大正4年第1回全国中等学校優勝野球大会(現 全国高等学校野球選手権大会)において 京都二中が見事優勝を飾り、京都の少年たちの間に一気に野球熱が高まった。少年たちがより安全かつ安価に野球を楽しめるように 京都市の小学校の教員が中心になり「京都少年野球研究会」が結成され京都文具商業組合長の鈴鹿栄氏(平成15年野球殿堂入り)が中心になって野球用のゴムボールの開発が行われた。ボールは大正7年に完成し、翌年には京都第二小学校(元 成徳中学校)において、軟式野球大会を開催したのが軟式野球の普及の始まりです。
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