小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

パルスオキシメーター

2024-06-30 | カニューレ
去年の夏に肺炎で入院してから定期的に通院して処方箋などをもらっている。
五月の診察の時だった。女医先生は「一度入院しませんか」と言われた。ええ?! 快方してると思っていたからびっくり。
先生はパルスオキシメーターの数字を見て「90に行ってないしやっぱり酸素が足らないですね…帰りに入院の手続きをしていってください」
どうやら体内の酸素が足らないので補充するための入院らしい。酸素を体内に取り込むための訓練? 10日間も?

夫に告げたら当然ながら驚いて「どこか具合が悪いという事じゃないんだね」と何度も聞かれた。
入院しろと言うから手続きしてきたと言ってわたしはパルスオキシメーターを夫に示した。
指を突っ込んで血中酸素の濃度を測るキカイ。健康な人なら99から97の数字が出る。70代なら入院が必要というのがわたしの認識。
毎日計って80代だとがっかりしていた。だいたいが90そこそこだった。もちろん98の時も会ったけど。
夫の指に突っ込むと99だった。

そんな次第でよくわからないまま先生が言われるからと入院することになった。

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小麦は食べるな(本間良子著)

2024-06-09 | 読書
 ふと目についたのが『パンと牛乳は今すぐ止めなさい』(内山葉子著)という本。なぜか心をくすぐられる感じでAmazonに直行した。でも売り切れで入荷日も不明。そのあたりをウロウロしていて目についたのが『長生きしたけりゃ小麦は食べるな』という本。パントと関係あるのかな? 興味をそそられて購入した。
 何とも怖ろしい事が書かれていた。あらゆる病の原因は小麦の摂取にあるというもの。「三週間の脱小麦であなたの体に奇跡がおきる」
 ほんとかなあ。糖尿病だの高血圧だの認知症などなど該当する心配事がたくさんある。
 「脱小麦ねえ…」主としてパン類や麺類(生そばは除く)を食べないこと。ケーキ類も勿論ダメ。揚げ物に使う小麦粉などもアウトだけどまずはパンと麺類とケーキ類を食べないようにすることが第一歩らしい。
 なぜ小麦がいけないのかは科学的な説明解説も書かれている。小麦の持つグルテンやらなんやらの成分が複雑に反応するらしい。
 病名に激しく惹かれるのでトライしてみようと思う。単純なのである。何かを用意する必要がない。とりあえず今朝はトーストを止めてお餅を焼いてマーマレードをつけて食べた。マーマレードはちょうどたくさん作ってしまったので何とか消化しなければならない。料理にも使いましょう。ああ、牛乳は豆乳にいれかえます。
 明日から久々に小旅行。うどんはやめて生そばを食べます。脱小麦の第一歩のはじまり(笑)
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「にぎやかな落日」(朝倉かすみ著)

2024-05-08 | 読書
話題になっている「変な家」(雨穴著)をメルカリで探した。あるあるたくさん出ていて価格も大差ない。
出品されている中に四冊まとめて出されているのがあった。
「変な家」「賑やかな落日」「月の沙漠をさばさばt」「JR上野駅公園口」のとりとめのない四冊。
本屋さんの店頭では決して買わないだろう四冊。
「JR上野駅公園口」は柳美里さんの作品で今まで読む機会のなかったもの。
結構ゆるゆるした本が好みなのでもう一歩引いたけれど引きながら購入ボタンを押していた。
「変な家」は変な小説でとりあぜずどんな本かがわかった。
「にぎやかな落日」はすらすらと読めて人生の落日に思いを馳せることが出来た。
北海道で暮らす83才のヒロインの夫は特別養護老人ホームに入居している。東京の娘からは日に二度電話がある。
要介護2で糖尿悪化悪化しつつあって、医療付き老人マンションに入れられる。
痴呆がすすみつつあるが明るく朗らかで周囲からも好かれている。
何も起こらないけど少しずつ悪化していく体調。心もどんより、思い直して日記を書いたりして暮れてゆく。
老いてゆく心構えを教えてもらったような気のする一冊。
「日々の幸せと不安、人生最晩年の生活の、寂しさと諦めが静かに迫る物語」とカバーに書かれている。
しかし、自分ではこうはいきたくないと思う。一気に火の中に飛び込むようにあっちへいきたい。
そういう意味で去年の夏には逝きそこなって残念でならいと悔やんでいる。

次は「JR上野駅公園口」柳美里の著作ははじめて。なぜか、それをこの本によって解き明かされるのかな。

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トランスジェンダーになりたい少女たち

2024-04-26 | 読書
トランスジェンダーという単語の意味がよく分からない。
よくわからないままよからぬ意味と雰囲気を勘が感じ取った。
この法律の国会の通過の仕方も尋常ではない。アメリカ大使のご機嫌伺い?
そこで話題になった本が「トランスジェンダーになりたい少女たち」で妨害に遭って一度は出版を取り消した本。
それが産経出版から発刊された。YouTubeではかなりの話題の本。地上波では無視。最近はそういう話題が多い。
で、興味本位で購入してみた。
パラパラとめくって最後まで読めるか不安になった。なにしろカタカナと英単語まみれなのだ。
しかしやはり日本語が圧倒的に多い。だから不明な箇所は飛ばして読むことにした。
思春期を迎えた少女たちは女の子に生まれたことを悲劇と受け取り男性になりたいと切望している。
胸をぺしゃんこにする下着?や男性化する薬の飲用、さらには肉体改造までつきすすむ。
「わたしは男だったんです」と訴えれば学校も教育機関も弾性化するために援助してくれる。
親が引き戻そうとしても人権無視だという権威にあがらうことができない。

これまでの倍ほどの続きを書いてまだ途中だったので保存したつもりだったけど、見事に消失していた。
初めての経験ではないけどその度に落ち込む。めげる深さが昔と較べて深い。立ち直るのに時間がかかる。
長い間休んでいると写真のアップさえ面倒。体だけじゃなくて頭も心も弱ってきてる寂しい実感を浴びている。
思い直して続きを書こう。おなじ事は書けないだろうけど、書きたいことは同じの筈。

「トランスジェンダーになりたい少女たち」はあめりかの少女たちの実例が書かれている。
子どもの自主性を重んじるあまり少女が男の子になりたいと主張すれば教育機関も、保健機関も後押ししてくれる。
胸を平板に締め付ける下着、男性化するための薬、あげく姓移行手術までも手助けしてくれる。
手術するともう子どもを産む性に戻ることは出来ない。
性に目覚める頃の少女たちはなぜ男になりたいのか、生まれながらの性を厭うのか。

昔少女だった頃、私も自分が女の子であることがとてもいやだった。
そんな頃に読んだ本で「前世で極道非道な悪いことをした奴が今生では女に生まれる」という文章に出会った。
覚えていなかったし覚えていなかったしそれはひどく衝撃だったけれど諦念に導いてくれた。
女は罪滅ぼしのために女に生まれたのかと。
女にとって生理とか出産とかは拷問に男たちが作ってきた歴史と社会の中で女は意志もなく自由もなく子どもを産まされて生きてきた。
最近の女性はパート収入もあり発言権も多少あっていきいきと生きているように見える。
自立した女性になろう。これは労働力不足を補うための政府の企画。自分の収入を得た女性は今までと同じの暮らしの中で数時間を職場で縛られるようになった。今、各地で子ども食堂が賑わって話題になっている。
話が横道にそれてしまった。
男尊女卑の中で成長しながらも男になりたいとはおもわなかった。男になる事は加害者になることで加害者にはなりたくなかったから。
夫は穏やかで優しい人。みんないい人ねと言ってくれる。しかし「差別ではなくて区別だよ」と言い繕う本音は「女如きが生意気な」というところだろう。なにしろ明治生まれに育てられた昭和男子なのだ。

この「トランスジェンダーになりたい少女たち」の終わりの方にやっと生まれ持った女という性をなぜそこまで嫌がるのかの答えがさらりとでていた。さらりとしか書けない事情でもありそうな。
女の子として生まれた少女は家庭や学校や社会を見なながら育ち、そこは男尊女卑に覆われている。
胸が膨らみ始めると「女を止めるのは今しかない!」と行動を起こす。
YouTubeやX(旧ツイッター)Facebookなど悩める少女を温かく迎え入れるサイトが溢れこぼれるほどに少女を待ち受けている。
流行とは言えそれがなぜなのかが理解できない。男性化するためのグッズや器具や薬品が次々と生み出されている。
追跡調査の結果は当然ながら悲しいものばかりなのだ。幸せになった実例は保殆ど当たらない。

人の心の中から男尊女卑思想が消えない以上良性が幸せに思いやりをもって暮らして行くにはどうしたらいいんだろう。
体の大きさが違う上に体力もずいぶんと違うし…わたしはここでべそをかくしかない。情けないことこの上ない。
男性に勝とうとはせずに女性の感性で受け入れるしか仕方ないのかもしれない。
でも、少女たちがひげを生やして男性になりたいなどとはおもわないようにしてほしい。







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地域包括支援センター

2024-04-23 | 雑記
週に一度、整形外科にリハビリという名目で通っている。
おととしの股関節置換手術と脊柱管狭窄症の予後と治療のためだけど、自分としては外出目的を作ることと思っている。
ここ数年前からボーッとしてることが多い。
夫はわたしがテレビを居ていると心配だという。いつもながら族でテレビだけを見ていることはなかったのだ。
そういう夫も以前から背中の丸みが気になっていたのだが、月に三回ほどゴルフに行くので元気なんだろうと思っていた。
ところが、腰や背中が痛いと言い出して、ヘルニアと骨粗鬆の病名をもらってしまった。年なりに弱っているのだ。
わたしばかりが病院にかかることが多かったが、こんな最近の夫はわたしが倒れても抱え上げることは出来ないと不安を口にするようになった。
ふと頭をよぎったのが要介護度があればヘルパーさんなどを頼めるかもしれないということ。
同年齢の友人は2をもらったら楽になってありがたいという。
そんなこんなで来るその日に畏れをもってどうしたらいいのか…。
リハビリに通っている病院に『地域包括支援センター』というパンフレットをみつえた。老人の相談窓口とある。
介護支援を受けるためにはここに行ってからケアマネージャーが決まって具体的な支援が始まるらしい。
町内にもケアマネに紹介してくれる役員さんがいるらしいけれど、近所づきあいの希薄になっている昨今どうすればいいのか入り口を探すのが難儀だ。
いざとなったときどうすればいいのか糸口だけでも知っておかないと面倒なことになりそうなお年頃になってしまったことよ。
日々物忘れ、単語忘れが進む昨日今日。せめてブログを書くことを日課にしたいけど。

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