一条戻橋(いちじょう もどりばし) です
やがて 罪人のさらし場になった
秀吉の朝鮮出兵に異を唱えた薩摩藩主の島津歳久が処刑され、
歳久の首が戻橋にさらされた、
たまたま、京都にいた島津家の親戚の人が歳久の首を盗み取り、
浄福寺で供養をしたとのことです。
以後、浄福寺と島津家の結びつきは強くなる。
幕末、薩摩藩邸に宿泊出来なかった藩士は浄福寺に宿泊した。
中には暴れたりして、柱に刀傷をつけている。
その刀傷は現在も本堂等に残っているといわれています
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