年は生きられる年齢でもある。

オグリキャップは1987年、地方競馬の笠松競馬場でデビュー。翌年に12戦10勝という成績を引っさげて中央競馬でデビューした。
中央デビュー戦のペガサスSを圧勝するとそこから怒涛の重賞6連勝。これは同じく地方からやってきた元祖アイドルホース・ハイセイコーを抜く記録で、日本記録タイとなる重賞連勝記録だ。
この年の秋、現役最強馬タマモクロスとの世紀の芦毛対決となった天皇賞・秋で初めて敗北。雪辱に燃えるジャパンカップでもタマモクロスの後塵を拝した。
秋G1の最終戦・有馬記念。タマモクロスの引退レースとなるこのレースでライバルに勝てなければ、”タマモクロスに勝てなかった馬”という不名誉な記録が残ってしまう。鞍上を関東No.1ジョッキー岡部幸雄に替えたオグリキャップはここでようやくタマモクロスに雪辱を果たし、世代交代を告げた。

1989年。この年のオグリキャップの走りはもはや伝説となっている。
春を脚部不安で棒に振ったオグリキャップ(実際にはオーナーサイドの問題もあったらしいが)。復帰緒戦はオールカマー。鞍上はかつてのライバル・タマモクロスの主戦騎手だった南井騎手(後の3冠馬ナリタブライアンの主戦騎手でも有名)。復帰緒戦はレコードの圧勝劇。
続いて出走した毎日王冠はオグリキャップのレースの中でも特に”名勝負”と今でも語り継がれているレース。先に競り合っていたメジロアルダンとウインドミルを外からオグリキャップと春のG1を2連勝したイナリワンが強襲。残り1ハロンはこの2頭の争いになり、イナリワンが抜けかけたところを再びオグリキャップが盛り返したところでゴール。結果はハナ差でオグリキャップが制した。
秋3戦目は天皇賞・秋。ここで天才・武豊が初めて惚れ込んだ馬スーパークリークが立ちはだかった(武豊のG1記録でまず最初に挙がるのがこの馬です)。ここにはイナリワンも出走しており、平成最初の3強が一堂に会した初めてのレースとなった。結果は先に抜け出したスーパークリークが勝ち、オグリキャップは僅かに届かなかった。ただ、これは南井騎手のミスによるものが大きいと思う。あれさえなければ勝っていたんじゃないかなぁ。
天皇賞を負けたことで予定に狂いが生じた(あくまでオーナーサイドから見ればだが)オグリキャップ陣営は驚くべきローテーションを発表する。マイルチャンピオンシップからジャパンカップに行き、有馬記念に出走するというプランである。戦前の競馬ならそういうこともあったが(初代3冠馬セントライトは4連闘で菊花賞に勝っている)、現代競馬で連闘・・・しかも下級戦(下のクラスではよくある事)ではなくG1でやるというのだから無謀であり物議を醸した。
そんな中で出走したマイルチャンピオンシップ。ここで立ちはだかったのはまたも武豊。今度の馬は短距離戦線で活躍しているバンブーメモリー。オグリキャップは道中先行していたものの、4コーナーあたりでは手ごたえが怪しくなっていた。逆にバンブーメモリーは手ごたえバッチリで直線を迎えた。直線勝負。先に抜け出し勝利を確信していた武豊とバンブーメモリー。オグリキャップはかろうじて食い下がっていたものの残り1ハロンの時点では絶望的な位置だった。しかし、オグリキャップはそこからとんでもない脚を見せた。一完歩ずつバンブーメモリーを追い詰めて、残り2~30メートルでかわしてゴール。この劇的な勝利にオグリキャップのベストレースでこのレースを挙げる人も多い。
そして、連闘で迎えたジャパンカップ。普通ならボロ負けしてもおかしくない状態である。しかし、オグリキャップは周囲の予想を超えた怪物だった。レースは2400メートルの世界レコードホルダーや凱旋賞馬が出走するなど近年のジャパンカップでは有り得ないほどの豪華メンバーが揃っていた。迎え撃つ日本馬はオグリキャップや天皇賞馬スーパークリーク。レースはイブンベイとホークスターが引っ張る形で進み、3番手にホーリックス、4、5番手に日本のオグリキャップとスーパークリークがいた。前を行く2頭は1800メートルを通過した時点で1800メートルの日本レコードよりも速く走っていた。とんでもないハイペースである。直線に入って3番手を追走していたホーリックスが抜け出し、逃げ込み体勢に入っていた。誰も追ってこないと思ったそのとき、ただ一頭後ろから猛然と追い上げる馬がいた。オグリキャップだった。先週のマイルCS同様に一完歩ずつホーリックスを追い詰めるもクビ差届かずゴールした。タイムは脅威の世界レコード(当時)2分22秒2。オグリキャップは敗れはしたものの連闘で臨んだ一線で世界レコードと同タイムで駆け上がった。このレースをオグリキャップの1番の名勝負に挙げる人も多い。
その1ヵ月後。連覇を狙う有馬記念では積極的に先行したものの、最後は力尽き5着に敗れた。
ちなみに、こんな過酷なローテーションを組んだ裏には巨額トレードの資金を回収するためだったとかいう話を聞いたことがある。

1990年。ドラマチックな競走生活を送ったオグリキャップが現役を引退した年。
前走から約半年ぶりに出走したのは安田記念。鞍上は天才・武豊。夢のコンビの結成だった。レースでは先行し直線馬なりで抜け出しレコードの圧勝。オグリキャップはマイル戦で負けることは1度もなかった。
アメリカ遠征が決まって壮行レースとなった宝塚記念。鞍上は若手のホープ岡潤一郎(落馬事故で亡くなりましたが)。普段のオグリキャップなら楽勝だったはずのこのレースでオサイチジョージを捉えることができずに2着。その後脚部不安を発症し海外遠征は夢と消えた。ここからオグリキャップに異変が起こり始めた。
復帰緒戦は天皇賞・秋。3年連続1番人気で迎えたレース。鞍上は再び変わって日本競馬史上初の2000勝ジョッキー増沢騎手(元祖アイドルホース・ハイセイコーの主戦騎手でもあった)。レースは見せ場がまったくない6着。初めて掲示板を外してしまう。
続けてジャパンカップ。ここは更に酷かった。レースの流れについていけず後方のまま11着。初めての2桁着順。「オグリは終わった」。誰しもがそう思っていた。しかし。
引退レース有馬記念。鞍上に再び武豊を迎えた。ここで有名なエピソードといえば武豊が見つけ矯正したというオグリキャップの弱点「手前を変える」。何もしないよりはやった方がいいという苦肉の策だった。レースでは前走ではまったくペースについていけなかったが落ち着いたペースが幸いして先行できていた。何となく楽な手ごたえで道中を走っているように見える。そして直線。外に持ち出したオグリキャップと武豊。先に抜け出し逃げ込み体勢に入った。後ろから追い上げてくるのは1番人気メジロライアン。必死に逃げるオグリキャップ、追い上げるメジロライアン。ここで実況の中に入っていた故・大川氏の「リャイアン!リャイアン!」はこの有馬記念を語る上でかかせない要素の1つです(笑)。そして、オグリキャップは先頭でゴールした。
奇跡だった。競馬場にやってきた17万人の観衆は一斉にオグリコール。燃え尽きたと思った馬が最後のレースで復活したこの有馬記念は日本競馬を語る上で必ず出てくるエピソードである。時代の寵児・オグリキャップは最後の最後までドラマチックな馬だった。

引退後。種牡馬生活の中で不治の病と言われた病気を奇跡的に克服したが、後継馬に恵まれないまま種牡馬を引退。しかし、今回の骨折まで克服することは出来なかった・・・。
私はオグリキャップの現役時代を生で見たことはない。↑で語っているのはオグリキャップの有名なエピソードなので調べればすぐ分かると思います。

初めてこの馬を見たのは2年前の東京競馬場。オグリキャップが東京競馬場にやってくるということで見にいったのが最初で最後になってしまいました。初めてオグリキャップを生で見て感動したのを覚えています。

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現役時代を知らない私でもショックなのだから、現役時代・・・特に引退レースの有馬記念を生で見た人はそれ以上にショックでしょうね。

オグリキャップ・・・感動をありがとう。お疲れ様。そして、安らかに眠ってください。

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