木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

楠公誕生地

2023年05月19日 06時05分26秒 | 余話

皆さんは楠公さんをご存じだろうか.戦時中に教育を受けられた方々にはお馴染みかと思うが、忠臣楠公・・・・とのイメージが焼き付いておられるのでは。プロパガンダの素材として悪用されたキライはあるが、後醍醐天皇に忠節を尽くされた武将の様は事実のようだ。何を隠そう、本村の出自で(諸説ありますが)、出生館の跡と呼ばれる遺構が残っている。現在の「道の駅千早赤阪」付近で、近くには「産湯の井戸」や太平記の舞台ともなった「下赤阪城跡」等の存在もある。現場には資料館も建築されてるので、興味がおありであれば一度お訪ねを。

道の駅は、自称日本で一番小さな道の駅・・・・・とも言われるように、かなり小さめな施設である。簡素な販売棟と駐車場、トイレが立ち並ぶ程度だ。駐車場の一角に記念碑が建てられ、楠公さんの館跡との伝承が残されている。平成2年頃に発掘調査が行われ、二重の掘に囲まれた建物跡が出土した模様だ。現在は小さな社が建立されている。この地で毎年4月25日に楠公さんの「誕生記念祭」が開催されるのはご存じかと。

村人にとって楠公さんはヒーロー、村の偉人でもあるのでとかくの批評は禁物だ。楠公さんの遺跡等を保存する為、楠公史跡保存会なる組織も作られ、500名前後の方々が参画されている。我々の師匠も熱烈な会員、楠公さんへの思慕の情は深いようだ。村内がかような状況なので、楠公さんの出自に関して異説をお持ちでも口外は禁物かと。まあ、地元の贔屓の引き倒しでは無いが、のめり込みから来る副作用としてお許しを。

耕作を行う仲間達は村民では無く何れも村外からの通勤者である。村の情景や人情に惹かれ、風土に取り憑かれて何時しか通い込むようになった、村人ニアリィーなのかも知れない。

我々も村からの影響を受け、何時しか楠公さんへも親しみを。出自の説については多くの論があるのは存じておるが、まあ、村の空気を尊重するようにしている。それよりも、通学先でもあった「観心寺」への路上付近に久子夫人の実家跡が残っているのが気がかりだ。若き日の楠公さんと夫人とのロマンスを期待したいのだが、何分その手の遺構は残されていない模様、残念至極だ。

 

 

 

 

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