今や当たり前となっている人気商品の販売制限ですが、ワタリが知る限りだと平成になってから十年以内の中学生の頃には起きていたような気がします。
当時は特価商品にだけそんなものがあってさ、「お一人様2つまで」とか書いてあるから、親に頼まれてひと家族で可能な限りゲットするのに協力した記憶があります。
で、このワタリの親というのが今マスクの店頭品薄の原因と噂され、消毒用として転用できるから。手作りマスクに転用できるから。という理由で赤ちゃん用品を駆逐している年代なのです。
あのね、ワタリが当時まだ子供だったから分からなかったのかもしれませんが、平成に入るまで販売制限って見たことがなかったんですよ。
多分今思うと当時の販売制限は東京辺りで買い占めている人がいて凄い事になっているのを知っている人が「これ絶対群馬でも来るぞ!」と見込んでやり始めたのかもしれません。
で、その当時の「凄いこと」にしていた人間って、ずばり今、マスク購入依存症や自分のために赤ちゃん用品に手を出している人々なんですよね。
いやマジでー。
あのね、ワタリの婆ちゃん世代、すなわち戦時中の人々は必要以上駆逐しない。ということを知っていたような気がするんですよ。
例えば山菜狩りでは大きいのしか取らず、小さいのはあえて残して来年また狩れるようにす。とかさ。
ある資源を絶やさないために、いろいろな知恵があったと思うんですよ。
買う時にしても「うちはこの位あればいいから」って必要以上買うことがなかったと思うんですよ。
販売規制がかかるということはね、それができない人が多い。って証明なんですよ。
必要以上買いまくって、後々になって困った事になって泣いても、また来年には同じことを繰り返していく。という懲りない人ね。
元々、今70歳程度である年代は戦後すぐの生まれで、小さな頃のものがなかった。という記憶をトラウマにしていて、「もっと欲しい!!」という気持ちだけで日本をアジアの先進国筆頭にまで押し上げた輩なんですよ。
で、そこまでは良かったんですが、兄弟が5人とか当たり前の年代だから、人口がすごく多いんですよ。
いや、別に戦時中の生め育てアピールの結果とかじゃなくて、今の高齢者は本当に人口が多いんです。
その人口の多さと幼少期のトラウマのせいかのか、「うちはこれだけあれば良し」という自主規制を持たず、販売制限をかけないと駆逐する。という今につながる代物が出来上がったんじゃないのだろうか?とワタリは思っています。
本当、この年代は典型的すぎるほどの3次元さんの山ですけど、最後の最後で死ななきゃ治らないをぶちかましまくっていると思います。