美福門院 得子(びふくもんいん なりこ)
須賀神社を訪ねたときに由緒書に出てきた女性です
藤原 得子(ふじわら なりこ、(1117年~1160年)、父は藤原長実。美福門院(びふくもんいん)は鳥羽天皇の譲位後の皇后。近衛天皇の生母。近衛天皇は17歳で死去。若くして亡くなっている。
美福門院は鳥羽天皇の間に 女、女、男、女 の順に子供を産んでいる この第3子の男の子が 近衛天皇である。2番目の女の子は八条院
鳥羽天皇には美福門院より先に待賢門院(1101年~1145年)という皇后がいた待賢門院には7人(5男2女)の子供がいたから話が複雑になってくる。美福門院は16歳も若い
鳥羽天皇は美福門院に気を移したので美福門院の権勢が強くなっていった
ここらあたりは日本の歴史に関わる話になってきます。
1141年待賢門院の息子・長男が天皇(崇徳天皇)であったが美福門院の息子が天皇(近衛天皇)になった スムーズにはいかなかったのだろう
事件が起こったり、うわさが流れた
美福門院24歳 待賢門院 40歳
美福門院この頃から息子が亡くなるまでは絶頂期だったのだろう
墓所は 高野山
関連記事 ➡ 娘 子内親王 陵
息子 近衛天皇火葬塚
二条天皇 二條天皇香隆寺陵 23歳で亡くなる