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寺院城陽0764  極楽寺  本尊は重要文化財

2021年01月21日 18時00分39秒 | 寺院

 

極楽寺

浄土宗 慶長15年(1610)僧空円によって再建されたが、

正徳2年(1712)9月の木津川堤防決壊によって被害をこうむり、記録を失った。

本堂には阿弥陀如来立像を安置し、

他に地蔵堂・弁天堂・土蔵・庄屋文次郎碑などがある。

 

阿弥陀如来立像

極楽寺の阿弥陀如来立像は、像内から見つかった文書から、

阿弥陀如来立像の像内から4種類の古文書が発見された事により、

この像が鎌倉時代の代表的な仏師「快慶」が製作にかかわった最後の作品であると推測されます。

「法華三十講経御名帳」の「十二日分別功徳品」の項に「過去法眼快慶」と記されており、

生没年が不明である快慶の没年を推定する貴重な発見です。

鎌倉時代を代表する仏師である快慶が制作を始め、

快慶の死後に弟子の行快が1227年に完成させたと考えられています。

重要文化財(仏像など) ⇒ まとめ040 重要文化財 ・仏像等

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寺院城陽0763 浄土宗 阿弥陀寺  薬師如来像は重要文化財

2021年01月20日 12時01分58秒 | 寺院

 

 

 

 

阿弥陀寺

本願山と号する浄土宗の寺で知恩院末である。もと地蔵院と号し、

専順和尚の開創による真言宗の寺であったが、寛永4年(1627)浄土宗にあらためた。

明治12年(1879)付近の光明寺、養松寺、来迎寺と合併し、阿弥陀寺となった。

本堂には本尊阿弥陀如来像を安置し、他に地蔵堂がある。

 

 

木造阿弥陀如来坐像  鎌倉時代前期 像高86㌢

本尊

木造薬師如来立像 奈良時代~平安時代前期 像高95㌢ 重要文化財

もとは枇杷庄天満宮社の神宮寺薬師院の本尊として祀られていたが、

明治の神仏分離に際し薬師院は廃寺となり、のち阿弥陀寺へ移された。

関連記事 ⇒ 神社城陽0244 天満宮社

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寺院城陽0762  仏城山 法念寺

2021年01月18日 18時11分12秒 | 寺院

浄土宗知恩院 の直末寺

法念寺

創建年代は明らかでない。

寺伝によると、造東大寺大勧進職、重源上人が、居住したとつたえられる。

明治初年、念仏寺、法城寺の焼失により、両寺を合併し、仏城山法念寺と、寺号を改め現在に至っている。

本堂には、阿弥陀三尊を安置する。

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寺院城陽0761 長光寺 

2021年01月15日 10時13分53秒 | 寺院

 

木造天部形立像

平安時代中期・10世紀 一木像 彫眼 像高 127.5㌢

穏やかで丸顔の相好をもつ像で、寺では「観音さん」と呼ばれています。

吉祥天に似た天部像ですが、左手には吉祥天のもつ宝珠ではなく、未敷蓮華(蓮の花の蕾)を持っています。

吉祥天は奈良時代、福徳をつかさどる女神として厚く信仰され、

五穀豊穣・天下安穏を祈る吉祥悔過会の本尊としてまつられていました。

この像は桧材で作られ、頭には宝冠を戴き、法衣は深くはありませんが、鎬立った彫りの様子がうかがれます。

また、内ぐり(乾燥によるひび割れを防いだり、重さを減らすために内部をけずる事)のない一木造で、

下半身の奥行きは深く、重厚な感じがあります。

また、天保6年の文書の中に、この像は享保年間の木津川大洪水で隣村の富野村領の堤が切れた時、

寺田村山川堤に流れ着いた像であると記されています。

 

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寺院城陽0760  要乗寺 本門佛立宗

2021年01月11日 06時17分48秒 | 寺院

 

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寺院城陽0759 高岳寺  浄土宗鎮西派報恩寺

2021年01月09日 17時32分09秒 | 寺院

 

高岳寺

歓喜院顕照山と号する。浄土宗鎮西派報恩寺末の寺で、

天正12年(1584)天誉誓念上人が豊臣家臣堀吉田之助なるものの帰依によって再興したといわれ、古くは歓喜院と号した。

現在の本堂は明治44年(1911)中興大誉音徹上人によって再建されたもので、

堂内には本尊阿弥陀如来像を安置する。他に地蔵堂や庫裡がある。

 

京都府下最古の学校建築物

顕照山 高岳寺 元本堂跡

高岳寺元本堂は、明治42年(1909)10月4日、京都市の旧成徳小学校講堂を移築されたものです。

この講堂は、明治8年(1875)12月に建築された、現存する京都府最古の学校建築物であり、

また、本堂向拝(学校玄関)は、明治初期の「擬洋風」の建築様式を今に伝える貴重な建築物です。

平成18年(2006)12月、本堂改築に当たり、光背が京都市学校歴史博物館玄関として移築保存されました。

 

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寺院城陽0758 三縁寺 浄土宗

2021年01月09日 06時02分05秒 | 寺院

 

三縁寺は仏光山と号し、浄土宗百万遍知恩寺派の寺で、

室町時代中期の明応6年(1497)顕誉上人の創建と伝える。

本堂の南正面にあるこの門は、明治18年(1884)

に京都建仁寺の護国院(開山堂・霊屋ともいう)の表門を

明治になって移築したもので享和元年(1801)の棟札がある。

当初の建造時期は安土桃山時代と推定される。

この大門の様式は一間一戸向唐門で、旧葺きでふったのが現在桟瓦葺に改められている以外は、

大きな改造を加えることなく元の形式を伝えている。

この向唐門は本格的な造りになるもので、

唐風のゆるやかな勾配をもつ屋根の曲線はのびやかで美しく、

城陽市における貴重な遺構の1つである。

 

本堂(江戸時代)

五間六面、入母屋造り、桟瓦葺、元禄15年(1702)の失火後、

享和元年に再建したと伝え、本尊阿弥陀如来像(室町時代)を安置する。

 

聖観音立像

本堂内脇壇に安置。高さ75㎝、わずかに謹白のあとが見られる。

右手を垂れ、左手に宝瓶をもち、目は細く、全体に細身につくられている。

顔容は豊満で、ふっくらと髪を持ち上げたところは、

一見天平様式を思わせるが、寺では天平仏といわれるが、

製作年代があきらかでない。寺伝では旧正面寺の遺仏と伝える。

関連記事 ⇒ 寺院東0425 建仁寺・惣門  臨済宗建仁寺派

 

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寺院城陽0757 阿弥陀寺 地蔵堂

2021年01月08日 11時47分17秒 | 寺院

 

念仏寺

功徳院と号し、天文21年(1552)然誉知覚上人によって再興されたといい、

浄土宗平等院に属する。

本堂に安置する本尊阿弥陀如来像は三縁寺の阿弥陀像と同じ形のもので、

高さ80㎝、白木造り、来迎印で衣文の彫りも鮮明な像です。

鎌倉時代後期の作とみられる。

 

本堂と表門は文政12年(1829)頃の再建とみられ、

華やかな蟇股や彫り物が多く、凝った造りをしている。

地蔵堂には、地蔵菩薩坐像があり、高さ1.38m、寄木造り、彫眼、右手に錫杖、

左手に宝珠をささげて結跏趺坐する。

定朝様に属する特色がある。

平安時代末期の半丈六の地蔵像。

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寺院城陽40756  弘願寺 

2021年01月08日 06時11分27秒 | 寺院

 

弘願寺 浄土宗鎮西派報恩寺に属する。

寺伝によれば、天正5年(1577)僧天誉誓念によって再興されたとつたえられる。

今の建物は寛政13年(1801)の火災後、文化11年(1814)の再建によるもので、

本堂内には本尊阿弥陀如来像を安置する。

他に地蔵堂・庫裡・薬医門などがある。

 

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寺院城陽0755 来迎寺

2021年01月07日 06時07分58秒 | 寺院

 

 

 

浄土宗知恩院に属する。阿弥陀如来を本尊とする。

寺伝によると 江戸初期の慶安2年(1649)

女二宮昭子内親皇の寄進によって再建されたといい、由緒は明らかでない。

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寺院城陽0755 万福寺  西山浄土宗

2021年01月06日 11時54分34秒 | 寺院

 

万福寺

宝国山と号し、西山浄土宗の寺。創建年代は明らかでない。

寺伝によると禅僧殊峰上人の開祖、心徹和尚の再興と伝え、

元禄年間(1688~1704)の火災後に再建された本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置する。

 

 伝毘沙門店半跏像(平安時代)本堂内にあり、もと久世神社の神宮寺(若王子)の遺仏と伝わる。

高さ71㎝、一木彫成の白木造りで、檀像風の像である。頭部に3面の宝冠をいただき、

身に冑を着て岩座(後補)の上に半跏座に座し、

左手に矛、右手はひじを曲げ、両眼を大きく見開き、異様な口元をした忿怒相である。

平安時代後期の作とみとめられ、寺伝では毘沙門天像といわれるが、神像と見られる。

 

11面観音坐像 (鎌倉時代)

久世神社の神宮寺の遺仏とつたえる。木像、高さ59㎝、右手に数珠、左手に蓮華を入れた水瓶をもち、

岩座上に座す白木の像で、顔容は鎌倉時代に近い藤原風の好みをあらわす。

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寺院城陽0754 蓮開寺 

2021年01月04日 07時29分48秒 | 寺院

 

蓮開寺 境内の一画にある宮寺、蓮開寺には大般若経六百巻がおさめられている。

城陽市内で唯一の神宮寺です。

2月15日の春祭りでは江戸時代に寄進された大般若経全6百巻を転読し、

村の安全を祈願する行事がおこなわれています。

この寺の創建年代は明らかではありませんが、享保18年(1733)には既に存在しており、

長い歴史をもつことが伺えます。

蓮開寺は江戸時代には氏神社に付属した真言宗の寺で、宮寺とも呼ばれ、平川村の祈願所でもありました。

この寺の僧侶が、氏神社の管理人的役割も果たしていたようです。

当時は、神と仏を厳密に区別しない神仏習合という考え方が一般的でした。

明治維新にともなう神仏分離により、全国各神社の宮寺は廃止され僧侶も不在となりました。

しかし、ここ平川ではいまなお地区全体でこの蓮開寺を守り続けています。

 

蓮開寺春まつり【城陽市指定無形民俗文化財】

天保2年(1331)、蓮開寺の僧文龍は広く近隣数十村の人々から寄進を募り、大般若経600巻を寺に購入しました。

この経典は仏典中最大の数量のもので、祈祷の儀式の際によくもちいられる重要な経典です。

毎年2月15日に、近在3ケ寺の住職により、蓮開寺で大般若経転読が営まれます。

その年の無病息災と豊作を祈願する「平川のはるまつり」として、この日は参拝者で賑わいます。

平成29年城陽市の無形民俗文化財に指定されました。

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寺院城陽0753 安養寺 浄土宗知恩院派

2021年01月02日 06時05分58秒 | 寺院

 

安養寺

受楽山と号する浄土宗知恩院派の寺。本堂には本尊阿弥陀如来を安置。地蔵堂や庫裡がある。

 はじめ安養院といい、真言宗であった。

鎌倉時代の弘長2年(1262)、沙弥仏阿法阿の寄進により、平河郷安養院の鐘楼を修理したとき、

その修理料として、久世郡の馬耳田の里一坪のうちをあてがったことをしるしたことが

「山城名勝志」に記されている。

その後、天正年間(1573~92)信誉上人によって再興され、安養寺と改められたと伝わる。

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寺院城陽0752 浄円寺  浄土真宗

2021年01月01日 07時30分33秒 | 寺院

浄土真宗興正派に属し、本堂には本尊阿弥陀仏を安置し、

他に鐘楼・庫裡・門などを有する。

寺伝によれば、天正3年(1575)僧了長によって創建されたと伝わる。

中興開山は、霊導法師とあるが由緒沿革が不明。

寺宝に蓮如上人の名号を有する。

 

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寺院宇治0751 浄土宗 瑞泉寺

2020年12月29日 06時02分18秒 | 寺院

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院宇治0750 円蔵院 

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