高校野球で地方大会の決勝が行われています。
優勝校が決まって、大喜びの選手やグランドに座り込む選手など、様々です。
毎年の光景ですが、ふと中学三年生の夏を思い出しました。
中学生最後の試合。。。
夏の大会でした。。。
私は、公立中学のよわーい卓球部員で、試合でもあまり勝てていませんでした。
しかし、どの時期だったか忘れましたが、部活動が終わってから、地域では有名な卓球場に通うようになりました。
夏休みも、受験勉強と並行して、卓球場に毎日のように通って、同年代の選手たちと練習を続けていました。
あの夏も、あつーい太陽が照り付けてきて、ひたいに汗がにじんでいたように思います。
駅から卓球場まで、歩くのですが、こんなに太陽って暑いのか!と思った記憶があります。
でも、中学三年ですから、まったく平気で、何時間もの練習をして、帰っていました。
動きも俊敏で、一瞬でボールの位置まで移動して、全力でスマッシュしていました。
今とは比べ物にならないくらい、素早かったと思います。
あの時のフットワークがあればいいなと、うらやましく思います。
地道な練習のおかげもあって、同年代の選手と試合しても、勝てるようになり、夏の終わりには強くなったと感じていました。
そして、試合当日を迎えました。
今から考えると、なんであんなことが起こったのか!と、苦々しい思いがするのですが、予想もしないことが起こりました。
試合の時間になっても、顧問の先生が来なかったのです。。。
試合会場では、「顧問の先生がおられない学校は参加できません。」というアナウンスが何度も流れていました。
私たち卓球部員は、「先生は後から来ると思います。」と必死で訴えていました。
しかし、それではだめらしい様子でした。
その時代には、携帯電話もありませんし、休みの日だったので、学校に電話をするというようなこともできなかったのだと思います。
私たちは、ただ焦るばかり・・・。
「駅まで行って、見てこよう」と何人かで走って駅まで行きました。
なかなかやって来ない先生をずっと待っていました。
どのくらい待ったかは、忘れましたが、やっとのことで顧問の先生がやって来られました。
私たちは、「先生、急いでください」と必死になって、訴えるのですが、顧問の先生は全く動ずることなく「いやいや大丈夫、大丈夫」・・・。
のんびりと時計を見ながら歩いておられました。
会場に着いた時間が何時だったか忘れました。
既に、時遅し・・・。
先生が、運営側と話をしておられましたが、私たちの中学は、棄権とみなされました。
今から、思うと大変悔しいことですが、その当時の私の記憶に悔しいという気持ちはありませんでした。
どちらかというと、呆然としていたように思います。
特に先生に対して、怒りも、憎しみも全くありませんでした。
なぜ、そんな気持ちだったのかは、よくわかりません。
今から思うと、ちょっとした問題になりそうな出来事だと思いますが、当時は誰も問題とは考えずに、学校からも先生からもちゃんとした説明や謝罪などは、全くありませんでした。
今から考えると、もっと怒ったらよかったかなと思ったりします。。。
少し長くなりそうなので、明日に続きます・・・。
指導者(顧問)として、問題ありの人だと思います。
人間性を疑いますね!
純粋な子供たちの心を踏みにじったのですから…。
もっと、大声でわめいてもよかったと思います。
可哀そうで、、もし、孫の話だったら…と。
怒りがふつふつと湧いてきます!!