スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

女性に対する暴力について考える

2020-12-14 00:00:00 | ワタリのエッセイ
今回の記事のテーマはまあタイトルの通りなんですが、本当にワタリがこの記事のタイトルにしたかったのはこれなんですよ。

「お察し文化の弊害」

本当ね、これは女性に対する暴力反対運動が先行している海外でも言える話なんですが、今の70代たちの時代はお察し文化だった訳なんですよ。

なんでも察するのが良くてね、言わなくても理解するのが一番良し。

そうね。今回のネタ元になった内閣府の啓発ポスターの画像が下にあるんですけど、ちょうど良いんでこの画像を使って例えます



例えばこの画像内で「家に来てくれても」と言う項目は「男の家に女が一人できたらセックスOKという意味」の否定になります。

で、「はっきり嫌だと言われなくても」は「セックスOKの意思をほのめかしている」の否定。
「どんな服装でも」は「セクシー系の服装をしているとセックスOkという意味」の否定。
「ボディータッチされても」は「女から男の体に触ったらセックスOKという意味」の否定。
「結婚していても、恋人同士でも」は「結婚していれば、恋人同士なら問答無用でセックスOK」の否定。
「二人きりで食事をしていても」は「男と一緒に食事をしたらセックスOKという意味」の否定。

平成生まれの皆さんたちから「は?」と言う声が聞こえてきそうなんですが、ここから先ちょっと解説しますね。

大体今の70代が働いていた頃がこの発想の全盛期だったんですが、マジで今こう言う事をしなければならない文化があったんです。

特に今40代の人は分かると思うんですが、平成の10年かな?その位までは「男と焼肉食べに行くとセックスO Kという意味」とかって言われていました。

今考えるとね、本当お察し文化の弊害なんですよ。

事の発端は日本式バレンタインデーの起こりが象徴するように、いちいちハッキリ言えなかったお嬢ちゃん達の自己主張を男子たちがお察ししていた事だったと思うんです。

そう、当時としては、本当に当時としては一人暮らしの男の家に女一人で遊びに行くのが、セクシー系の服装するのが、体にお触りするのが、精一杯の「ヤって」アピールだったんです!

実際ワタリは平成20年代の18くらいに、コスプレの都合でデニムのホットパンツ履いていたら母親から「そんな服装して!襲われたらどうするの!?」なんて真顔で言われました。

さすがにお察し文化が当たり前の日本でも、性に関する部分は今の70代が50歳頃になる頃には早くも老害化を迎えました。

でも成功体験を持つじじい共と否定する女の子の間で何年もバトルになり「勘違いするなボケ!」というのはよく聞きました。

今考えると気が強そうに見えたのか?それともツインの御加護のおかげかワタリはそういう被害にあった事はありません。

でも背中が開いた服を着ていた時に歩きながらコートを脱いでいたら「おお!」という顔をされた経験があるのは本当で、今考えると「どんな服装でも」のうすーい被害者ではあったわけです。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 群馬県内高校色々お察しー。 | トップ | 三次元が学びに来た »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。