切り絵

浮世絵を切り絵に

富嶽三十六景 浅草本願寺

2024年12月31日 | Weblog

「浅草本願寺」

浅草東本願寺の巨大な屋根を前景として富士を遠景に描き、その両者が相似形をなしている。左手に材木を組んだ巨大な構築物と本願寺の屋根の間に空中を飛びまわる凧を配することで、画面全体を更に一層引き締める。屋根の上には五人の鳶が働いているが、人物を小人のように描くことで、建物の巨大さを強調している。左手の構造物は火の見櫓のようだが、よく見ると半鐘を載せる足場がなく火の見櫓ではない様だ。構図をとるための北斎の企みなのかもしれない。

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2024年12月27日 | Weblog
 
六十余州名所図会 美作
「美作」 山伏谷強い風を伴った横なぐりの雨を描き、笠は飛び、天地鳴動の瞬間をとらえている。きつい雨脚を太い条帛のような描写で行い、このシリーズで最も激しい風雨の景を描き、......
 

 

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富嶽三十六景 武陽佃嶌

2024年12月20日 | Weblog

「武陽佃嶌」

佃島は、隅田川の河口付近に浮かぶ島。いまでは月島と一体化して、高層ビルの林立するシュールな空間になっているが、徳川時代には、孤立した島で、本土とは渡し船で結ばれていた。この絵の中の佃島は、周囲の船と比較して余りにも小さく描かれており、昔から北斎愛好家の中では、そのバランスの悪さが指摘されてきた。また、本土から非常に遠く離れて描かれているが、現在では佃大橋で本土とつながっているように、そんなに離れているわけではない。

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2024年12月17日 | Weblog
 
六十余州名所図会 播磨
「播磨」 舞子の濵舞子の浜は、神戸市の南西部、垂水区にある浜で、海岸を覆う松樹の美しさが有名な場所である。現在では、明石海峡大橋が架橋され昔とは様子が変わっている。本図で......
 

 

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富嶽三十六景 相州七里ヶ浜

2024年12月11日 | Weblog

「相州七里ヶ浜」

七里ヶ浜は、鎌倉市街の西はずれにある砂浜で、その更に西には江の島がある。この絵は、七里ヶ浜から江の島越しに見た富士ということになっているが、見た印象は、実景とはだいぶ異なる。画面右手に突き出た半島のような島が江の島の様だ。江の島の先に、二つの小さな島が浮かんでいるが、これも実景では見えない。

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2024年12月08日 | Weblog
 
六十余州名所図会 隠岐
「隠岐」焚火の社焚火の社とは、(現在の島根県の隠岐諸島)焚火神社のことで焼火山の頂上近くにあり、古くから舟人の目標となっていた。本図では、焚火神社への献灯の儀式の様子が描......
 

 

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富嶽三十六景 甲州石班沢

2024年12月01日 | Weblog

石班沢

甲州石班沢(かじかざわ)は、甲府盆地を流れる笛吹川と釜無川が合流して富士川となる地点にある。富士川は日本三大急流と言われるほど流れが速いことで知られるが、鰍沢のあたりではまだそんなに急な流れではない。流れに突き出した岩の上に一人の猟師が背をかがめながら立ち、流れに向かって四本の糸を投げているが、猟師はこんな糸を使って釣り漁をすることはない。釣りではなく多分投げ網(とあみ)漁している様だ。猟師の左隣に、小さな子供が比丘(びく)を守って座っている姿が愛らしい。

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2024年11月30日 | Weblog
 
六十余州名所図会 石見
「石見」 高津山2007年の世界遺産登録で「石見銀山」は一躍注目をあつめた。石見国は現在の島根県西半部にあたり、万葉集・柿本人麻呂の生地、終焉の地として古くから知られてい......
 

 

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2024年11月22日 | Weblog
 
六十余州名所図会 出雲
「出雲」 大社‶ほとほと″とは、小正月に神が人々を祝福するために来訪するという信仰から生まれた行事で、正月14日の夜に顔を隠した若い人が各戸を訪ねて、お供え物を受け取ると......
 

 

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富嶽三十六景 尾州不二見原

2024年11月21日 | Weblog

「不二見原」

尾州不二見原は、現在の名古屋市の中心部近くで、辺りは建物が林立し、富士は見えないが、徳川時代にはこのように、遠くに見えたと思われる。大きな円の中に小さな三角形を描き込んでいる。大きな円は桶で、小さな三角形が富士だ。桶が描く大きな円は、北斎愛用の「ぶんまわし(コンパス)」で線を引いたのだろう。部材を円柱状に組んで箍で締めた後、桶の内側に職人が入り込んで、槍鉋で内部の仕上げをしている。槍鉋はどんな用途にも使える万能の鉋だ。仕上げが終れば底板を嵌めて製品としての桶になる。

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2024年11月12日 | Weblog
 
六十余州名所図会 伯耆
「伯耆」 大野伯耆(ほうき)の国は現在の鳥取県の西部にあたり、その中央に座す大山(だいせん)は、標高1,711mの中国地方最高峰の山で、古くから信仰の霊場としてとして崇め......
 

 

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富嶽三十六景 甲州犬目峠

2024年11月11日 | Weblog

「甲州犬目峠」

甲州犬目峠は、今の山梨県上野原市の西部、権現山の麓にある。そこからだと今でも、富士がくっきりと見える。徳川時代の昔なら、この絵のように細部までくっきりと見えたに違いない。富士の麓を霞でぼんやりとさせるのは、北斎の常套手段だ。その霞を挟んで、向う側に富士が、手前に犬目峠の稜線が描かれている。稜線の尾根道を、旅人らしい人々が歩いていく。画面全体に静寂感が漂っているような印象を与える。

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2024年11月03日 | Weblog
 
六十余州名所図会 因幡
「因幡」 加路小山小山とは、鳥取県鳥取市湖山町にある千代川河口西岸の湖山砂丘(鳥取砂丘の一部)周辺の地名である。図にも見えるように湖山池には青島、猫島などと呼ばれる無数の......
 

 

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富嶽三十六景 武州玉川

2024年11月01日 | Weblog

武州玉川

多摩川は大きな川だから、下流では対岸が霞んで見えただろう。川幅からして中流域を描いたのだとわかる。川の中ほどには、客と荷を積んだ渡し船が浮かび、手前の河原では、荷を積んだ馬を引っ張る男が渡し船の様子を眺めている。船頭は、流されまいと必死に漕いでいるように見える。富士山は、霞の上に頭を出しているように描かれている、霞と川の境界は一部ぼやけている。そうすることで、富士が遥か彼方にあるということを強調しているのだろう。その割には、富士は大きい。

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2024年10月28日 | Weblog
 
六十余州名所図会 但馬 岩井谷
「但馬」 岩井谷本図は、『山水奇観』を参考に描かれており、実際に描かれた岩井谷の場所は2つの説がある。一つは、但馬の国と県境の牛ヶ峰山の峡谷付近とする説。もう一つは兵庫県......
 

 

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