アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

粟嶋堂  宗徳寺  西山浄土宗  人形供養  与謝蕪村

2015年11月25日 18時01分00秒 | 寺院

 

 

粟嶋堂

当堂は、西山浄土宗に属する宗徳寺の一堂で、堂内に粟嶋明神を祀ることから粟嶋堂の名で知られている。寺伝によれば、応永年間(1394~1428)に南慶和尚が紀伊国(和歌山県)淡嶋から粟嶋明神に勧請して上洛する際、当地辺りで急に御神体が重くなったので、神意としてここに祀ったのが起こりといわれている。以来、宗徳寺の鎮守社、粟嶋神社として祀られてきたが、明治時代の神仏分離により粟嶋堂と改められた。粟嶋明神は、古来より腰から下の病や安産など婦人の守護神とされ、当堂も女性の参拝者が絶えない。寺は檀家を持っていない。信者の婦人たちが、この寺を支えてきた。与謝蕪村も当堂を訪れ、娘の病気回復を祈願した。春雨の中をはだしで百度詣りをしている婦人の姿をみて、この句を残したといわれています。その時詠んだ句が、境内の石碑に刻まれている。

粟嶋へ はだしまゐりや 春の雨。    

また、当堂北の庭内にある石灯籠は、応永28年(1421)の刻名のある弥陀板碑が用いられている。 京都市

石灯籠は見逃してしまった

 

本堂

弘法大師  庚申堂

 

人形供養

 

 

東門

 

東門

  明治29年5月 建立   あハ 志ま だう  

寄付者  高橋弥一郎 

 

与謝蕪村が娘の病気回復を祈願して詠んだ句

与謝蕪村も当堂を訪れ、娘の病気回復を祈願した。春雨の中をはだしで百度詣りをしている婦人の姿をみて、この句を残したといわれています。その時詠んだ句が、境内の石碑に刻まれている。

粟嶋へ はだしまゐりや 春の雨

 

関連記事 ➡ 与謝蕪村の居宅跡(終焉の地)

      角屋 ・ 角屋もてなしの文化美術館

      京の通称寺  39ヶ寺

      宝鏡寺  人形寺と呼ばれています



最新の画像もっと見る