小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月二十二日、二十三日

2018-04-01 | 嘉永六年 癸丑日記

一月二十二日 

暖かい。
世間はひっそりとして声もない。
夜前から町々の門を宵から閉める。
このようなことは今までに無い。
一位様がお出かけ遊ばされお留守の時にも門はあけてはいたが、この度から夜は十時までで門を閉めるとのこと。
灯し油を雄輔が買いに行く。



一月二十三日 

暖和なり。
今日も中将様へご機嫌伺いに伺候する予定だったがとりやめた。
権七を買い物にやる。
松下へ手形書きし礼に牡蠣を送るつもりだったが牡蠣売りがこなかったので饅頭を送ることにして万次郎が行く。
 
※ 中将様
徳川慶福のことで後の十四代将軍の家茂のこと。
幼名は菊千代で一位様こと徳川治宝死去の時は八才。
三才で藩主となったので治宝が治世を行っていた。
従三位に叙せられ左中将に任じられたことから「中将様」と呼ばれていた。



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