ユニークなアイデアをふんだんに盛り込んだ肥後拵が、完成しました!
実に長い時間がかかってしまいましたが、まずは純粋に完成を祝いたいと思います。
この度のお仕事は、刀匠さんからご指名を頂き、ご依頼者様が遠方遥々ご来訪頂くという大変珍しくも有難い、私の人生にも大きな影響を与えることになったご依頼です。
ご依頼者様にお会いした時、お時間の許す限り「この御刀がなぜ作られたのか」、「どのようなお考えでご依頼に至ったのか」、「どれほど多くの思いが詰まった御刀であるか」等々一連の事情をお伺いし、その重みに触れるにつれて目頭が熱くなるような気持ちで刀身をお預かりしました。
思えばその瞬間から、私とこの刀との奇妙な共同生活が始まったのでした。
この数年間、片時も傍を離れることなく寄り添い、目が合うたびに話しかけ、共に酒を酌み交わし、時には夢中になったり疎ましく感じたり・・・、もはや物と生の垣根を超えた友と化したかのような錯覚に陥りました。(実は同じような事情で、なかなか工作が先に進まない御刀があと数振りあるのですが、それはまた別の機会にご紹介します・・・。)
というわけで当初、生半可な気持ちではお請けできないことからご依頼をお断りすることも考えた程でしたが、考え方によっては「これ以上の職人冥利に尽きるご依頼はないのでは?」と考えるに至って、正式にご依頼をお引き受けすることになりました。
始めの1年目は、ご依頼時に伺っていた設計で制作を開始するも、作業半ばで大幅な指示の変更があり、それまでの材料が無駄になるというハプニングもあったものの、仕切り直しで一から構想を練り直し設計を見直しました。
難易度の高い工作になればなるほど、「より良い外装に仕上げるのだ!」と気合を新たにして、果敢に挑み続ける楽しみが増えます。
新しい指示は、当初の詳細な指示とは裏腹に、ザックリ「昆虫」(鞘はハチの巣をイメージ)という方向性で作り上げることになりました。
ご依頼時からご予算の都合が全く成り立っていなかったことと、制作期間中に発生した熊本地震への復興のために何かお手伝いができないものか?という個人的な考えとが相重なって、この度の御刀が現地の復興の手助けになるのでは?という自分勝手な考えが芽生え始めました。
ここは一つ「資金集めから始めるぞ!」という、強い意志が育ちました。
ここで刀剣工作から少し脱線して、震災復興の話をさせて頂きます!
東日本大震災で甚大な被害をうけた女川町の現在
昨今、日本中で頻発している地震による被害は甚大で、不幸にも被災された多くの方々は今だ過酷な状況下で生活しています。特に東日本大震災を皮切りに、平成28年(2016年)の熊本地震、今年の北海道胆振東部地震と、各々震度7を観測する大地震が日本各地で発生しており、未曾有の災害に見舞われた地域では、復興に向けた取り組みが必ずしも充実しているとは言い難く、九州や北海道は首都圏から離れた地域ということもあって、もはや震災があったことすら忘れかけている人たちも多いといった有様です。
そんな各地方に長く根付いていて地域の文化圏と切り離して考えることができない伝統的な文化の中に、古流剣術などの武道が含まれています。そこで私は、復興の陰で二の次にまわされがちなご当地の伝統文化を守ることも、長い目で見て必ずや震災の復興に繋がると考えるに至りました。
この度、足りない資金はご当地体験をビジネス化している旅行会社さんの協力の元、近隣学生さんたちのお力添えで、鎌倉の製鉄文化を紹介するツアーを開催して資金を調達することにしました。
もちろん一工芸職人が始めることですから、右も左もわからない手探り状態の中からの出発でしたが何とかご好評頂き、回を重ねるごとに自分自身楽しませて頂くことができました。特にうれしかったことは、リピートを希望される方が圧倒的大多数で、数多くのお礼の言葉を頂けたことです。
ツアーにご参加頂いた皆さんには、ツアー終了後に参加費を熊本の復興に用立てさせて頂く旨のご了承を頂き、何とか材料費を工面することができました。
次に、実際の工作に移るわけですが、今回の設計は試行錯誤の連続でした。
刀身は、現代名工の渾身の打ち下ろしで、豪壮な作り込みから奉納刀かと見紛うほどでしたが、実際に武道にお使い頂けるようにバランス調整や手持ちの改善を施していかなければなりません。
注目して頂きたいのは、研ぎ出し鞘の意匠です。
仕切り直し後の新たなご要望は『ハチの巣』ですので、まずは鮫革を細かく六角形に切り出してパズルの様に組み立ててみました。ところがこのままいくと全面を覆うころには部分部分で歪なパズルが生じてしまい、どうにも不格好なためボツ。
次に、正確にサイズと角度を計算しながら、大きめのモザイク画を作る様に当てはめてみました。完成度の高い外装に仕上がるものの、朴訥とした武骨な表情が影を潜めて美しいばかりの拵になってしまいました。さらに、貼り合わせた鮫革が一部剥離するなど、強度面の欠点が浮き彫りに・・・。
次に、問題点を洗い出し、貼り合わせる鮫革のサイズを強度に耐えうる最低限のサイズに仕上げてみました。出来上がった鞘は、デザイン性がどうしても私の美的センスとかみ合わず、あえなく破棄。どうやら発想を切り替えて、ハチの巣をデフォルメする必要がありそうです。
最後に、指し裏には強度を、指し表には意匠性を取り入れて、色味を調整しながら研ぎ上げたのがこの鞘です。
本来、鮫革の合わせ目は裏側にきますが、逆転の発想で合わせ目を意匠に仕立てて相反する強度とデザインを両立させる試みに挑戦しました。
結局、鞘5本分の材料を無駄にしながらも、何とか完成しました。
今までに作ったモダンな鮫の研ぎ出し鞘の技術を応用して、今までにない肥後拵に挑戦したわけですが、本場の愛好家の方々に快く受け入れて頂けるのか?は全くの別問題です。
「これは肥後拵ではない!」と言われてしまえば努力は無駄になってしまいますし、伝統的ではないという批判があればご依頼者様にも迷惑をかけてしまうかもしれませんので、一種の賭けになります。
それほど、〇〇拵という伝統的な様式美は踏襲が難しく、巷にあふれるナンチャッテ拵がいかに出鱈目な代物であるかということを改めて知って頂きたいと思います。
今回独自の試みとして、公共性の高い使われ方をされるであろう御刀の工作代を、工作の対価以外のカタチで捻出することで、伝統工芸の社会的価値を広く知って頂く機会になればと思い活動を行いました。
批判もあるかと思いますが、この機会にニッチな工芸分野の存続の意味について、考えて頂く切っ掛けになりましたら幸いです。
さらに、熊本の復興に一役かってもらおうなどと大それた企みは、物言わぬ刀剣に勝手に役目を押し付ける行為であって大変罪深いと思いますが、そうでもしなければ拵えの完成は絶望的であったことから、御刀には申し訳ないのですがもう一仕事かって出て頂こうと思います。
実に長い時間がかかってしまいましたが、まずは純粋に完成を祝いたいと思います。
この度のお仕事は、刀匠さんからご指名を頂き、ご依頼者様が遠方遥々ご来訪頂くという大変珍しくも有難い、私の人生にも大きな影響を与えることになったご依頼です。
ご依頼者様にお会いした時、お時間の許す限り「この御刀がなぜ作られたのか」、「どのようなお考えでご依頼に至ったのか」、「どれほど多くの思いが詰まった御刀であるか」等々一連の事情をお伺いし、その重みに触れるにつれて目頭が熱くなるような気持ちで刀身をお預かりしました。
思えばその瞬間から、私とこの刀との奇妙な共同生活が始まったのでした。
この数年間、片時も傍を離れることなく寄り添い、目が合うたびに話しかけ、共に酒を酌み交わし、時には夢中になったり疎ましく感じたり・・・、もはや物と生の垣根を超えた友と化したかのような錯覚に陥りました。(実は同じような事情で、なかなか工作が先に進まない御刀があと数振りあるのですが、それはまた別の機会にご紹介します・・・。)
というわけで当初、生半可な気持ちではお請けできないことからご依頼をお断りすることも考えた程でしたが、考え方によっては「これ以上の職人冥利に尽きるご依頼はないのでは?」と考えるに至って、正式にご依頼をお引き受けすることになりました。
始めの1年目は、ご依頼時に伺っていた設計で制作を開始するも、作業半ばで大幅な指示の変更があり、それまでの材料が無駄になるというハプニングもあったものの、仕切り直しで一から構想を練り直し設計を見直しました。
難易度の高い工作になればなるほど、「より良い外装に仕上げるのだ!」と気合を新たにして、果敢に挑み続ける楽しみが増えます。
新しい指示は、当初の詳細な指示とは裏腹に、ザックリ「昆虫」(鞘はハチの巣をイメージ)という方向性で作り上げることになりました。
ご依頼時からご予算の都合が全く成り立っていなかったことと、制作期間中に発生した熊本地震への復興のために何かお手伝いができないものか?という個人的な考えとが相重なって、この度の御刀が現地の復興の手助けになるのでは?という自分勝手な考えが芽生え始めました。
ここは一つ「資金集めから始めるぞ!」という、強い意志が育ちました。
ここで刀剣工作から少し脱線して、震災復興の話をさせて頂きます!
東日本大震災で甚大な被害をうけた女川町の現在
昨今、日本中で頻発している地震による被害は甚大で、不幸にも被災された多くの方々は今だ過酷な状況下で生活しています。特に東日本大震災を皮切りに、平成28年(2016年)の熊本地震、今年の北海道胆振東部地震と、各々震度7を観測する大地震が日本各地で発生しており、未曾有の災害に見舞われた地域では、復興に向けた取り組みが必ずしも充実しているとは言い難く、九州や北海道は首都圏から離れた地域ということもあって、もはや震災があったことすら忘れかけている人たちも多いといった有様です。
そんな各地方に長く根付いていて地域の文化圏と切り離して考えることができない伝統的な文化の中に、古流剣術などの武道が含まれています。そこで私は、復興の陰で二の次にまわされがちなご当地の伝統文化を守ることも、長い目で見て必ずや震災の復興に繋がると考えるに至りました。
この度、足りない資金はご当地体験をビジネス化している旅行会社さんの協力の元、近隣学生さんたちのお力添えで、鎌倉の製鉄文化を紹介するツアーを開催して資金を調達することにしました。
もちろん一工芸職人が始めることですから、右も左もわからない手探り状態の中からの出発でしたが何とかご好評頂き、回を重ねるごとに自分自身楽しませて頂くことができました。特にうれしかったことは、リピートを希望される方が圧倒的大多数で、数多くのお礼の言葉を頂けたことです。
ツアーにご参加頂いた皆さんには、ツアー終了後に参加費を熊本の復興に用立てさせて頂く旨のご了承を頂き、何とか材料費を工面することができました。
次に、実際の工作に移るわけですが、今回の設計は試行錯誤の連続でした。
刀身は、現代名工の渾身の打ち下ろしで、豪壮な作り込みから奉納刀かと見紛うほどでしたが、実際に武道にお使い頂けるようにバランス調整や手持ちの改善を施していかなければなりません。
注目して頂きたいのは、研ぎ出し鞘の意匠です。
仕切り直し後の新たなご要望は『ハチの巣』ですので、まずは鮫革を細かく六角形に切り出してパズルの様に組み立ててみました。ところがこのままいくと全面を覆うころには部分部分で歪なパズルが生じてしまい、どうにも不格好なためボツ。
次に、正確にサイズと角度を計算しながら、大きめのモザイク画を作る様に当てはめてみました。完成度の高い外装に仕上がるものの、朴訥とした武骨な表情が影を潜めて美しいばかりの拵になってしまいました。さらに、貼り合わせた鮫革が一部剥離するなど、強度面の欠点が浮き彫りに・・・。
次に、問題点を洗い出し、貼り合わせる鮫革のサイズを強度に耐えうる最低限のサイズに仕上げてみました。出来上がった鞘は、デザイン性がどうしても私の美的センスとかみ合わず、あえなく破棄。どうやら発想を切り替えて、ハチの巣をデフォルメする必要がありそうです。
最後に、指し裏には強度を、指し表には意匠性を取り入れて、色味を調整しながら研ぎ上げたのがこの鞘です。
本来、鮫革の合わせ目は裏側にきますが、逆転の発想で合わせ目を意匠に仕立てて相反する強度とデザインを両立させる試みに挑戦しました。
結局、鞘5本分の材料を無駄にしながらも、何とか完成しました。
今までに作ったモダンな鮫の研ぎ出し鞘の技術を応用して、今までにない肥後拵に挑戦したわけですが、本場の愛好家の方々に快く受け入れて頂けるのか?は全くの別問題です。
「これは肥後拵ではない!」と言われてしまえば努力は無駄になってしまいますし、伝統的ではないという批判があればご依頼者様にも迷惑をかけてしまうかもしれませんので、一種の賭けになります。
それほど、〇〇拵という伝統的な様式美は踏襲が難しく、巷にあふれるナンチャッテ拵がいかに出鱈目な代物であるかということを改めて知って頂きたいと思います。
今回独自の試みとして、公共性の高い使われ方をされるであろう御刀の工作代を、工作の対価以外のカタチで捻出することで、伝統工芸の社会的価値を広く知って頂く機会になればと思い活動を行いました。
批判もあるかと思いますが、この機会にニッチな工芸分野の存続の意味について、考えて頂く切っ掛けになりましたら幸いです。
さらに、熊本の復興に一役かってもらおうなどと大それた企みは、物言わぬ刀剣に勝手に役目を押し付ける行為であって大変罪深いと思いますが、そうでもしなければ拵えの完成は絶望的であったことから、御刀には申し訳ないのですがもう一仕事かって出て頂こうと思います。