中世には、「率分所」といわれた関所が設けられ、ここで通行税が徴収されていた
これらの関銭の徴収権はもともと山科家や万里小路家などの公家で持っていたが、
足利将軍義政の妻、日野富子がこの権利を持ち多くの富を得たといわれている。
日野富子の墓所 ⇒ 華開院 日野富子・墓所 皇室ゆかりの名刹
豊臣秀吉が天下制覇し、天正19年(1591)に洛中周辺に御土居を築き、都の構えとして七口をひらいた。
東 粟田口
坤(ひつじさる) 東寺口 ⇒ 地蔵尊南039 矢取地蔵尊 道標南0131
西 丹波口
北 清蔵口
艮(うしとら) 鞍馬口 ⇒ 出雲路鞍馬口 ・京の七口
北 大原口 ⇒ 京都で一番美しいと言われている 大原口道標
東 荒神口 ⇒ 京の七口
江戸時代には 街道と結びついて
山陽道(摂津道) 東寺口
東海道(伊賀伊勢道) 五条橋口
西海道(さいかいどう 九州道) 四條大宮口
南海道(紀州道) 竹田口
東山道(とうさんどう 近江道) 三条橋口 ⇒ 京都現存最古の道標 三条白川橋
北陸道(若狭道) 大原口
山陰道(丹波道) 清蔵口
これらは
鳥羽口 伏見口 丹波口 粟田口 八瀬口 若狭口 長坂口 とか
東寺口 竹田口 五条橋口 大原口 三条橋口 千本口 七条口 などと呼ばれていた
実際 京に入る道は10数か所あり
竜華越(りゅうげ) 八瀬の里から北の山路を経て近江国大溝の北に出る
志賀山越 東北瓜生山将軍地蔵から江州三井寺の麓に出る ⇒ まち歩き 瓜生山山頂
山中越 北白川から山路を経て江州大津に出る
唐櫃越(からひつ) 一条寺より比叡山の無動寺へ出る
如意越 洛東の如意ケ嶽より近江国園城寺の上に出る
小関越 下粟田の東から北の山の麓の細路越えに三井の麓に出る ⇒ 小関越 三井寺への近道
滑谷越(しるたに) 清水寺の南大仏殿の東を山科を経て大津へ出る
汰石越(すべりいし) 東山蓮華王院の南から山科西に出る
狼谷越 藤ノ森の南より山科勧修寺へぬけ大津へ出る
山崎道 東寺の南、唐橋を経て山崎にかかり摂州へ出る
老坂越 洛西保津から老ノ坂北を経て丹波へ出る
松尾越 洛西松尾から山路を経て丹波へ出る
他に
北嵯峨広沢池から京見峠を経て丹波へ
洛北鞍馬から大悲山に出て丹波山国へ
大原より若狭へ出る道
などがあった