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寺院宇治0750 円蔵院 

2020年12月22日 17時54分26秒 | 寺院

右の線路は JR奈良線 南方向を見る

本堂

円蔵院

慶安2年(1649)淀藩主永井尚政がこの地の重要性に着目し、開発して新田を設けたとき、万安和尚を開山とし、弟子三峯を住持として建立した曹洞宗宇治興聖寺派の寺。

本堂は秀吉の伏見城の書院をうつしたものと伝わり、本尊釈迦如来坐像を安置する。

当寺の裏山にあった金毘羅山古墳(円墳)は近年消滅し、墳上にあった金毘羅社は現在、境内にうつされている。

また、坊主山古墳は三基のうち、二基は消滅し、一基(円墳)だけになっている。

くりくまの里  ?

 

明治 ?

境内をJR奈良線が走っている 高架下  左が京都方面 右が奈良方面

西門 この向こうに JR奈良線が走っている

天保年間  1830~44

京都のニュース 今年の漢字 漢字ミュージアム

漢字能力検定協会  2020.12.15

1995   1996   1997   98   99    1995 阪神淡路大震災

2000   01    02    03   04 

05    06    07    08   09    07 食品偽装

10    11    12    13   14    11 東日本大震災

15    16    17    18   19 

20                           20 新型コロナ対策 3密

  2位 

  3位 

4位以下  新、変、家、滅、菌、鬼、疫

森貫首は「密は心のつながりも表す。新型コロナウィルスの感染拡大で国民や医療従事者が苦労している中、日本中が努力してこの状況に向っているのをありがたいと思いながら書いた」述べています。   

 

 

 

関連記事 永井尚政 ⇒ まち歩き宇治0945  浮島十三重石塔  日本で現存最大の15メートル

            史跡伏022 淀城跡

            まち歩き伏0656 京阪電車 淀駅前の水車

            

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まち歩き下1441 京の通り・富小路通 No97 寺院下0747 蓮光寺 長曽我部盛親の墓がある

2020年12月16日 17時46分12秒 | 寺院

 

 

知恩院を本山とする浄土宗の寺で、「追別如来」と呼ばれる本尊の阿弥陀如来と地蔵堂に安置される「駒止地蔵」で知られている。

 本堂に祀られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師、快慶の作と伝えられる。

その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、

僧の後を追いかけた。山科辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し、箱を開いたところ、仏像が二体に分かれていたという。

二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に分かれたと伝えられる。

この本尊はその一体であるといわれ、「負別山」(おいわけざん)という山号もこれにちなんだものである。

僧が持ち帰ったもう一体の仏像は「笈分如来」(おいわけ)と称され、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。

 

駒止地蔵は弘法大師(空海)の作といわれ、もとは六条河原の処刑場に祀られてしたと伝えられる。

鴨川の氾濫で埋もれていたが、平清盛が乗る駒(馬)が六条河原に差し掛かったとき、急に馬が動かなくなり、その場所を掘ってみると、

この地蔵が出てきたことからその名がついたという。

境内には、関ヶ原の合戦や大阪夏の陣で活躍した武将、長曽我部盛親の墓がある。

 

京都市

 

写真家 岡本東洋の墓もある

 

駒止地蔵は 「首切り地蔵」とも呼ばれています。この地蔵尊は付近の六条河原で処刑された多くの刑死者の菩提を弔う為につくられたものといわれる。

地蔵尊は高さ約2メートル、花崗岩製で、右手に錫杖、左手に宝珠をささげる通有の姿を丸彫りとし、右手にもつ錫杖のみは木製としている。

顔面も胡粉で真っ白にしている。大きさは他にひけをとらない。

 

 竹田次郎直善という人がいて、ある日、仕事でおそくなり、夜に参詣したところ、盗賊とバッタリ出くわし、切られそうになるときに、一人の法師があらわれ、

「伊賀坊ここにあり」といって賊の首を斬り、忽然として消え去った。

日頃信仰する地蔵尊が身代りになって加護し給うたものとしてそれより世人は「首切り地蔵」とも称したという。

かかる霊験潭により、江戸時代には洛陽48願所の第45番霊場として世の信仰を得るに至った。京都の名地蔵の1つであるといわれています。

 

関連記事 ⇒ 蓮光寺 「追分如来」 「首切り地蔵」で知られる。最近は武将・長曽我部盛親の墓所として注目

       六条刑場 ⇒ 六条河原  昔は処刑場だった

       快慶の作 ⇒ まち歩き下1435 京の通り・富小路通 No91 寺院下0743 上徳寺

              寺院下0047  大行寺  真宗仏光寺派

              まち歩き下1422 仏師・定朝らの仕事場だった 平等院の阿弥陀如来坐像はここで造られ、舟で宇治まで運ばれた

              千本釈迦堂・大報恩寺  800年前の建物・おかめ像・徒然草にも登場・本堂に刀・槍のきずあと

       洛陽48願所  お寺・神社めぐり08  洛陽48願所地蔵尊     

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まち歩き下1438 京の通り・富小路通 No94 寺院下0745 極楽寺

2020年12月15日 08時48分18秒 | 寺院

 

 

極楽寺 安産地蔵

お産は女性にとって命とりにもなりかねない一大事であり、誰しも安らかに出産することを願う。

この願いをかなえて下さるという信仰から生まれたのが安産地蔵です。

腹帯地蔵や子安地蔵とともに地蔵信仰に占める地位はもっとも大きく、その数も極めて多い。

中でも古くから知られているのは、極楽寺の安産地蔵。

当寺は天文12年(1543)、四条坊門(蛸薬師通)東洞院に創建され、天正18年(1590)、豊臣秀吉の地区整理により現在地に移った。浄土宗の寺です。

地蔵尊は本堂に安置する本尊阿弥陀如来像の右脇壇に祀られている。高さ60cm、一木彫成の立像、古様を帯びている、寺伝によれば、初め摂津の国住吉の井鼻浄光寺という所にあったが、この地に移したという。

源頼朝の室(丹後局)が紀州へおもむく途中、当地蔵尊に祈って島津三郎忠久(薩摩守護職)を生んだと言われ、それより島津家の崇敬をうけ、安産地蔵と称するに至った。ほかに「矢負地蔵」とも呼ばれた。島津忠国(室町初期の守護大名)が参詣に当寺に立ち寄ったとき、敵と間違えられて矢を射かけられたが、地蔵尊が身代わりになって矢を負い、忠国の危難を救ったといわれる。

また、天正年間(1573~92)、迷子になった子供を手引きし、無事家まで送りとどけたという霊験譚から「手引地蔵」とも呼ばれた。江戸時代には洛陽48願所の第46番霊場となったのは、「手引地蔵」としてであった。

他に、「泥足地蔵」、「汗出地蔵」、「染殿地蔵」、「常盤地蔵」、「生六道地蔵」などが知られている

関連記事 ⇒ 第46番   お寺・神社めぐり08  洛陽48願所地蔵尊

        極楽寺  安産地蔵・矢負地蔵・手引地蔵といわれています

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まち歩き下1435 京の通り・富小路通 No91 寺院下0743 上徳寺

2020年12月13日 13時21分23秒 | 寺院

慶長8年、徳川家康が息女泰誉院とその母上徳院の菩提を弔うために建立したのが上徳寺です。

源融の死後、宇多上皇はここを仙洞御所とされました。のち、僧仁康はここに河原院を建てました。

この地は、かつての平安京河原院跡といわれ、鴨川の水をひき入れた邸内で平安貴族たちが詩歌管弦を楽しむ優雅な王朝絵巻を繰り広げた。そのさまを在原業平や紫式部らが後世に書き残している。

堀内雲鼓 俳人 句碑と墓

日のめぐみうれしからずや夏木立

上徳院殿、雲光院殿  阿茶の局墓所

冠翁 堀内雲皷 墓所

子授け・安産の寺 安産腹帯授与

 

塩竃山(えんそうざん)と号し、浄土宗に属する。寺伝によれば、慶長8年(1603)に、

徳川家康によって、上徳院殿(阿茶の局)が開基となり、

伝誉蘇生上人を開山に招じて建立した寺といわれる。

寺内に泰栄院の法筺印塔がある。

以後、度重なる災火により、堂宇、塔頭は焼失し、

現在の諸堂は明治時代に再建されたものである。

本堂は、宝暦3年(1753)建立の永観堂の祖師堂を移築したものである。

堂内には、江州矢橋(やばせ)・滋賀県の鞭崎八幡宮から移したといわれる

阿弥陀如来像を安置している。

境内の地蔵堂は、明治4年(1871)に再建され、高さ2メートル余の石地蔵を安置している。

この地蔵は「世継地蔵(よつぎ)」と呼ばれ、

往古から、良い世継ぎが授かるご利益があるとして遠近の人々の信仰を集めている。

また、境内には、江戸時代の冠句の唱導者・堀内雲鼓(1728年没)の句碑及び墓がある。  

 

本堂は宝暦年間に建てた永観堂祖師堂を移築している。

快慶作の阿弥陀如来像を安置している。滋賀県から移したもの。

むかしは男子が生まれないと家督を継ぐことをできなかったから、子のない人は神仏に頼って男子の生まれることを願った。「世継地蔵」はその願いを叶えて下さる地蔵尊として世の信仰をあつめた。

 一般には「京の世継さん」の名で知られている。

明治天皇の生母・中山慶子もことのほか本尊をあつく信仰し、明治天皇御生誕のよろこびを得たという。

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まち歩き下1434 京の通り・富小路通 No90 寺院下0742 徳林院

2020年12月13日 08時22分01秒 | 寺院

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き下1433 京の通り・富小路通 No89 町名・本塩竈町

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寺院笠置0740 笠置寺 毘沙門堂

2020年11月23日 17時48分27秒 | 寺院

 

毘沙門堂 笠置寺49院の一子院多聞院の本堂。

本尊は、鎌倉期の像高50cm木造毘沙門天である。

伝説では、楠木正成公の後念持仏として、かつては信貴山の毘沙門天と並び戦勝の神、福徳の神、財宝の神として多くの人々に信仰された。建物が老朽化したため、平成16年現在の建物に改築したものである。

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0739 笠置寺  大師堂 

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寺院笠置0739 笠置寺  大師堂 

2020年11月20日 18時07分31秒 | 寺院

大師堂 石仏弘法大師(室町期)を奉安する。天平勝宝(751)東大寺實忠和尚により建立された正月堂の跡である。

旧正月堂は元弘元年(1331)の元弘戦乱で焼亡、以来復興されず、明治30年(1897)関西鉄道の開通により、現笠置駅にあった大師堂を笠置寺旧正月堂跡に移築し現在に至る。

正月堂の名は笠置寺本尊禮堂にとどめる

東大寺山内には、このため当初から正月堂は建立されていない。

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0378 笠置寺 石碑笠置0230 忠勇義烈 石川義純

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寺院笠置0378 笠置寺 石碑笠置0230 忠勇義烈 石川義純

2020年11月16日 18時09分08秒 | 寺院

 

義勇義烈 石川義純

?-1331 鎌倉時代の武士。

京都から笠置(かさぎ)山にのがれた後醍醐(ごだいご)天皇の勅に応じて陣営にくわわり,六波羅(ろくはら)軍を支援する20万余の幕府軍とたたかう(元弘(げんこう)の乱)。敗れて,元徳3=元弘元年9月27日(一説に29日)自害した。

 

ここは 宝蔵坊跡

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0737 笠置寺 後醍醐天皇行在所跡

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石碑 前回の記事 ⇒ 石碑0229 日露戦没使者鎮霊 

   次回の記事 ⇒ 石碑0231 忠魂碑  笠置寺内

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寺院笠置0737 笠置寺 後醍醐天皇行在所跡

2020年11月07日 06時43分16秒 | 寺院

行在所遺址

後醍醐天皇行在所跡

元弘元年(1331)8月27日政治改革に失敗され、京都御所を出られた後醍醐天皇を受け入れた場所である。

天皇方2500、笠置山に向かって北条方75000と伝う大軍を相手に攻防1ケ月、ついに9月28日夜半風雨を味方にした北条方50名の決死隊により奇襲攻撃を受け、大磨崖仏をはじめ笠置寺山内49ケ寺すべて灰燼に帰してしまった。標高290m山頂である。

後醍醐天皇 御製

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0736 笠置寺 寺内 山めぐり

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寺院笠置0735 笠置寺 二の丸跡

2020年11月05日 17時51分28秒 | 寺院

二の丸跡

太平記には 笠置の城は山高くして・・・と書かれているが 後醍醐天皇の仮皇居であり正式な築城はされなかった。しかし室町時代以降 山頂行在所跡を本丸とみたてたのか一段下の子の広場を二の丸跡と呼ぶようになった。

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0734 笠置寺 寺内 山めぐり

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寺院笠置0734 笠置寺 寺内 山めぐり

2020年10月30日 21時08分56秒 | 寺院

 

 

全山 岩だらけ

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0733 笠置寺  山中寺めぐり

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寺院笠置0732 笠置寺  ゆるぎ石

2020年10月27日 20時47分49秒 | 寺院

 

元弘の戦乱。笠置山を取り囲む鎌倉幕府方に対し、武器によって応戦していた天皇方でしたが、続く戦いの中、武器だけでなく、下から攻める敵方に岩を落として応戦したと伝えられています。
「ゆるぎ石」はその名残で、不安定なため、端を押すとゴトゴトと揺れるので、この名が付きました。

ゆるぎ石 元弘元年(1331)9月28日、後醍醐天皇が鎌倉幕府の奇襲を受けたところで、この石は奇襲に備えるための武器としてここに運ばれたが使用されなかった。重心が中央にあり人の力で動くため「ゆるぎ石」といわれている

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0731 笠置寺 胎内くぐり

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寺院笠置0731 笠置寺 胎内くぐり

2020年10月24日 17時55分36秒 | 寺院

胎内くぐり

笠置山修行場の入口にあり、行場入りする前に滝で身を清めるのが普通であるが、当山は滝がないためこの岩をくぐり抜けることにより身を清めたという。安政地震で天井岩が落下、以後切り石の天井となった。

 

 

 

寺院 前回の記事 ⇒ 寺院笠置0729 笠置寺 千手窟  東大寺・お水取り

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まち歩き中1401 京の通り・富小路通 NO62  徳正寺

2020年10月23日 06時34分20秒 | 寺院

慶長7年(1602)、二条城の造営にともなって移転してきた。江戸時代、秀吉の「御陣太鼓」をもつことで大いに知られた。

町名の由来になった徳正寺(とくしょうじ) 独創的な茶室「矩庵」がある。 真宗大谷派。本尊は釈迦如来像。

 

 

関連記事 ⇒ 寺院下0034  徳正寺  真宗大谷派

寺院 前回の記事 ⇒ まち歩き中1323 京の通り・富小路通 NO7 寺院中0723 東漸寺

         ⇒ まち歩き中1400 京の通り・富小路通 NO61 町名・徳正寺町

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