「和泉 高師のはま」
大阪西南部を占める和泉の国。もともとは「泉」という国名であったものを和銅6年(713年)の詔(みことのり)によって2文字にしたので「和泉」となり「和」は読まず、「いずみ」と読む。図では、手前の松林に鳥居と社が見える。高石神社であろうか、紀州街道に面していたため高野山詣での旅人も多く立ち寄ったようだ。
「和泉 高師のはま」
大阪西南部を占める和泉の国。もともとは「泉」という国名であったものを和銅6年(713年)の詔(みことのり)によって2文字にしたので「和泉」となり「和」は読まず、「いずみ」と読む。図では、手前の松林に鳥居と社が見える。高石神社であろうか、紀州街道に面していたため高野山詣での旅人も多く立ち寄ったようだ。