6時に起きて7時に朝食。お弁当にとおむすびができていた。
8時に宿を出発。
通り道なので一番札所の霊山寺の門前で一礼して二番札所に向かう。
いよいよ歩きの始まりの実感。
アスファルトの道をまっすぐにしばらく歩くと極楽寺に到着。
二番札所 日照山 極楽寺
ご詠歌 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口ぐせにせよ
開祖は行基。安産太子と呼ばれる太子堂がある。
弘法大師手植えの長命杉がある。
手を清め口をすすいでお詣り。
次のお寺までは1時間ほど。ガイドブックの倍の時間を予定している。
テクテク歩き始めるが、背中のザックがはや重く、写真を撮ってるとすぐに遅れてしまう。鳥を撮るために買ったデジカメは首から提げているとやはり重い。
神社を二つ過ぎて変電所の横に歩き遍路専用の土道を少し行くと三番札所に到着した。
9時50分。
三番札所 亀光山 金泉寺
極楽の宝の池を思えただ 黄金の泉すみたたえたる
聖武天皇の勅願で行基が開いた開運に御利益があるとされる。
黄金の井戸があって顔がはっきりうつれば長命、ぼやけていると短命とか。
ガイドブックで読んでいたのに先を急ぐためかすっかり忘れていた。二度も三度も遍路する意味はそんなところにもあるのかな?
お遍路さんの数はそこそこ多い。ツアーの人たちや車遍路の人たちも少なくない。道などで会釈し合っているうちに顔なじみとなっていくのは歩き遍路同士。
次は大日寺。今度は今の倍ほどの距離がある。
10時に金泉寺を出発した。高速道路の下を二回くぐらなけれなならない。
10時30分。それを一回くぐった所の歩き遍路道の先にに愛染院があった。金泉寺の奥の院だ。
「愛染院」
徳島県板野郡板野町に所在する高野山真言宗の寺院。山号は金鶏山。本尊は不動明王。別名那東のお不動さん。伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四国を巡錫中の弘法大師(空海)がこの地に霊気を感じた。そこでみずから不動明王を刻み、ここに安置したのが始まりと言われている。
当院には戦国時代この地を治めていた板西城主の赤澤信濃守崇伝の廟が祀られている。赤澤信濃守は天正10年(1582年)長宗我部元親の進攻にあい、合戦中に草鞋の紐が切れ討ち死にしたと伝えられている。いつのころからか、この廟に参詣すると腰から下の病が治癒するとの信仰を集めるようになった。治癒した信者は当院に草鞋を奉納する習わしがある。(wikipediaから)
門前におおきな草鞋。桜がきれい。