法住寺の隣は三十三間堂です。
三十三間堂は、正式には蓮華王院といい、長寛2年(1164) 後白河法王が
法住寺殿の敷地内に、平清盛の資財協力によって創建されました。
その約80年後に焼失しましたが、文永3年(1266)に再建され、4度の大修理を経て、
今にいたっています。
お堂は、和様の「総ひのき造り」で、長さは約120メートル!で、なが~い!
正面の柱間が、33あることから、「三十三間堂」と称され、国宝になっています。
堂内の鎌倉時代の国宝の像数々は、鎌倉彫刻の傑作で、 いつ見ても素晴らしい!
1001体の千手観音像に加え,それらの前にずらっと居並ぶ二十八部衆
風神雷神像の30体が、すりガラスの光差し込む堂内で、1m少しの距離のまじかに、
見られ、迫力をもって、見るものをぐっと見据えるようで、圧倒されます。
像は、等身大(160cm前後)で立ち、水晶がはめ込まれている玉眼で、
その目に宿る力,全身にみなぎる力強さ、ものすごい迫力です。
中尊千手観音菩薩座像は、中央に位置し、神々しい!
国宝 四天王像は、中尊千手観音菩薩座像を守護し,ぞの四隅に屹立しています。
国宝 四天王像の、東方天像(持国天) 毘楼勒叉像(増長天)
毘楼博叉像(広目天) 毘沙門天像(多聞天)の像は、圧巻の迫力です。
三十三間堂のたくさんの像を見ていると、迫力ある力強さに、ただただ圧倒され、
もう1年分の像を見たような感覚になる!
堂内を出て、西側の2つの池がある庭を散策して、静けさと安らぎの時間を過ごし
ました。
迫力ある国宝の像に圧倒された後は、静けさと安らぎを求めて庭を散策しましょう!
東側の回廊と朱塗の門
池は2つあります
庭のサザンカ
梅は七部咲き
法然塔
夜泣せん
夜泣せんの説明文
和様の「総ひのき造り」で、長さは約120メートル!で、なが~い!
正面の柱間が33あることから、「三十三間堂」と称され国宝になっています
正面 スリガラスになっているので、堂内の像の数々ははっきりと見ることができる
三十三間堂は、正式には蓮華王院といい長寛2年(1164)、平清盛が造進したものです。
西側の部分
三十三間堂は、正式には蓮華王院といい、長寛2年(1164) 後白河法王が
法住寺殿の敷地内に、平清盛の資財協力によって創建されました。
その約80年後に焼失しましたが、文永3年(1266)に再建され、4度の大修理を経て、
今にいたっています。
お堂は、和様の「総ひのき造り」で、長さは約120メートル!で、なが~い!
正面の柱間が、33あることから、「三十三間堂」と称され、国宝になっています。
堂内の鎌倉時代の国宝の像数々は、鎌倉彫刻の傑作で、 いつ見ても素晴らしい!
1001体の千手観音像に加え,それらの前にずらっと居並ぶ二十八部衆
風神雷神像の30体が、すりガラスの光差し込む堂内で、1m少しの距離のまじかに、
見られ、迫力をもって、見るものをぐっと見据えるようで、圧倒されます。
像は、等身大(160cm前後)で立ち、水晶がはめ込まれている玉眼で、
その目に宿る力,全身にみなぎる力強さ、ものすごい迫力です。
中尊千手観音菩薩座像は、中央に位置し、神々しい!
国宝 四天王像は、中尊千手観音菩薩座像を守護し,ぞの四隅に屹立しています。
国宝 四天王像の、東方天像(持国天) 毘楼勒叉像(増長天)
毘楼博叉像(広目天) 毘沙門天像(多聞天)の像は、圧巻の迫力です。
三十三間堂のたくさんの像を見ていると、迫力ある力強さに、ただただ圧倒され、
もう1年分の像を見たような感覚になる!
堂内を出て、西側の2つの池がある庭を散策して、静けさと安らぎの時間を過ごし
ました。
迫力ある国宝の像に圧倒された後は、静けさと安らぎを求めて庭を散策しましょう!
東側の回廊と朱塗の門
池は2つあります
庭のサザンカ
梅は七部咲き
法然塔
夜泣せん
夜泣せんの説明文
和様の「総ひのき造り」で、長さは約120メートル!で、なが~い!
正面の柱間が33あることから、「三十三間堂」と称され国宝になっています
正面 スリガラスになっているので、堂内の像の数々ははっきりと見ることができる
三十三間堂は、正式には蓮華王院といい長寛2年(1164)、平清盛が造進したものです。
西側の部分