電話交換手
昭和40~50年代までの電話は、電話を掛けたい相手に直接つなげることが出来ず、
電話交換手を通じて電話回線をつなげてもらう必要がありました。
昭和中期までは、人力でなんとかなっていたのですが、
やがて電話の保有台数が増えていくと人力では対応が難しくなっていきました。
そこに、自動の電話交換機が発明され、電話交換手の仕事は消えていったのです。
実際まだ50年代は、「電話交換手になりたい」
という女の子もいました。
大手企業などは電話交換手と言うわけではありませんが、
直接職場に掛けず、
代表に掛けてから、つないでいく会社も実在します。
三助
銭湯で背中流しをしてくれる男性従業員です。
価格は銭湯価格と同じだったようです。
ちなみにこの三助さん、
女風呂にも行きます。
もちろん嫌らしい目つきで見たりしません。
「昭和と言っても戦前の話じゃないの?」
と思われそうですが、
東京は、平成にもあったようで、
「東京ラブストーリー」「妻たちの恋」などの
作者柴門ふみさんのエッセイにも登場します。
最後の三助さんは2013年で終わりでした。
背中流し以外には、湯沸かしや浴場掃除など
されるていたようです。
エレベーターガール
エレベーターガールの仕事は多岐にわたります。
エレベーターの操作はもちろん、
車イスやお手伝いが必要なお客のケア、フロアや商品の案内など。
お客から質問されて『分からない』では、デパート全体の印象が落ちてしまいます。
エレベーターガールはまさにデパートの顔だったのです。
私は田舎に住んでいるので、
一度も本物の「エレベーターガール」を見かけたことはありません。
これは昭和の産物ではなく、
平成初期には、宮沢りえさん主演で
「エレベーターガール」
というドラマもありましたし、
友人のいた高校は、求人もあったそうです。
バブル崩壊とともに売る上げが落ち、
人員削減とともに廃止。
デパートなどはありませんが、
観光名所などは残っている場所もあります。
路面バスの車掌
実は、実父がしていた時期があります。
今は、「次は○○」など、
停留所の案内がありますが、
昔は口頭で言っていたそうです。
お年寄りや体の不自由な人の介助や
両替、バスも運転手さんと洗っていたそうです。
父の働いていた会社は、地元でも、なぜか
独身男性は寮生活で、
寮が嫌で、みんな早く結婚したそうです(笑)
この時、会社負担で
大型車の免許も取得しましたが、
70代半ばでも一度も乗ったことがありません。
他にもなくなった仕事は、
無数にも存在します。
また、機会がありましたら、
書いていこうと思います。
数十年前に福岡への家族旅行で、福岡タワーに行った時に、そのタワーのエレベーターガールさんが超美人でした。今もいるかどうかわかりませんが、もしかしたら、いるかもしれません。
やはり容姿基準での採用なのかもしれませんね。