紀念碑
明治27,8年戦役
明治37,8年戦役 従軍者、応召者、戦死者
新宮神社
猿田彦神を主神とする旧松ケ崎村(西部)の産土神で、社伝によれば、もと大比叡大明神と称したが、徳治2年(1307)一村改宗のとき、新宮大明神を勧請し、日像上人の書いた法華経と曼陀羅を合祀し、妙泉寺によって祭祀されていたという。明治初年の廃仏毀釈に際して白髭神社と称し、明治20年(1887)新宮神社と改めた。境内には本殿・拝殿・末社二宇の建物がある。
因みに毎年10月23日に行われる当社の祭礼には、神輿の巡幸は行われない。その理由はの一村改宗のとき、旧来用いてきたものを背後の山中に埋めたからといわれ、その埋めたところを神輿塚・経塚・珠数塚と称している。
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