和気廣虫
和気 広虫(わけ の ひろむし、天平2年(730年) - 延暦18年1月20日(799年3月1日))は、奈良時代の女官。和気清麻呂の姉。藤野別広虫女とも称される。
従五位下葛木連戸主の妻となるが、その後死別。孝謙上皇に仕えるが、762年(天平宝字6年)上皇に従って出家し"法均"と号した。765年(天平神護元年)に吉備藤野和気真人の姓を賜り、768年(神護景雲2年)大尼に任じられた。翌年宇佐八幡宮の神託を請うための勅使に任じられたが、この時は病弱で長旅に耐えないことを理由に、弟の和気清麻呂に代行させている。その神託の結果が道鏡の意に反していたことから還俗させられ、弟の清麻呂は別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)と改名させられて大隅国へ、広虫は別部広虫売(わけべ の ひろむしめ)と改名させられて備後国へ、それぞれ配流に処せられた。770年(宝亀元年)に帰洛を許され、従五位下に叙せられた。774年(宝亀5年)清麻呂とともに朝臣の姓を賜り、以後昇任して785年(延暦4年)には従四位上に叙せられている。没後正三位が贈られている。
和気広虫は、孤児の養育に励んだことが伝えられている。
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