江戸時代、東海道筋のこの付近で売られていた大津算盤は、慶長17年(1612)、片岡庄兵衛が、明国から長崎に渡来した算盤を参考に、製造を始めたものと伝える。同家は以後、此の碑の西方にあった一里塚附近(旧今一里町)で店を構え、幕府御用達の算盤師になったという。なお昭和初期まで、この碑の場所にも同家のご子孫が住まわれていた。
碑の下は 車石が使われています
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川柳
お年玉すぐ開けられて恥ずかしい /三輪
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