アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

秦家住宅 明治初期の建物

2015年10月05日 08時18分33秒 | 建築物・明治・大正など

 

 

 

秦家は、もともと12代にわたって薬屋を営んできた老舗で、鉾町に位置しています

建物は、表の店舗部と奥の居住部を玄関部で結んだ表屋造りの形式になり、

元治の大火後に再建されたものです

建築年代は店舗部が最も古くて明治2年(1869)、また玄関部と居住部はこれより多少遅れると伝えます。

店舗部は間口5間、奥行き2間で南端に通りニワを配して正面に大戸を開き

その北にはミセ・コシノマの2室を続けています。

ただ、南より3間半をつし2階建てとするのに対して、コシノマの部分のみ平屋建てとなることから、

この部分は年代が少し下る可能性があります。

ミセには置看板を据えて座机のまわりには結界を装置し、

また表構えは2階に額縁付のむしこ窓を開いて、その前には屋根付の大きな看板を作り付けとし、

商家らしい趣を伝えています。

店舗部奥の玄関部は平屋建で、南端の玄関ニワに面してゲンカンをおき、

その北はチャノマとなって、さらに坪庭が配されています。

チャノマは現在4畳半ですが、もとは3畳敷で、

店舗部と居住部を結ぶ廊下的機能を有していたものと考えられます。

この奥に続く居住部は2階建てで、南寄りに通る土間に沿って居室が2列に並んでいます。

この住宅は明治期のものですが、下京の伝都的商家の面影をよく残すものとして評価されます

なお、登録部部は店舗及び玄関部です。京都市文化観光局

 

玄関前のこの2ケ所の四角の蓋は祇園祭のとき山車の柱を建てるためのもの

アスファルトでは弱いので石で造られています

 


大正時代の建物  富士ラビット

2015年09月26日 19時06分17秒 | 建築物・明治・大正など

ラビットスクーターの販売店だった 富士ラビット

大正12年 (1923) に自動車販売会社 「日光社」の社屋として建てられた。

鉄筋コンクリート3階建て。設計不詳。

当初はT型フォードの輸入代理店であったが、

戦後はもっぱらラビットスクーターの販売が行われた。現在は1階は貸店舗

3階は住居。

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本願寺伝道院 明治45年建築

2015年09月11日 17時33分36秒 | 建築物・明治・大正など

明治45年の建築。伊東忠太の「建築進化論」の考えを表現した建物。

重要文化財

 

 

 

 

 

 

建物の後ろを振り返ると こんな感じです  雰囲気が 違いますね タイムスリップ したようです  正面の門は 西本願寺

 

 

 

 

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平成27年5月14日のニュース

ラジオ塔探して全国行脚  京を含め28基が残る。 昭和初期には、全国で460ケ所以上設置された。

横浜市、静岡市、大阪市、岡山にも残る。京都市は比較的多く残っていて、8基あるという

京都=円山、船岡山、御射山(みさやま)、小松原、、紫野柳(むらさきのやなぎ)、萩の各公園、叡山ケーブル八瀬駅近く


橋本関雪 白沙村荘

2015年08月31日 13時50分23秒 | 建築物・明治・大正など

橋本関雪 白沙村荘

近世京都画壇の画家橋本関雪が大正5年(1916)につくった邸宅。

周りは田畑であったので白沙村荘と名付けた。

関雪は明治16年(1883)神戸の儒家に生まれた。

竹内栖鳳に師事した。大東亜戦争には従軍画家として南方に派遣された。

昭和20年(1945)2月に亡くなった。墓は大津の月心寺にある。

疎水べりにある約300本の桜は、関雪夫人の寄贈によるもので、世に 関雪桜 と呼ばれている。

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清風荘 庭園 イギリスのウェールズ皇太子や大津で遭難したロシア皇太子が静養された

2015年08月28日 09時09分08秒 | 建築物・明治・大正など

清風荘

明治・大正・昭和の3代にわたって政界に活躍した西園寺公望の京都における別邸。

公望は嘉永2年(1849)10月ここで生まれた。面積4000坪の広大な邸です。

庭園は明治初年、小川治兵衛によって作庭された。

本邸はイギリスのウェールズ皇太子大津で遭難したロシア皇太子の静養されたところと伝えられている。

歴史的にも由緒深い。

近年京都大学が譲り受け、現在は大学の迎賓館になっている。

 

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関連記事 ➡  西園寺   立命館   車折神社

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番組小学校下京区11番  開智小学校   今は学校歴史博物館

2015年08月10日 00時06分35秒 | 建築物・明治・大正など

 

昔の学校の門    始業は6時から

開智小学校跡

開智小学校は、明治2年6月11日(1869)全国に先がけ

下京第11番小学校として日本で最初の「学区制小学校」の1つである。

平成4年3月31日、近隣5校の統合により123年の歴史の幕を閉じた

 

戦後70年   撮影不可でした

 

 

二宮金次郎

二宮 尊徳(にのみや たかのり)は、江戸時代後期の農政家・思想家。

通称は金治郎(きんじろう)であるが、

一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。

また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓むが、

有職読みで「そんとく」と訓まれることが多い。

「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。

 

旧成徳小学校玄関(部分)

下京第9番小学校として開校した成徳小学校の、

白楽天町へ移転時に建築された玄関車寄せである。

丸みを持つむくり屋根と、それを支える2本の柱が擬洋風を伝える。

西洋建築のイメージを日本人の伝統的な大工の技術で実現した建造物のなかで、

京都に残る初期の例として貴重。

明治42年(1909)、校舎改築のため講堂とともに

顕照山 高岳寺(城陽市)に移築され、

平成18年(2006)12月まで本堂の向拝として使用された。


関連記事 ⇒  まとめ030  二宮尊徳像

       まとめ041 番組小学校

 

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大正時代は銀行の建物でした今は喫茶・レストラン

2015年08月08日 09時37分59秒 | 建築物・明治・大正など

山口銀行の京都支店として大正5年(1916)に建てられた。

鉄筋コンクリート2階建て。設計は辰野・片岡建築事務所。

山口銀行が撤退した後、北国銀行京都支店として使われていたが、

現在はレトロな雰囲気を生かして、喫茶・レストランが営業しています。

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関連記事  ➡ レトロな建物

 


杉本家住宅  重要文化財

2015年08月05日 07時12分42秒 | 建築物・明治・大正など



 

重要文化財「杉本家住宅」・名勝「杉本氏庭園」

杉本家は、寛保3年(1743)、「奈良屋」の屋号をもって烏丸四条下ルに呉服商を創業、明和4年(1767)現在地に移った。京呉服を仕入れて関東地方で販売する他国店持京商人として繁栄した。

現在の主屋は元治元年(1864)の大火後に再建され、棟札によれば明治3年(1870)4月23日に上棟。この時の当主は第6代左衛門為賢、棟梁は菱屋利三郎と近江屋五良右衛門。主屋は表通りに面する店舗部と裏の居室部を玄関でつなぐ表屋造り形式。京格子に出格子、大戸、犬矢来、つし二階に開けた土塗りのむしこ窓、すべてが昔ながらの、典型的な平格子のたたずまいである。町屋としては市内最大規模。各一間半の床と棚を装置した座敷、独立棟として西に張り出した仏間、大きな台所などに特色著しい。保存状況は良好で、京都における大店の建築遺構としてきわめて高い価値を有する。主屋の北寄り、鍵型に並ぶ大蔵・隅蔵・中蔵は江戸時代の建築で、元治の大火には焼け残ったと伝える。祇園祭の際、店の間は当町伯牙山のお飾り場となる。杉本家住宅は、京都市有形文化財(平成2年2月20日指定)に指定された後、平成22年に改めて国の重要文化財として指定を受けた。その際には、土地があわせて保存を図る対象とされたほか、主屋の建築に関する史料として「棟札」(明治3年4月)「御本宅積り書」(明治3年2月)が、屋敷構えの変遷を伝えるものとして「旧米蔵」「旧漬物小屋」「高塀」がそれぞれ附指定された。また、この建物内の「庭」は「京町屋の庭」として初めて国の名勝指定を受けた。この名勝指定範囲は、「座敷庭」「露地庭」「仏間庭」と併せて「店庭」「走り庭」といった町屋の特徴である屋内に細く伸びる「通り庭」を含んでいる。これは従来の指定に見られる眺望または園遊する「庭」にとどまらず、日々の生活に欠かせない作業場として「庭」が加えられているところに特徴がある

 

 

 

 

 


復活 ラジオ塔 

2015年06月05日 01時08分38秒 | 建築物・明治・大正など

青い服を着た人の左に見えるのが ラジオ塔

ラジオ体操などに利用されています

 

 

 

放送設備が整ったようです

 関連記事 ➔ まとめ014 ラジオ塔 京都で8基

祇園・円山公園には 立派なラジオ塔が残っているようです


銭湯・船岡温泉

2015年06月04日 22時27分16秒 | 建築物・明治・大正など

船岡温泉は京都は北区紫野、船岡山の南に位置します。

文化庁の登録有形文化財にも指定された由緒ある唐破風造の建物。

内装はレトロなマジョリカタイルから始まり、

脱衣場の天井に彫られた鞍馬天狗

透かし彫りの欄間など芸術としか言いようがありません

  ホームページより

 

    行ってみたくなりました

 

外国人も来ていそうだ

 

船岡温泉 ➡ ホームページ


建物中004  ユニークなデザインの校舎

2015年05月11日 01時16分07秒 | 建築物・明治・大正など

元学校の校舎

 

 

教業小学校 平成4年 閉校

昭和28年の卒業生の記念は  日時計

時間励行  この時の時刻は午前10時30分

 

建物 前回の記事 ➡  建物下003  喫茶 フランソア 

 


文化財上002  京町屋建築 呉服商 富田屋 

2015年04月18日 14時25分23秒 | 建築物・明治・大正など

呉服商 「冨田屋」

江戸時代、伏見で代々両替商を営んでいたが、幕末の「鳥羽伏見の戦い」で戦火にあい、西陣に移り西陣産地問屋「冨田屋」を作り上げました。そして明治18年に、十代目田中藤兵衛が現商家を建築しました。店舗と奥の住居からなる京の町家建築様式で、特に「表屋造り」と呼ばれる明治期の典型的な呉服問屋の大店の町屋です。1999年には文化庁より国の登録有形文化財、並びに2007年には京都市の重要景観建造物の指定を受けています。華美な装飾は避け、材料を吟味した建築で、当主自ら大工の棟梁と共に山中に分け入り選んだ木材を使用しております。部屋の内部だけでなく庭の隅々にまで当主の細かい心遣いが行き届いた、昔からのしきたりが残された町屋です。

 

昔の 電話番号  特電 七六 番 だろうか

 

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