幕末の佐賀藩は,藩財政の窮乏と英国艦船の来訪等により藩政改革の必要に迫られ,
藩主鍋島斉正(閑叟,1814~71)は財政強化と軍事力の再編に尽力した。
佐賀藩は雄藩として公武合体派の指導的な役割を果たし,
斉正は福井藩主松平春岳(慶永)らとともに一橋慶喜(1837~1913)を擁立して
改革派藩主連合の一翼を担った。
佐賀鍋島藩の藩邸ははじめ堺町通四条下るにあったが,
幕末にいたりこの地に移された。
幕末藩士 佐賀藩
- 鍋島直正(閑叟、藩主)
- 大隈重信
- 江藤新平
- 副島種臣
- 大木喬任
- 佐野常民
- 島義勇 →以上7人は、佐賀の七賢人
- 鍋島直大(藩主。直正の子)
- 鍋島茂昌
- 鍋島直彬
- 鍋島直虎
- 多久茂族(藩士)
- 遠藤直正(家老)
- 石井忠躬
- 石井忠亮
- 石井松堂
- 石井貞興
- 石井富之助
- 伊東玄朴
- 枝吉神陽
- 朝倉尚武
- 山口尚芳
- 中牟田倉之助
堺町四条下ル 鍋島藩屋敷跡 ➡ 石碑 佐賀鍋島藩屋敷跡
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