平成30年10月8日 撮影
上賀茂神社
京都市屈指の古社。正しくは賀茂別雷(わけいかづち)神社といい、下鴨にある賀茂御祖(みおや)神社を下鴨神社というのに対し、上賀茂神社という。別雷命を祭神とする賀茂氏の氏神であり、また賀茂郷の産土神で、その創祀はきわめて古い。別雷といい、火雷といい、雷神は農作に必要な水を給与する神として古代農民から崇敬された。この崇敬のこころを神話化したのが「賀茂伝説」である。
欽明天皇の御代にきすでに今の葵祭のはじまりである賀茂祭が存したといわれ、奈良時代には取り締まりを必要とするほどに栄えていたようです。平安遷都にあたって王城の守護神とあがめられ、伊勢神宮に次ぐ崇敬を得、嵯峨天皇の御代には、それまで賀茂氏の女が奉祀してきた忌子に代わり、皇女が斎王として奉祀されるなど、国家の祭祀にあづかるに至った。奉幣は歴代天皇ごとに行われ、ことに祈雨・止雨の奉幣は何回となくあった。また行幸は桓武天皇以来、60回ほどにおよび、御幸は白河上皇をはじめとしてしばしば行われた。
延喜の制には名神大社に列し、寛仁2年(1018)には神領として愛宕郡12郷のうち、4郷を除いた8郷を上下両社に寄進された。社運は隆盛を極めた。中世には山城国一ノ宮となり、明治初年には官幣大社に列し、全国の官国幣社の首位におかれた。しかし、第二次世界大戦後はかかる社格は廃止され、今は厄除開運・方除けの神として一般庶民の崇敬を得ている。
鎮座地は賀茂川の東畔、背後に御生(みあれ)山(神山 こうやま)があり、前に楢の小川のながれるところにある。神域内にはね桧皮葺の社殿が建ち並び、王朝時代さながらの景観を呈している。
社殿は21年目ごとに造営される習わしになっているが、今のは文久3年(1963)建造の本殿・権殿を除いて他は寛永5年(1628)の造替にかかわるものばかりで、およそ42棟ある。どれも、国宝や重要文化財に指定されている。
賀茂祭(葵祭)
賀茂競馬
烏相撲
他に多くの行事がある。
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