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日蓮宗本圀寺派 豊臣秀次の母(瑞竜院日秀尼)が
文禄4年(1595)高野山で自刃した秀次の菩提を弔うために創建した寺。
はじめ嵯峨二尊院に一宇を建立し、秀次の法名を採って善正寺としたが、
慶長5年(1600)日鋭上人を請じて開山とし、現在の地に移った。
寛永元年(1624)4代日演上人のとき多くの僧が集まり、「さくら談義」もあり、にぎわった。
明治維新後は衰退し、境内の南半分は学校の敷地になった。
本堂の本尊の傍らに、秀次像、日秀尼像を安置する。
境内北部の墓地には、秀次以下その一族の墓がある。
村雲瑞竜寺歴代の住職の墓。
江戸初期の儒医 江村専斎一族の墓は本堂背後の墓地にある。
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本堂