伏見城中枢部と京を結ぶ、最も重要な街道だった。街道の名の由来は、
伊達政宗がこの街道の傍らに屋敷を構えていたからと伝えられている。
伊達家ゆかりの「海宝寺」には政宗公お手植えの「マッコク」が伝承している。
この街道沿いには豊臣秀吉の配下であった
毛利輝元、徳川家康、福島正則、島津義弘等が屋敷を構えていたとされる。
この街道沿いを数次にわたり発掘調査が実施されて、伏見城研究にも大きな成果を上げている。
この街道を境として東側では、三河、島津、正宗、丹下、永井久太郎、
大蔵、因幡、美濃、根来、本多上野、松平武蔵、板倉周防など人名を冠した地名が残されている。