小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

遍路日記‥‥四日目‥‥1  

2015-05-12 | 四国遍路

朝、7時。吉野さんでおむすびを持たせてもらって出発した。
昨日の道を藤井寺まで歩く。安全祈願をする。
同時に出発した人たちの足は速い。





いよいよ、最初の遍路転がしの道へ突入だ。背中が軽いのがありがたい。
ところどころにお地蔵さんや赤い遍路マークが励ましてくれる。
少しくたびれた頃に端山休憩所がある。見下ろす讃岐山脈の景色が素敵。







1時間ほどで長戸庵につく。ベンチもあってちょっと休憩。
そこへ浜松夫人が到着。ご主人はゆっくり来いと先に行かれたらしい。
また、1時間ほどで柳水庵の到着。休憩時間が多いので11:20分。
やはり、人の倍の時間がかかる。
ツアーの人たちが並んでやってきた。
スタッフがお弁当やお茶を運んで来て用意していた。なるほど、至れり尽くせりなのね。
私たちもここでおむすびを食べる。






あとは浜松夫人も一緒にひたすら歩く。
巷間、言われているほどきつくはないが足はそう思わないらしい。
歩きに熱中していると無口になる。
お大師さまのお迎えを受けて14:30に焼山寺到着。
途中でスマホに今夜の宿から電話があって焼山寺まで迎えに来てくれるとのこと。
やれ、嬉しや。





十二番札所 摩廬山 焼山寺
ご詠歌 後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも

石段を登っていくと山門があった。立派な杉木立に囲まれた大きな寺院。
基は役行者が開いた山岳信仰の霊場だった。
山一帯に毒蛇が棲みついて大嵐や大火などを引き起こすので弘法大師が摩廬(水倫)の印で退治したという。






かなりの人たちがほっとしてくつろいでいた。
ご主人と再会した浜松夫人とはここでお別れ。
お詣りを済ませて休憩所にお土産の物色に入る。
徳島県と和歌山県では気候が似ているせいか同じような物産ばかり。
筆ペンで写生している人が居た。
葉書大の大きさの紙に描いているので絵はがきの図案かな?でも、どこにも絵はがきは売っていない。
そこへ広島さんが疲れ果てたような風情で入ってきた。
こんなに体力がなかったとはと嘆く。同感だった。
宿は「なべいわ荘」だそうだ。浜松夫婦と一緒。絵描きさんもかな?
そこは満員で断られた宿。評判がいいから早くから予約が入るのだろうな。
でも、私たちの善根宿の「すだち館」は迎えつきだもの。
コメント
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