寺町阿弥陀寺は、織田信長や正親町(おおぎまち)天皇の帰依を受けた清玉(せいぎょく)上人が開山で、織田信長公本廟所とのことです。
本能寺の変の際、上人は本能寺に駆け付け信長の遺骸を寺に運び、本能寺・二条城で討死した織田家中百余名と共に供養し埋葬しました。
境内には信長・信忠父子墓と森蘭丸ほか家臣の墓がありました。
本堂内は信長公木像や位牌、弓掛(ゆがけ)や鞍覆、手槍先、於本能寺・二条城討死衆合同位牌、明智光秀・木下藤吉郎(豊臣秀吉)書状などが
公開されていました。
本堂天井は、日本画家・上田幸子氏筆の鮮やかな色彩の「彩華来迎花浄土之図(さいからいこうかじょうどのず)」が彩られていました。
以前に聞いた話では、信長の遺骸は見つからず、日本には沢山の信長の墓所があり、いずれにも遺骸は埋葬されていないとのことなので
本当にこちらが遺骸を収めた墓所なのでしょうか???
阿弥陀寺、寺町門
石碑
説明看板
非公開文化財特別公開の看板 信長の像の写真
鐘楼
本堂
信長の墓所の案内看板
信長一族の墓
石碑
昔からの墓なので、遺族のいない墓石が並べられていた
境内
本能寺の変の際、上人は本能寺に駆け付け信長の遺骸を寺に運び、本能寺・二条城で討死した織田家中百余名と共に供養し埋葬しました。
境内には信長・信忠父子墓と森蘭丸ほか家臣の墓がありました。
本堂内は信長公木像や位牌、弓掛(ゆがけ)や鞍覆、手槍先、於本能寺・二条城討死衆合同位牌、明智光秀・木下藤吉郎(豊臣秀吉)書状などが
公開されていました。
本堂天井は、日本画家・上田幸子氏筆の鮮やかな色彩の「彩華来迎花浄土之図(さいからいこうかじょうどのず)」が彩られていました。
以前に聞いた話では、信長の遺骸は見つからず、日本には沢山の信長の墓所があり、いずれにも遺骸は埋葬されていないとのことなので
本当にこちらが遺骸を収めた墓所なのでしょうか???
阿弥陀寺、寺町門
石碑
説明看板
非公開文化財特別公開の看板 信長の像の写真
鐘楼
本堂
信長の墓所の案内看板
信長一族の墓
石碑
昔からの墓なので、遺族のいない墓石が並べられていた
境内