切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 富士三十六景 東海堂左り不二

2016年05月24日 | Weblog

「東海堂左り不二」

東海道を江戸から京へと向かう時、それまで右に見えでいた富士が、吉原宿付近で左側に現れる。左手に見える不思議さと、松並木の聞から見える風情から、「左富士」は東海道の名勝として知られていた。なぜこんな現象が生じたのでしょう?吉原宿はもともと海岸沿いにあったが、津波の被害を受けたことから二度の移転を経て、現在の内陸部に落ち着いた。東海道もこれに伴って、吉原宿の手前で海岸近くから内陸に入り、右左に大きく湾曲して北上することになったため、左富士が見えるようになったのである。この図では左手から右奥に東海道が延びていて。剃髪した法体の男が左富士に気がついて見上げている。富士から眼を落とすと、道の左側には田圃が広がり、地元の人が田植えにいそしんでいる。富士の雄大で穏やかな姿は、人々の日常を見守るかのようで、梅雨の初め頃、下界で降る雨が富士山頂では雪となり、この時期雪解けで山肌を露わにしていた富士が一晩で真っ白に戻ることがある。

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