緑一色だった棚田地帯が、何時しか黄色みを帯びてきた。田園風景も様変わりの模様だ。当地は階段状の狭小な田圃が多い。数量的には僅かとはいえ米作地帯と言っても過言では無いだろう。米中心の稲作地帯が収穫の時期を迎えつつあるのだ。当地の稲刈りは10月の初旬位、残すところ一ヶ月も無い。コンバインやバインダーが走り回るのも間もなくなのだ。
我々も共同で稲作に従事していた。預かった田畑の一部に田圃があり、条件的にも稲作専用の耕地であった。十数年継続して、諸事情の故別の仲間達に引き渡したのだが、しんどいが楽しみな作業でもあった。とりわけ秋の収穫時が大きな喜びであったのは言うまでも無かろう。30キロ入りの玄米袋で一人当たり4~5袋もあっただろうか。持ち帰るのに難儀したのを覚えている。車に積み込むのが大変だったのだ。米作りは野菜栽培とは異なり、充足感と安堵感の実感がまるで別物だった。やはり主食の獲得は人間にとって大きな満足感をもたらすようで、給料日に口座の数字を確認するのとは別格の喜びなのだ。
条件的に許されるのであれば、やはり主食の栽培に挑戦すべきだろう。自分たちが食べる物を自分たちの手で栽培する、これほど確かな生き様も無いだろうかと思う。積み上がった米袋からは安心と喜びがもたらされる。家族にとっても生き残れる確約であり、向こう1年間の安心料でもある。縄文・弥生の昔から営々と続けられてきた営みだが、次第に継続が困難となりつつあるのが残念だ。あと10年もすれば田園風景も様変わりしてしまうのかも。
日照通風の差異によるのか、同じ村内でも黄色みの色合いが異なっている。黄金色に近いものから緑に近いものと相違はあっても稲刈りはほぼ同一時期だ。残る1ヶ月程で差異も収束してくれるのだろう。我が国は、かって「黄金の国ジパング」とも評価されたとか何とか、南蛮人達が何を見てそう思ったのか不思議だが、一つには黄金色に波打つ稲穂の群落からイメージしたものかもと。
棚田地帯も黄金色に近づいてきた。「黄金の国ジパング」が目の前に出現するのも間もなくであろう。稲作に従事した訳では無いが、稲穂の実りは我々にとっても大きな喜び、事故や災害にも遭遇せず、1年間を慎ましく乗り切ってきた証でもあるのだ。祭り太鼓が鳴り響くのも間もなくだろう、秋空の下、収穫の喜び組みに仲間入りしようかなと思っている。